二十一の二 雷雨さえも平伏する

文字数 2,779文字

 
(俺はフサフサを見る。雨に叩かれて動かないけど、まだ存在している)
(俺は林をさぐる。鏡を持つ老人がどこにいるかなど分からない。雷雨と羽音だけだ)
ブワーン
ブンブンブンブンブン
(……巨大な羽音と、無数の羽音が集まったうねりが背後を追ってくる)
(俺はジェットコースターみたく空中を一回転して、異形の蜂どもをまく)
 フサフサのもとへ降りる。彼女は意識がなかった。
 
(昼間買ったばかりなのに、ぼろぼろの服。フサフサは酸の雨を全身に浴びていた。胸もとの傷口へと天珠を差しこむ)
松本が持つべきだ。それがあるから、オニスズメバチの群れはお前を襲えない。エンマスズメバチには効かないけどね
(闇はすぐそこでうごめいていた。だったら、なおさらフサフサに持たせる)
海神の玉とは違う。苦しむ時間を長引かせるだけだ。それよりドロシーの荷物になにかある。松本は手を入れられただろ――!
 闇が怯えた。
……。
……。

(老人が岩の上から見おろしていた)

龍は白笛川に張った結界を抜けた
クワッ
(楊偉天が杖を高くかかげる。俺達の真上で、巨大な蜂が顎を裂けるほどに開ける)
 
ひっ?

(楊偉天が杖をおろす。そして驚愕の顔で消えていく。

 知性もない蜂達がうろたえる)

さきほどの礼だ
雅……

(風雨を浴びてもなおも気位。林から蒼い毛並みの美しき獣が現れる。小柄な老人の肩をくわえていた。楊偉天の苦悶の顔の下で大きな鏡が揺れる)

二日も待たない。明日の夜だ。さもなければ私はシノ様から殺す
ふ、ふざけるな
この干からびた人間の始末は自分でしろ

ポイッ

ドサッ
サワサワサワ…
(雅が楊偉天を落とし林へと去っていく。樹木がさわさわと揺れる――。
 放すなよ! 絶対的チャンスだっただろ)
なぜに蒼き狼が里の山にいる?
(肩を押さえた老人がよろよろと立ちあがる)
なぜに貴様の味方をした!
 
!!!
(老人は肩をさすり、蜃気楼となる。蜂達が我に返ったように俺を見る。フサフサをも餌として見る)
(俺は襟に手を入れる。お天宮さんの護符を握る)
そのお札は哲人のものでないだろ
!!!

(フサフサは薄目を開けていた)

私が持つべきだったよ。哲人を守るためにね
(野良猫であった女性がまた目を閉じる。雨が叩きつける)
松本、時間がないのは分かっているのだろ
うるさい
大姐を呼ぶべきだ。あの方は悪人だけど極悪人ではない。

リクトは絶対に人に戻れない。だったらケビンに託すよりも、大姐の式神となるのが――

うるさい。どうせ時間切れだ
え?
 空が大きく揺れた。

わあ……

(とてつもない落雷に、エンマスズメバチが一撃で切り裂かれる。天と地がうなりをあげる)
 
咆哮を浴びて、オニスズメバチ達が地面に落ちて溶けていく
バキバキバキ
ひっ

(山が崩れると思わせるほどの稲妻)

 巨大な龍が天上から沢を覗く。







 
 ふたつに裂けた巨大な蜂が痙攣しながら溶けていく。
な……。大姐の言うとおりだ……
(闇である露泥無がつぶやく)
龍になど関わったら、命がいくつあろうが足りるはずない

(龍は谷間に沿って全身を現す。銀鱗は暗く、蛇のごとき体に巨木ほどの四肢が生える。

 青くはない龍が沢を覆う。嵐さえも龍にかしずく)

五本爪
……。
でも僕は関わる。大姐の名誉のために
 
(龍は谷に浮かぶ空そのものだ。その体以外に存在しない。ふいに龍が高く浮かび、向きを変える。また降りて渓谷を包む。その巨体に雨がとだえる。上空の雷は絶え間ない)
 

夏奈……


(こんなのが桜井であるはずない。でも)


夏奈!

(俺は浮かびあがる。胴体に沿って顔を目ざす)
 
(……でかすぎる。俺なんかハエ以下の存在だ。こんなのが夏奈であるはずないけど夏奈だ)

わっ

(龍はいきなり上空にでる。風圧に飛ばされそうになり、畳ほどもある鱗にしがみつく)

 
(龍は上空でゆったりと円を描く。なにかを探している。おそらく俺の持つ青龍の破片。もしくは餌としての楊偉天)
夏奈! フサフサを助けてくれ!
 龍の耳もとで叫ぶ。俺の声が届いているかなど分からない。龍がまた下へと降りる。

 ひげに乗り、龍の目へと訴える。

桜井夏奈!

フサフサを助けろ!

 
(こいつを人に戻すなど後回しだ。いますべきことは、ひとつしかない。……感情のない巨大な目は、ちっぽけな座敷わらしなど見向きもしない。なにかを探しているだけ――)
プルンプルン
わあ

(龍が顎を軽く振り、俺は地面に叩き落ちる)

座敷わらしめ……
(鏡を持たぬ楊偉天が面前に現れる)
貴様はどこまで頼る。呼びつける
…………ふっ

(そんなシンプルなことだったのか。孤独な老人が恐れたのは、仲間に救いを求める、か弱き妖怪の力だった)

 
楊大翁

貉か

(地味めな女の子が闇から現れる)
私めは上海不夜会のさもなき式神でございます。

ところでチベット黒貉の噂はお聞きでしょうか。あの高原にひそみ知識だけをあさる、みすぼらしい異形を。

そのひとつが、あるお方に付き従ったことを

 
(龍が俺達を一瞥した。俺達を吟味しだす。……俺を見ろ。俺に気づけ)
……あの娘が日本にいるというのか? あの翼竜を……、あの海獣も連れていると言いたいのか?
あいにく(タン)は来ておりません。

ちなみに、こいつらは西洋の妖魔どもを誘いこむ餌でございます。その貉は、その餌を雑魚から守る使命を授かっております。

……あなた様は神殺の鏡をそれ以上使うべきではないと思います。さもないと、封じてある蛮――

だらだら話すな!
わっ
フワッ
(露泥無が抱えていたリュックが浮かぶ)


やめろ!

儂があの娘……、奴もすでに婆さんだろ! 儂が沈栄桂(シンロングイ)を恐れると思うのか?
儂が貪を御せられぬと言うのか!

ヒッ

叫ぶ老人を龍がくわえる。すぐに吐きだされる。
 
 
 噛み砕かれた楊偉天が消えていく――。
 
(龍が俺達を見る)
あ、後は任せた
……?

(露泥無は闇に化す。フサフサが面倒くさげに目を開ける。俺は浮かぶ)

夏奈!
 
(俺は懐をひろげて龍の頬に張りつく。俺のなかに包みこめるはずなく、人として心もつながらない。龍が空を見る)
 
ヒヒヒ
(雨に薄い白髪が貼りついた、鏡を持たぬ老人を雷光が照らす)
夏奈よ。想像以上にやさしい龍だな
…………。
(神殺の楊偉天がドロシーのリュックを手にする)
お前が探しているのは、儂でも青い破片でもないのか。この中にある箱か?
……お前が
……お前が触るな。その中身は、そのリュックサックも、かけがえのないものだ
ヒヒヒ
穢すな!
 
ヒッ
 老人へと突進する。蜃気楼となりかけた顔をぶん殴る。
ヒッ……
 
(楊偉天が首を150度にねじりながら消えていく。消えかかるリュックを奪還する)
 
(龍の巨大な目が俺を見た。ショウジョウバエぐらいとしても、ようやく俺の存在を認める。豪雨に叩かれながら、その鼻さきに浮かぶ)
桜井夏奈
 俺は龍に命じる。
俺と心を交わせ
 

 ゴミみたいに龍の鼻頭に張りつく。かすかに心が通じる。





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