十三の一 大姐の二胡

文字数 2,572文字

ゴツン!
うわあ

(なにかを頭にぶつけられて目が覚める)

(血の色の明かりは消えていた。音慣らしのように、弦楽器の音はまだ続いている)
 
(すぐ横にリュックサックが転がっていた。これを投げつけられたのか)ヒドイ…
全部持っていろ
 少女の声とともに、赤色の野球帽が回転しながら俺の前に着地する……。
(頭がぼんやりする。起きたことがリアルに感じられない。人が死んだことさえ現実感がない。なのに式神達の消滅を思いだして震える。

 当たり前だ。ここは現実の世界でないのだから。いまの俺は、隣りあわせた世界の住人なのだから)

フワッ

(リュックサックを抱えて起きあがる。背のあたる部分に、ドロシーの汗と石鹸をかすかに感じる。あっちの世界の香りだ。もう一度だけ嗅ぎなおしてしまう)

クンクン

アンディ……
うう……
棒を返すから、扇を返せ
(思玲の声がする。少女は、シノを抱きしめるドロシーに指揮棒を突きだしていた)
ヒック、ヒック……
戦いは終わってない。泣きたいのならば、香港に帰ってから泣け
……。
クーン

松本……

ヨシヨシ

(俺の横では、リクトが弱弱しげな声をだしている。その頭をさすってやる)

ドーンも無事だがね
こりごりだ。

哲人。護符があるならもう呼ぶな。いますぐ私をマチに帰せ!

(フサフサはしゃがみこみ、まだカラスを抱いていた)
人の目に見える異形どもを人の世界に行かせられるか

(樹上から声がした)

……。

だが不憫な連中でもある

(ドングリの木(そう呼んでいた)の高い枝に、おかっぱ頭の女性が腰かけていた。弦を右手にして三味線のような楽器を抱えている)

スタン

わお!

(女性が二階建ての屋根ほどの高さから飛び降りる。両足で動作なく着地する。

 小柄で少しずんぐりした体形だ。母親と同じほど、五十歳ぐらいだろうか。黒髪に赤いシャツ、黒色のパンツ。この人も魔道士だろうけど……、それよりあいつらだ)

使い魔は!

(奴らだけは抹殺してやる)

うるさい。取り込み中だ
(即座ににらみかえされる。少女は扇をポーチにしまいながら、)
師傅さえも一目置いた者が来た。逃げられるものは、逃げるに決まっている
(声をひそめて言う。

……俺は女性をあらためて見る。夏の虫は鳴きなおしていた)

お別れは済んだか
……。
……。
沈大姐、お手をわずらわせ面目ございません

ソソクサ

シノ。アンディから離れてくれ

……シノ
♪♪♪……
(ドロシーが沈大姐と呼ばれた女性をにらみながら、シノをうながす。女性が楽器を弦で引く。切なげなメロディーが奏でられる)
 アンディの体が青い炎に包まれていく。
♪♪……

弔いの祈りさ

ヘーコラ

大姐の二胡で弔われるとは。異国での無念の死といえ、この男も報われるでしょう

ヘーコラ

(思玲はひたすら低姿勢だ。真夜中の山奥でなければ、小学生が先生に媚びへつらうように見えるかも)
(掃射音とともに、お天宮さんはまた眠りから覚まされる)
上海に送られて報われるはずない!
……。
(ドロシーが空に機銃をかまえたまま沈大姐をにらむ)
ヒエエ
何用だ! 龍はここにいない!
お前こそ何度も何度も眩しいのだよ
キタキタ
(フサフサがやってきた。気絶したカラスを俺に押しつけて、)
ハラペコ、いつまで寝ているのだい!


バコーン!

 黒猫を蹴っ飛ばす。
ネコキック…
ヒュ~

ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……

……。
(……六回転して動かないのを見て、思玲の顔がひきつる)
ははは。その猫の言うとおりだ。露泥無(ロウニィウー)、でかい口を叩いておいて情けない
♪♪♪♪♪
わああ!
わああ!

(沈大姐が二胡をかき鳴らす。腕のなかでドーンが跳ねおき、露泥無と呼ばれたハラペコも飛びおきる。

 大姐がドロシーをにらむ)

お嬢ちゃんも粋がるな。私は、政府からもこの国からも頼まれていない。先々代が百年以上も前に受けた依頼の始末に来ただけだ
……?

(俺の胸もとでカラスがもぞもぞ動く。)

俺は平気だから、服に入れるなよ
(ドーンは寝たふりを続けやがるが、カラスとリュックを抱えるなんて、いまの体には大荷物だ。上海って言ったよな。思玲の言動からして、かなりの力をもつ魔道士なのだろう。

……百年前といえば大正明治辺りか。どんな依頼のためにここへ現れて、俺達を救ってくれたのだ)

ハッ

(この人は俺の視線に気づく)

宵になってから見物させてもらったがね。お前が一番面白かった
はあ

(この人は笑っているけど目は笑っていない)

あの劉昇を倒したのは、やはり死にぞこないの爺さんではなかったな
!!!
(劉昇?

 思玲の師匠のことだよな。その人は俺達をかばって死んで、思玲はその仇討ちのためにこの世界に来た。

もはや夢物語などと思わないけど……)

大姐には関係ございませんので、憶測なさらぬように

(思玲が即座に言う。……深読みすれば、俺がその人を倒したとでも?

 俺は手もとのカラスを見る――)

グーグー
(ドーンは俺にも寝たふりしやがった)
王思玲、きつい目をしてもかわいいだけだ。


あんたらを助けたために、私は妖魔を消滅させる機会を逸してしまった

(沈大姐の目は笑わない)
…私たちに手をだしたら、十四時茶会が黙っていない

聞こえないよ


あんたら全員を殺した奴らを追跡して、日の出を待ち処分できるはずだった
…ゴクッ
(あの姿を見せない使い魔のことか)
それが百年以上前の依頼なのですか?
ヒクヒク
 俺は尋ねる。思玲の顔がひくつく。

フッ

あんたが口をだすとはね。本当に面白い子だ
(大姐の目がかすかに笑う)
封印された使い魔が復活したら消す。西洋の国から安い金で引き受けた依頼のために、私らは見張りを東京に送りつづけた。

……この式神が当番となり数年で封印は解かれた

は、はい

ヨロヨロ

(視線の集中を受けた黒猫がよろよろと四肢をあげる)
台湾の連中は妖魔の思い通りに使われた
ピク
内輪もめにつけこまれた
ムカムカムカムカ
グーグー
…アンディ
(なんの話か、俺はなにも知らない。ドーンは薄目を開けて、すぐに閉じるだけだ。シノはアンディが消えた前でしゃがんだままなのに、誰も寄り添ってあげられない)
反応が鈍いね。もう一度言おうか?

台湾の連中は内輪もめに――

ギリッ
そんなことはどうでもいい。その時にでくわした首領が、受けついだ使命を果たすだけだ。

だけど、しくじってしまった。

分かるか、王思玲

……。

 沈大姐が少女を見おろす。


落とし前をつけてもらわないとな



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