三十の二 陰陽士の結界

文字数 2,325文字

う~ん
(荒れた未舗装路だ。大蔵司が外にでて伸びをする。ドアを閉めてからやってほしい)
ヒエエ…
(数百匹の異形の蜂の羽音が聞こえてきた。横根がさらにしがみついてくる)

ムネガ…

♪♪

(大蔵司がハッチを開けて中をあさる。だから、さきに結界を張れ。

 大蔵司は張らずに後部座席へなにかを投げる。Tシャツと膝丈ほどの短パンだ)

家ではメンズの上下なの。

昨夜四時間着ただけだから、帰りの着替えに持ってきた。男性の裸に不慣れだから着てもらえないかな

(ゆったりめを選んでいるのかサイズ的には問題ない。こちらもプリントされた英語が恥ずかしいが、お言葉に甘えさせてもらおう)

洗って返しますので

(襟元に彼女のシャンプーの匂いを感じた、などとやっている場合じゃないだろ)

結界を張るんだよね?

もういいんじゃないの?

おしゃれじゃないペンダントだけど、彼女にくっついていなよ。運が良ければ刺されないかも
……!
(珊瑚のことか)
カチカチ

カチカチ

(オニスズメバチ達は横に広がった。もはや靄でなく虫の集団だと視認できる。カチカチと顎を鳴らす音さえ聞こえる)

マブシー

陰陽士の結界は、いずれ消えるじゃない
(彼女の手に神楽鈴が現れる)
ギリギリまで引きつけないと
(引きつけ過ぎだ。蜂達がおもてにいる彼女に気づいた。大蔵司が神楽鈴をかかげる)
人封
シャリシャリシャリン
グルグルグル
(鈴の音とともに、彼女の体がしめ縄に巻かれる)
空封
ボトボトボト…
(蜂達を払い落としながら広がっていく)
地封
 ピンクの軽自動車は、丸に十字のしめ縄に囲まれる。
五分ぐらいで消える
(大蔵司がサングラスをはずす)
そのあいだはUVもカットされる
ボトボトボト…

(結界に当たったオニスズメバチが引き裂かれたように落ちる。なおも群がり、ちぎれていく。小さな結界を囲むように、蜂達の死骸が積もっては溶けていく……。

 この結界は危険すぎる。味方であったのが幸運だ)

飛ばないほうがいいな

ヨチヨチ

イテテ…
(九郎が運転席から跳ねおりて、よちよち歩いて小さい羽根で伸びをする。琥珀もツノをさすりながら地面低くに浮かぶ)
声もだせないよね。

こんなのばかりだね

うん……

(車には彼女と二人きりだ。……横根は記憶よりもずっとかわいい。服や頬が汚れたままの異形であっても)

あのとき、揺らめいた屋上に朝が来たよね
(くりっとした目で見あげてくる)
そして夏奈ちゃんは龍に、私は連れ去られ、川田君は犬のまま……。

でもドーン君と思玲、松本君は戻ってきてくれた。私達を救うために

 瞳が涙で満たされる。直視されると吸いこまれそうで、俺は目を逸らす。

横根の手紙のおかげだよ。


だからみんなを信じる。


あの言葉がなかったら、俺は戻らなかった。戻れなかった

ニカニカ
(大蔵司は煙草に火をつけて、人の背の半分もない異形と談笑している。横顔さえも絵になる、きれいな人だ。けど媚びないドライな美しさだ。空を見ても、オニスズメバチはもはや飛んでいない。積もった死骸も消えている。彼女達は結界が自然に消えるのを待っているのだろう)
なんで松本君が知っているの?
(振りかえると、横根は赤面していた)
あれを読んだの? ……私のカバンを見たんだ。勝手に見たんだ
(照れて紅潮した彼女は極めてかわいかったが、忘れるはずない。横根こそヤバい。

 彼女へと身がまえる)

いろいろ事情があった!

あの紙切れが一番上にあった。ほかは見ていない!

……。

(財布は見たけど。

 横根はなおもにらんできたが、目を伏せる)

あの箱を開けるまえの五人で会いたい。


か、夏奈ちゃんを責めてるわけじゃないよ。……あのとき、夏奈ちゃんが松本君を助けてくれたんだよ。夏奈ちゃんが自分から龍にならなければ、誰一人もういないよ。絶対に

“……。”
(そうだと思う。

 陽炎がゆらめく屋上。俺はじきに楊偉天のもとに引きずられ、横根を生贄に儀式が始まっただろう。青龍が生まれ、俺は殺され、ドーンは消え、川田は忌みすべき異形のまま町をさまよう。封じられた思玲は、峻計達の前で人に戻される……)

昨日、夏奈――、桜井の人の心とちょっとだけ会えた。だから、また会える。

(そうだ、あれを聞かないと)

手紙の話に戻るけど怒らないで。桜井に教えることがあるって書いていたよね

…………。

(横根がうつむく。彼女は紙に記すことさえためらっていた。ましてや口にだすなんて、ってことか。だったらなおさら聞かないと。

 なのに琥珀が戻ってきた)

ズリッ

あの女がいると、日本からの外注がなくなりそうだな
私があの女です。フミフミ

(後ろ指をさされた大蔵司が吸い殻を踏みしだく

 九郎が運転席に乗る。大蔵司も九郎が滑らぬように乗りこむ)

縄が消えるなり飛ばすから、ベルトをしとけ
彼女彼じゃなさげだね。

ニヤッ

私は今年二十一。君達は?

二十歳
私は早生まれだから、来年二十歳

二人とも利口そうだし学生でしょ。……瑞希はマジでかわいいよね

(彼女はバックミラー越しに横根を見つめていた)

かわいい同士で人間に戻ったら遊ばない?

ブルッ
京、一服は終わっただろ。アクセルの準備をしろ。あとはノンストップだからな。トイレにも寄らねえ
(体のだるさは取れないが唇が青ざめるほどの寒さは消えた。車からスマホに無料で充電させてもらう。十字のしめ縄がかすんできた)
台輔、いきめよ
ウイイイイイイイン
(エンジンの回転音が狂気じみた)
発進!
ブオオオオン!!!
ヒュ~ズドン!
(しめ縄が消えると同時にピンクの車が飛びでる――。前方から飛んできた巨岩と、かすめるように交差する)
お坊さん?

ブ、ブ、ブー

 大蔵司が手を伸ばしクラクションを鳴らす。蜘蛛の巣のフロントガラスの向こうに、オレンジ色の服の男が立っていた。



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