四十四の一 シャツの中の白猫

文字数 3,301文字

……トリッキーだね
(緋色のサテン越しでも体にしびれが伝わる。……心に怯えが走る。それでも俺は転んだりしない)
 櫓の上から、楊偉天が俺達を見おろし笑う。

ヒヒヒ、昇の盾と剣の勝負か。


藤川よ。それを破れぬとは、剣の輝きはまやかしかな

 楊偉天が杖をかかげる。そして降ろす。
 
(飛んできた赤い光を、俺は浮かびあがって……避けられない! 昨夜の感覚で戦っては駄目だろ――)

(顔をかばった手が光をはじき返した。

 手に独鈷杵が戻っている!)

えい!

(ならば、それを投げる)

ビュン
ヒヒヒ
 
(老人は蜃気楼と消える。独鈷杵は俺の手もとに戻ってくる)

フワフワ

夏奈ちゃん夏奈ちゃ――松本君!
え?
……。
ちっ

(背後からの気配。俺は空に逃れる……。

 ラスボスクラスが同時攻撃かよ。緋色のサテンで護りの術を使えたら。それとも)

大姐に借りたのは十字羯磨だっけ? 結界が張れるとか言っていたよね

 心がつながる横根へと尋ねる。

 跳ねかえしでも姿隠しでもいいから張ってくれ。

え、どうやるの?

(中学生ぐらいの横根が俺の目を覗きこむ。十字の法具を握っていた)

さあチラ

そ、外にでてみるチラ
(白猫がシャツから俺の頭へとよじ登る)

フワフワ

あの人に借りたもの、また消えちゃったよ……
(トリセツぐらいつけて欲しい)

フワフワ

……。
(藤川匠は俺を見上げるだけだ。劉師傅みたいに跳躍してこない)
ヒヒヒ
松本君、後ろ!

チッ

(俺は楊偉天へと向きを変える。飛んできた光を独鈷杵ではじく。

 座敷わらしみたいに、もっと素早く動きたい。しがみつく横根の爪が痛い)

人間の爺さんもガキも、あんなのろまに当てられないのかよ
(土壁の声はどこからだ)
火焔嶽!
(崩れた家屋から炎と毒が飛んでくる。あの五叉槍は復活していたが距離があるから余裕で避けられた。まがまがしい花火は離れた場所で破裂する)
おろかな犬め。倒すのが目的ではない
(背後からカ・アラハミの声。振り向くけど誰もいない)
だが楊偉天殿。こいつを殺せば青い光だけ残るのではないか?
(結界だ。なにもない至近の闇から光が生ずる)
まただニャ
 独鈷杵ではじこうとするが、迂回して頭上の白猫に直撃する。
ヒュ~
(落下しかけるのをつかみ、シャツにしまう)

横根!

(傷ついた横根が俺に倒れこむ。なのに外へと意識を向けないとならない)
こいつを殺すと夏奈が怒る。

彼女は怒ると怖いからね

そんなの俺だって知っている
夏奈ー、横根がヤバい!
 俺も叫んでやる。オーロラの上の空は、さきほどより星がひろがっている。
横根! 自分に祈れ!
うう……
ニャ…

横根……

(彼女は目を覚まさない。彼女の魂が遠ざかる。服にいるのは弱った白猫に――)
……へえ
(俺の怒りが独鈷杵に流れこむ。……横根を傷つけた奴は楊偉天の劣化バージョンだ。そしてそいつは、)
そこだろ
 俺と藤川匠の対角線上だろ。
シュッ
な?
(独鈷杵が結界を切り裂き、驚愕したカ・アラハミの頭上に突き刺さる)
……こいつは
ゼ・カン・ユ様……無念
 
 年老いた獣人が闇のなかで溶けていく。
「「バウバウ、バウバウ」」
アラハミ。

お前がこいつを怒らした。自業自得だ

ブルッ

(涼しい声がした。

 藤川匠以外は声もださない。双頭の犬だけが怒り狂っている)

「「バウバウ、バウバウ」」
ゴオオオオ
(俺は護布を右手に持ち、飛んできた業火を受けとめる。なんかの矮小種へと独鈷杵を投げる)
シュッ
ガブッ
 
(片方の犬の牙が受けとめ、噛み砕こうとして顎から溶けていく)
(独鈷杵は俺の手へと戻る)
起きろ
ビクッ
 俺は横根へと命じる。腹の中で、白猫がびくりとする。
祈れ
え、うん


私は私のために祈ります。みんなの力になるため、この身を削るため――

(彼女はうつろに祈りだす。彼女の人である魂が戻ってくる。

 茂みからの気配!)

 
 

(護布で炎を受けとめる。毒の破裂から息を止めて逃げる。

 あいかわらず野良犬は加減をしない。まがまがしい火焔嶽へと独鈷杵を投げる)

シュッ
松本のテッポーだ

くそっ

(土壁が闇へと尻尾を巻く。独鈷杵は空振りして戻る)

(俺は空を見上げる。夏奈はまだ来ない。

でも時間が読めた。夜半まであと一時間ほど。露泥無と同じく新月パワーのおかげか?

 知ったところでどうなるんだ!)

ま、松本君怖いよ。川田君とドーン君を探してよ

(俺のなかで横根が怯える。

 二人が村落跡にいるのか森にいるのかすら分からない。かすかに残る座敷わらしに、新月の力を見せろと命じる。分からない)

楊偉天。あの二人を解放しろ
し~ん
……消えた
 上空からの老いた笑い声。

わあ

(結界が降ってくる。避けきれない。独鈷杵ではじくが、逆さまの臥龍窟は増殖して、そのまま俺を地面へと叩きつける)

 鏡を持たぬ老人が上空から冷淡に見おろす。

お前も閉じこめてやる。

いや、無理か

おりゃあ!フワフワ

(いまの俺に怯えはない。独鈷杵を通じた砂粒ほどの力が結界を裂く。俺はふわりと飛びだす――。いや、無理だ。いろいろ収納した体がのろすぎ。増殖する結界に足を挟まれる)

うわああ
 叫んでしまう。結界を独鈷杵で切り裂き、なんとか脱出する。穴の開いた屋根へと着地する。……ちぎれかけた足は治っていく。
いよいよ俺は新月に舞う妖怪だ!
ふっ
ヒヒヒ
チラッ

(夏奈は宇宙。ドロシーはサキトガ。いま助けるのは親友二人。

 下に注意しながら空をちらりと見る。まだ神殺の結界は天上を閉ざしていない……!)

 二度見した目に激痛が走る。

カカカ、えぐったよ。

ゴックン

まずいけど頑張って飲みこんだ。もう復活しない

ヤバめかも
わあ! わあ!

(右の目玉を竹林に食われた。横根が俺へと祈る。喪失した眼球の痛みは消えない。闇への恐怖が復活して、闇雲に独鈷杵を投げる。空振りして戻ってくる)

 藤川匠が俺へと声かける。
降りてきな。

君は逃げるべきじゃないと思う

(逃げ場を探って見上げたわけじゃない。感づいたからだ)
冷静になれ
(頭に張りついた闇が小声で言う)
松本に加担するように命じられた。本来の姿の僕は、新月の夜だけは宙に浮かべるからね
(加担じゃないだろ。珊瑚や護布の見返りにレンタルされた。

 割に合うのか?)

露泥無?

昼間のお寺みたいに松本君を隠してよ。それと、十字なんとかの使い方を教えてよ

 
 
来るな!

(鏡の楊偉天が放った赤い光の大蛇が這いのぼってくる。独鈷杵で霧散させる。妖術を受けて家屋が崩れる。

 俺は竹林に怯えながら空に浮かぶ。失った右目が痛い)

まずは念押ししておく。大姐は、松本が楊偉天を追いつめるのを危惧している。もしくは鏡を破損することを

奴を倒すに決まっているじゃないか。

(俺は舞台を見る。鏡を下げた老人はいなくなっていた。上空で偽りの老人が笑う。

 暗渠になった右目が痛い)

鏡の龍が復活してもいい!

五人が向こうの世界に戻るためならば

キッパリ

僕はそれを阻止するために来た。厳密に言うと、その姿勢を韓国の老人にアピールするためにね

淡々と

藤川匠を倒す手助けだけしよう。まずは覆ってやる

(俺は露泥無の闇に包まれる。……やさしい闇だ)
こいつも仲間だと、助けるべき仲間だ

 座敷わらしの残滓が訴える。

十字羯磨が消える理由を知りたいか? それは横根の甘えのせいだ

 包む闇が告げる。

……。
法具は所有者の感情に呼応する。それを阻害するのは松本への甘え。そして自分へと目を向けてくれる期待。

それを捨てれば法具は輝く

……。

(中学生である横根が俺から顔をそむける。……彼女が甘えているかなんて、甘えて生きてきた俺に分かるはずがない。

 甘えゆえに激情する。夕立の寺で露泥無が言ったよな。それが悪いことなのかも、俺には分からない)

 だから俺は俺のなかで彼女を抱きしめる。

横根。もっと甘えろよ

(端から手をつけてやれ。どうせ記憶なく人に戻るか、異形で消えるかだけだ。横根の素肌を感じてやる)
ま、松本君、は、恥ずかしいよ
(彼女は赤面だ。熱さえ伝わる)

上空の空気が変わった。お前達、なんかしているのか?

……。

……。

……だとしても、もし青龍が来るのならば、それこそが機会、ぐえっ

わあ

(俺達を包む闇が落下する)

キキキ。貉、完全なる闇とかになっとけよ
(闇の向こうでサキトガの声がした)



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