二十六の一 座敷わらしとずたぼろ女

文字数 2,598文字

つ、剣を戻せ。使い魔はまだ箱にいる。はやく封じろ

ヨロヨロ

 思玲がよろよろと立ちあがる。

短剣は消えました。あとかたもなく。


それより大丈夫ですか?


(鬼がしでかしたとてつもない暴力に、彼女の体を心底から案じてしまう)

消えただと? 愚か者め
(俺の心配など聞いていない。でも悪態さえ弱弱しい)
仕方ない。いずれ消してやる……。眼鏡がどこかに落ちた。明かりをつけてくれ

(思玲の頼みでも、それだけは堪忍してほしい)

暗くても見えますから、俺が探しますよ

つけてくれ
(思玲がそこまで願うのなら、従うに決まっている)

チラ

 脇に転がる箱に目を向ける。剣をだしたときのはずみで、金属で装丁された骨董品の本がはみ出ていた。天使が悪魔を討伐する表紙だ。まがまがしい気配を感じる……。
(あいつらはまだここにいる)

 せめてもと、本を箱に戻しふたを閉じる。


 入口横のスイッチを押す。人の作ったものだから固すぎる。全身の力を傾けて、ようやく反対側に傾く。人の明かりがしばたき、部屋が照らされる。

……。
つらいのならばおもてで待ってくれていいが、その前に見てもらいたいものがある
(蛍光灯に照らされた思玲は右目に青痣をこしらえ鼻血をながし、左腕には太ったミミズほどの掻き傷が幾重にあった。赤いTシャツの胸もとはおそらく血でさらに暗い赤となり、右手は頭髪を気にするように触れていた)
長髪にする以上は毛も根も鍛えはしたが、禿げてないか?
見た感じでは分かりませんけど……

フワフワ

 人の明かりが耐えられない。部屋の外にふわふわと逃げる。
待たせたな
(思玲が眼鏡をかけて現れる。足を引きずっている。
 使い魔達の声はもう聞こえない。本当に力を使い果たしたのか、あいつらの言葉など信用できない)
キョロキョロ

人除けが消えたな。むき出しだから静かに去るぞ

それより珊瑚を使いましょう。まず横根を探しましょう。

(白猫の心臓になっている珊瑚は、祈りと癒しの玉だと言っていた。ぼろぼろの思玲にこそ必要だ)

あの玉は受け継がれた。もう私には扱えない。そもそも珊瑚の祈りを受けても、人は心に癒しを受けるだけだ。つまり私には不要だ

ズンズン

…フワフワ

(思玲が俺を追い越す。書棚のあいだを行く彼女の顔が、非常灯に緑色に照らされる)

ここから先も、みなを守るだけだ。そのためだけに我々は存在を許されるのだから
(その体で、どうやって守るというんだ)
くっ

ヨロ

 案の定、彼女はよろめき座りこむ。

もうリタイアしてください。人を呼んで病院に行ってください。ここに来たのだって、あいつらに歯が立たないからではないですか。

(なのに状況はさらに悪化している)

ここに来たのは私が怯えていたからだ
 思玲がわき腹をおさえながら言う。
……。
お前を胸に抱いた頃からうすうすと感づいた。ゆえにもう逃げぬ。……ちり紙など持ってないよな。鼻血がうっとうしい
(満身創痍でよく言えるな。俺は鬼にやられたダメージなど、とうに消えている。でも人の体ならば、回復に数日数か月もかかる。

そんな体で峻計達と相見えたら、彼女は間違いなく殺される)

 それを口にだして伝えても、
じきに師傅が来られる。それまで耐えればいい。

ズボズボ

楊偉天は峻計とともに戦わねば、師傅に対抗すらできない

フキフキ

ウワ…
 思玲は鼻の穴に指を突っこみ言うだけだ。指に付いた血をパンツにこするし。
それだって分からないじゃないですか。楊偉天は峻計のボスですよね。さらに強力な妖術を使えるのではないですか? もしかしたら――
哲人は、師傅のおそろしさを知らぬからな。


二年前に朝鮮の北部で(みずち)が暴れたことがある。その兄弟である国がとばっちりを恐れて、魔道士を送りこむことにした。しかし、あの白虎使いの老いぼれは国の求めに応じず、代わりに劉師傅が依頼をお受けになられた

(朝鮮と韓国の話か? 韓国には、四神を式神とする者がいるというのか)
師傅にかかれば、巨大な蛟といえどもかないはせぬ。即座に消し去ったが……

ヨイショ

……。

(思玲が手をつき立ちあがる)

そこで大陸の者達と出くわした。彼らは中国から依頼を受けたのだ。愚かにも、瀋陽(シェンヤン)の魔道士達はメンツにこだわった。その七人は、先を越された腹いせを師傅に向けた。

ヨロッ

……大陸の東北を占めていた一派は壊滅した。戦いにおける師傅の力は無尽に強まる

……。

(彼女は再び歩きだす)

我が師傅は戦いにおいて情けを知らぬ。師傅が恩義を捨てたとき、楊偉天は死ぬ。

……私とて、あの男が倒されたことを知るまでは決して死なぬ

……。

(彼女の意志が、傷だらけの彼女をなおも歩かせている。そんな思玲に聞かねばならない)


そして師傅は俺達を殺すのですか? それでも師傅を待つべきなのですか?


(彼女の話が事実ならば、楊偉天よりさらに強い師傅こそが俺達への執行人だ)

……。
(思玲がまた本棚に体をもたげる)
峻計は師傅でなければ倒せぬ。その先のことなど分かるか
(額の汗をぬぐいながら言う)
だが桜井だけは赦さぬだろう。あと腐れを残さぬに決まっている
“はははは”
(青龍となる資質が許されぬというのか。

そもそも桜井はなんで大層なものを持って生まれてきたのだ?

容姿はかわいく、性格は(よく言えば)天真爛漫。

ちょっと変わってはいるけど、常軌を(激しく)逸脱しない程度にだ。

それなのにインコにさせられたうえに処分されるなんて……、ゆるせるはずがない!)

思玲から説得してください。俺も一緒に頼んでみます
…フッ
 俺の力ではそれが精一杯だ。彼女は俺の問いかけを闇に笑うだけだ。再び足を引きずり歩きだす。

カツン

師傅は力しか認めぬ。その心に届くには、おさなごを残したままの母親のように、我が身を差しだすほどの情念が必要だ

カツン

フワフワ

(思玲は手すりをつかみ、体を引きずるように階段を登る)

カツン

それよりも瑞希だ。

哲人は私をおびき寄せる焼き芋的存在だったゆえ、あいつらはろくに条件もつけずに瑞希を人に戻す約束をした。まさか貧弱な妖怪が剣を取りだすとは思わぬからな。

カツン

……魂を奪う契約はなかったよな

フワフワ

それはないと、フクロウは断言しましたけど……
 ふわふわと階段を登りながら答える。
(……悪魔に魂を売るって奴か。サキトガの後出し契約が気にかかる。もしかして俺は、横根の魂をかなりきわどい立場に追いやったのかも。底知れぬ心配ごとが増える一方だ)



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