三十の二 陰陽士の結界
文字数 2,325文字
(荒れた未舗装路だ。大蔵司が外にでて伸びをする。ドアを閉めてからやってほしい)
(数百匹の異形の蜂の羽音が聞こえてきた。横根がさらにしがみついてくる)
ムネガ…
(大蔵司がハッチを開けて中をあさる。だから、さきに結界を張れ。
大蔵司は張らずに後部座席へなにかを投げる。Tシャツと膝丈ほどの短パンだ)
家ではメンズの上下なの。
昨夜四時間着ただけだから、帰りの着替えに持ってきた。男性の裸に不慣れだから着てもらえないかな
(ゆったりめを選んでいるのかサイズ的には問題ない。こちらもプリントされた英語が恥ずかしいが、お言葉に甘えさせてもらおう)
洗って返しますので
(襟元に彼女のシャンプーの匂いを感じた、などとやっている場合じゃないだろ)
おしゃれじゃないペンダントだけど、彼女にくっついていなよ。運が良ければ刺されないかも
(オニスズメバチ達は横に広がった。もはや靄でなく虫の集団だと視認できる。カチカチと顎を鳴らす音さえ聞こえる)
(引きつけ過ぎだ。蜂達がおもてにいる彼女に気づいた。大蔵司が神楽鈴をかかげる)
(結界に当たったオニスズメバチが引き裂かれたように落ちる。なおも群がり、ちぎれていく。小さな結界を囲むように、蜂達の死骸が積もっては溶けていく……。
この結界は危険すぎる。味方であったのが幸運だ)
(九郎が運転席から跳ねおりて、よちよち歩いて小さい羽根で伸びをする。琥珀もツノをさすりながら地面低くに浮かぶ)
うん……
(車には彼女と二人きりだ。……横根は記憶よりもずっとかわいい。服や頬が汚れたままの異形であっても)
そして夏奈ちゃんは龍に、私は連れ去られ、川田君は犬のまま……。
でもドーン君と思玲、松本君は戻ってきてくれた。私達を救うために
瞳が涙で満たされる。直視されると吸いこまれそうで、俺は目を逸らす。
横根の手紙のおかげだよ。
だからみんなを信じる。
あの言葉がなかったら、俺は戻らなかった。戻れなかった
(大蔵司は煙草に火をつけて、人の背の半分もない異形と談笑している。横顔さえも絵になる、きれいな人だ。けど媚びないドライな美しさだ。空を見ても、オニスズメバチはもはや飛んでいない。積もった死骸も消えている。彼女達は結界が自然に消えるのを待っているのだろう)
あれを読んだの? ……私のカバンを見たんだ。勝手に見たんだ
(照れて紅潮した彼女は極めてかわいかったが、忘れるはずない。横根こそヤバい。
彼女へと身がまえる)
いろいろ事情があった!
あの紙切れが一番上にあった。ほかは見ていない!
(財布は見たけど。
横根はなおもにらんできたが、目を伏せる)
あの箱を開けるまえの五人で会いたい。
か、夏奈ちゃんを責めてるわけじゃないよ。……あのとき、夏奈ちゃんが松本君を助けてくれたんだよ。夏奈ちゃんが自分から龍にならなければ、誰一人もういないよ。絶対に
(そうだと思う。
陽炎がゆらめく屋上。俺はじきに楊偉天のもとに引きずられ、横根を生贄に儀式が始まっただろう。青龍が生まれ、俺は殺され、ドーンは消え、川田は忌みすべき異形のまま町をさまよう。封じられた思玲は、峻計達の前で人に戻される……)
昨日、夏奈――、桜井の人の心とちょっとだけ会えた。だから、また会える。
(そうだ、あれを聞かないと)
手紙の話に戻るけど怒らないで。桜井に教えることがあるって書いていたよね
(横根がうつむく。彼女は紙に記すことさえためらっていた。ましてや口にだすなんて、ってことか。だったらなおさら聞かないと。
なのに琥珀が戻ってきた)
ズリッ
あの女がいると、日本からの外注がなくなりそうだな
(後ろ指をさされた大蔵司が吸い殻を踏みしだく
九郎が運転席に乗る。大蔵司も九郎が滑らぬように乗りこむ)
彼女彼じゃなさげだね。
ニヤッ
私は今年二十一。君達は?
二人とも利口そうだし学生でしょ。……瑞希はマジでかわいいよね
京、一服は終わっただろ。アクセルの準備をしろ。あとはノンストップだからな。トイレにも寄らねえ
(体のだるさは取れないが唇が青ざめるほどの寒さは消えた。車からスマホに無料で充電させてもらう。十字のしめ縄がかすんできた)
(しめ縄が消えると同時にピンクの車が飛びでる――。前方から飛んできた巨岩と、かすめるように交差する)
大蔵司が手を伸ばしクラクションを鳴らす。蜘蛛の巣のフロントガラスの向こうに、オレンジ色の服の男が立っていた。
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