三十二 こんがらせいたか

文字数 3,772文字

 
 
哲人… 
カツカツカツ…
……。

 半月が去りゆく駅ビルの屋上に、女性が一人横たわる。狼の体は消えていく。カラスと妖怪変化が闇に浮かび、もう一人の人間は立ち去ろうとしている。

 妖怪の感情は頂点に達している。

劉昇!
 俺は男へと飛びこむ。護符を取りだし、その背に押しつけんとする。劉昇が屈む。前転して起き上がり、振り返る。俺の持つ木札を見る。ついで俺の顔を見る。
……。
……。
 俺は空中に浮かびあがり、劉昇をにらみ返す。怒りがこみあがる。弱きものを凍らせる目線を跳ねかえす。
俺も行くのかよ
 ドーンから戸惑いの声がする。
バサッ
  劉昇が緋色のサテンをひろげる。それを闘牛士のムレタのように持ち、片手に剣をかまえる。
……。

 俺は中空に浮かび頭を下にする。木札をかかげ劉昇へと突っこむ。劉昇が布で受けとめる。

 ……鋼みたいだ。まさに盾と化している。護符の力と布に秘められた護りの術がぶつかりあい、俺は空中へと押しかえされる。劉昇も後ろへとよろめく。

たあ!
朱雀のものもか
 劉昇が天に叫ぶ。ドーンへと雁行の光が向かう。
(……今のドーンが術の光など受けるはずない。俺は確信している。二人がかりでやってやる)
 怒りが鎮まるはずもない。木札をさらに強く握る。憤怒が脈打つように木札へと注がれる。護符を持つ手を伸ばし、また男へと向かう。劉昇が剣をかまえる。
くっ
……。
 巨大な剣と小さな護符がしのぎを削る。剣は俺を突き刺せない。護符も劉昇へと届かない。おたがいにさらに力をこめ、俺と劉昇ははじき飛ばされる――。
……。
……。
 俺は空中で耐える。劉昇が背を向けたまま跳躍する。俺も空中を追う。半月を越えて、劉昇が空中で振り返る。布を地へと落とし、破邪の剣を両手で持つ。
貴様、なにの化身だ!
 闇空で劉昇が叫ぶ。鋼色の巨大な輪が俺へと向かう。俺は護符をかざし立ち向かう。
ズンズンズンズン…
 巨大な環状の光を、俺と護符は突き抜ける。痛くなどない。衝撃が伝わるだけだ。劉昇は空中で二段跳びをする。上空から、両手で握る剣を俺に向け落下する。
この世から退散しろ !?


バサ
 叫ぶ劉昇に赤黒い鳥が突進する。
(……四神くずれではない。羽根を生やし四肢のある異形……、小柄すぎる天狗)
はやく川田を助けろ!
 真の異形と化したドーンが吠える。
人であるのを捨てた? いや……
 劉昇は剣から片手を離し、ドーンへと手のひらを向ける。くちばしを受けとめる。――一瞬だけ、劉昇の剣先が俺とドーンのあいだで揺れる。
(こいつは終わりだ)

 刹那に感じる。


 劉昇と交差すべく上空へと飛ぶ。剣をかいくぐり懐に入りこむ。

劉昇!
 護符を強く強く発動させる。

 発動!


給受・九天応元雷声普化天尊
ぐはっ
うっ

 剣の柄で殴られて叩き落とされる。地面手前でふわりと浮く。

 上空へ護符をかざす。

……ぬかった
スースー
 ドーンであった異形へと光を放ちながら、劉昇は俺から離れて着地する。小走りして、俺と横根のあいだに入る。俺からの彼女の盾となろうとする――。
……。
 その様を見て怒りが急速にしぼむ。劉昇は俺に剣を向けながら片膝を落とす。

怒りに任せて、まだ戦うか? 授かった力で迦楼羅(かるら)とともに戦うというのか。

ハアハア

私を邪として扱うのか? それとも貴様らが邪――ゴホッ

 むせて、血を吐いた口もとをぬぐう。


 ドーンが露払いのように俺の前へ降りる。

もういいからさ、川田を助けろよ。助けてくれよ
 
(ようやく俺は川田のことを思いだす。狼へと目を向けるが、すでに消滅していた。

でも、魂はまだそこにあるはずだ)

痴れ者どもめ……
 劉昇が横根へと手を伸ばす。おさまりかけた怒りがまたあふれるが、劉昇は珊瑚の玉を握るだけだった。首をかすかに振り、よろめきながら立ちあがる。
フワ
 風がないのに、緋色の布が劉昇の足もとへと舞う。
あなたが川田を狙ったからです。狼にあった人の魂は、見えないけど消えていないですよね。まだ間にあいますよね?

(血を吐きながら言葉をだすこの人を見ると、怒りを持続できない)

魂を残すために、我が盾を通して術をかけたのだ。


玄武の光だけを削った。……四玉と巣があるかぎり消せるわけはないが、その力は衰える。魂も少なからず弱るだろうが、狼と化すほどの者ならば容易に耐える

なんで先に教えないんだよ。そんなの分かるはずないだろ
 ドーンが俺の横へと浮かぶ。
説明する必要がなぜにある? 四神くずれのものどもに
……。
 劉昇が再び剣を緋色の布で包む。
鴉とわらべの異形などに……
 

(手のひらの木札は静かだ。戦いは終わったと感じる)


川田はどうなるのですか?

黒い光は魂を捕らえたままだ。やがてひとつに集まりだす。川田というものは、また異形としての姿で現れる。

……貴様が隠していた力を見抜けなかった私にも非がある

 よろめきを耐えて歩きだす。非常口に消える。階段を重たげに歩く音だけが響く……。
行かしていいのかよ?
 ドーンが俺の頭に着地する。俺の怒りが消えたから、もはや迦楼羅ではない。俺の頭がお気に入りの止まり木の、ただのカラスもどきだ。
師傅には峻計を追ってもらわないと
 力の抜けた俺が答える。
(……あの人は嘘偽りを言わないだろう。横根はじきに目を覚まし、川田の魂はまた異形へと戻るのだろう。弱った光と心のために、亀になるか蛇になるか知らないけど)

……だね。そんで箱が取り戻してもらわないと。


そんでそんで、思玲に説得してもらえば人に戻れる。もうすこしかもな

(なにがもうすこしか知らないけど)


桜井も人に戻してもらうからな

(ドーンを巻きこむほどに感情をむき出したためか、体中の力が抜けている。……木札もかなり酷使した。握りしめたままの手を開ける。木札は呪符を薄めることなく存在していた。怒りなんかをこめたのに穢れなかった……)
(俺は静まりかえった屋上で考える。川田が復活するのならば、俺は勘違いで劉師傅を傷つけた。でも……、俺の心のどこかで劉師傅を倒すことを望んでいたのかもしれない。桜井を守るために……。

 そんな邪な感情をお天狗さんは引き受けてくれたけど、いずれ俺のもとを去っていきそうだ。でも俺だけ守られても仕方ない。あとの四人も人に戻るまで守らないと。それは思玲が言ったように、護符でなく俺の力で……。


 なにを偉そうに。五人が力を合わせるだけだ。そのためには、まずは川田が復活しないと。横根も風邪をひくまえに目を覚まさないと――)
(劉師傅に聞かねばならないことがあった。楊偉天の所在だ。

師傅の口ぶりだと、峻計達がいう老祖師は生きているらしい。そいつもじきに現れるのか? そいつは桜井を青龍へとするために……。

ならば、俺はまだ火伏せの札を手に戦わないとならない。もう怒りで我を忘れるなんてしたくないけど、彼女こそ守らないとならない)

ブルブルブル……
スース…
バイブの音か。瑞希ちゃんの家族からだろな

ピョンピョン

(ドーンが俺から飛びおりて、横根へとぴょんぴょん跳ねる。

年ごろの女の子と夜間に連絡が取れないのだから、両親はいてもたってもいられないだろう。彼女は人間の世界に存在しているわけだし。

今は何時ぐらいだろう。妖怪だろうが気にかかる……)

 クーンクーンと動物の鳴き声がした。

……やっと覚めてくれたかよ


(川田の声が続いた!)
長いこと悪夢を見ていた。夢だと分かっていても、目が覚めなかった。……起きたところで、もっと悪い夢がまだ続いているのだろうな
 俺とドーンは振り返る。狼はいなかった。
……。
……。
ハッハッ

フリフリ

ハッハッ

フリフリ

 代わりに黒い子犬がいた。うずくまった子犬が四肢をあげる。俺達を見て、丸まった尻尾を振る。
その(つら)はなんだ? ……あの男はいないな。俺の感だと分かるぜ
(おそらく、川田は柴犬の子犬になり変わった。黒い光が弱まったため柴犬となり、弱った魂が子犬へと誘ったのか?)
ハッハッ

タッタッ

ハッハッ

タッタッ

 子犬は俺達へとはしゃぐように駆けてくる。片目は潰れたままだった。
目はまだ痛いが体が軽くなった。さらにパワーがあふれだしたみたいだ
(川田はまだ自分の変化に気づいていない。そりゃ子供だもの、エネルギーのかたまりだろう)
う~ん
チラ

瑞希ちゃんの寝顔……。なにがあったっけな? 悪い夢が長すぎて、間近の記憶があいまいだ。あいつに操られて、松本を乗せてここに来て……

カッ、覚えてないなんてうらやましいね。

俺もはやく忘れたいよ

う、うんん……
(横根が寝返りをうつ。彼女の目覚めも近そうだ)
瑞希ちゃんを守ろうとしたのは覚えているぞ

チョコチョコ

 子犬が彼女へちょこちょこと歩く。
朝がたにも言ったけど、今の俺は犬族だからな。これは心配している証だから、どうにもならない

ペロッ

(子犬が横根の頬をなめる)
……松本。俺、小さくなっていないか?
う~ん~

ポリポリ

 自分の前足を見て茫然とする川田の横で、頬を軽くかきながら、横根がまた寝返りをうつ。ぼんやりと薄目を開ける。
……。
……。
……やっぱり、七実よりかわいい
……ニコ

 目の前にいた柴犬と目があって、小さく笑う。

川田君? 子犬になったんだね
 横根が手を伸ばし、柴犬の頭をさする。
ドキドキ
狼よりずっといいよ。でも目を怪我している。かわいそう



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