三十三の三 奈落へ誘う声

文字数 1,993文字

ガクガクガク…
やめろ。聞くな
はっ
平気だ。私は強いから
(ドロシーが無理して笑う。

 あさましい妖魔はどこだ? 見つけられるはずない)

だから?


すべて私のせいだ。知っているから私は平気だ

(ドロシーは涙目になっていた。

 俺が彼女の過去を知る必要はない。いまはサキトガの声を止めさせるだけ。だけどお堂の闇からの誘う声は途絶えない)

『兆勝こそ災難だったよな。人ではない力をもつ娘を、人間からかばったのだからな。

 そして、それは新天地でも』

だから、その汚らわしい声をとめろ
(彼女の手が力なく離れる。昔から、なんでお寺ってのは静かすぎるのだ)
サキトガめ、俺をまどわせ! 俺の過去を言ってみろ!


(俺が盾になる。俺の二十年間に恥ずべき過去は存在しない)

『哲人は平凡すぎて、ささやいても楽しくないんだよ』
(きっぱり断られる)
『フロレ・エスタスをおとしめることになるしな――。

 お前は現在を心配していろ。数年後の司法試験でもなく、家族のな』

(いまは家族のことを考えない! 俺こそ怯えさせたいのだろ? だったら、もっとこっちに来い。耳元でささやけ。


なのに、こいつは遠ざかる)

『梓群~。ドロシ~。両親は両方で呼んでいたよな。

暴動の夜、お前に石を投げる人間の前でも。


記憶からも記録からも消されたあの夜。

お前は何人殺した?

え?
聞こえない
(彼女が震えだす)
貴様達の声なんか届かない。……私は傷さえ与えてない。みんながそう言っている
『あっそう。でも記憶消しの術が効かなくて、おじいちゃんが困惑したのは覚えているだろ? そんで、こっちは覚えているだろ?


 目の前で、あの二人は何人殺した? お前を救うために』

もうやめろ!
 俺はそれしか言えない。サキトガはやめない。
『ロタマモが地獄の知り合いに聞いたらしいぜ。


 あの二人は、火にあぶられながら恨んでいるってな。


 いまも娘を恨んでいるとな』

だからやめて!
(ドロシーが崩れ落ちる)
うう……

そんなはずない。パパとママは、いまも私を愛している

あう…

ドロシー!
 彼女が嗚咽する。俺はうずくまる彼女の肩を抱く。怯えが伝わる。奴らの好物の……。
“だ、大丈夫、大丈夫、へへ”
 闇に怯えながら俺の手を引いてくれたドロシー。

サキトガ、姿を現せ。

さもないと、貴様を怯えさせる

『どうせ暇つぶしだ。現れてやるぜ。この娘は弱すぎて面白くない』
(保育園児ほどのコウモリが天上で血の闇に照らされる)
『松本。処女だからってありがたがるなよ。味なんて、ほかと変わらないからな。

……ママはすぐに死ねたのに、パパはけっこう苦しんだな。死んだ時間が違えば、魂は別々のとこに行くかもな。自分の娘を呪いながら

……。
(サキトガは笑い声を残して消える。俺を狙え。そばに来い。

 ドロシーは震えている)

パパ、ママ、助けて。

やっぱり梓群は弱いです

 赤い闇のスポットライトが、彼女と俺を照らす。
『思玲が言った15時まであと420秒。俺はまだまだお喋りできるぜ』
(ドロシーを闇に誘う声)
『俺からはなにも言えないけど、箱を開けて哲人を殺せば、パパとママは天国に行けるかもな』
……。
 ドロシーが顔をあげる。俺の目を見つめる。
ガシッ

(俺は彼女を抱きしめる)

松本、助けて……
(心への声が伝わる。……ようやく人として抱きあえた)
任せろ

(相性がよかったわけではないと気づく。俺は彼女からリュックを奪う。四玉の箱を引きずりだし、サテンをほどく)

なんだ?
(護りの布をドロシーにかけて、立ちあがる。むせてなどいられるか)

ゼ・カン・ユの残兵。藤川匠のあわれなるしもべ。


俺と戦い、地獄にも行けず消滅しろ。ロタマモのあとを追え

 赤い闇さえ笑う。

 コウモリがまた姿をだす。

『俺が弱いと思っていやがる』
『戦えって言うなら、爪だけ汚してやら』
 
喰らえ!
ぐえっ
 襲ってきたサキトガをカウンターに殴る。奴の爪はかすめただけ。時間差で肋骨が絶叫する。胸を押さえる。
……。
『キッ、短剣を従えた力か。だけども――』
 サキトガが天井に浮かんで消える。

ま、まだ戦え。お前は俺と戦うさだめだ。


俺は助けを呼ぶさだめだ。だから大カラスはまた一羽消えた。……あのフクロウも俺の指さきで消えた

 もう一度こっちに来い。
……。
『おろかだね。あの爺さんといえども、死んだら教えに来てくれるさ。完全に消滅しないかぎりな』
……。
(サキトガめ、俺の指まで来い。ドロシーは俺だけを見あげている)
ムジナが隠しているもの

(俺は告げてはいけないことを告げる)

……。
半分だけの魂
 赤い闇が揺らぐ。
『……キ。遊びすぎたかな』
(見えないサキトガが動揺する)
…………。
『怒られるまえに迎えにいくか。……もし、あいつの羽根をむしったりしていたら、俺も本気で戦ってやるからな』
逃げるな
 見えない魔物に命じる。返事はない。あいつが去ったかなど、分かるはずがない。まどわされ続けるだけだ。
……松本



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