二十五の二 完全アウェイ

文字数 3,048文字

(非常灯だけの世界。

 妖怪だから行き先がはっきりと分かる。清廉な空気と、閉じこめられたまがまがしい気配へだ)

カツカツ…
(図書館には何度も来ているが、存在すら知らなかった階段から地下へと降りる。思玲が未施錠のドアを開ける。無数の本を感じる)
 地下階全面の書庫は、人により意図的に乾燥をもたらされていた。日本でも有数の私立大学だけあって、幾重もの通路の両脇に本棚が連なる。思玲とともにその奥へと進む。
……。
……。

 二人とも黙ったままだからコードを通る電気の音しか聞こえない。

 じきに核心にたどり着く。

   貴重洋書保管室。入室には許可が必要です
 そう記された部屋の前で立ちどまる。
……。

グイ

 思玲がドアノブをまわし手前に引く。
フワフワ
 暗闇に癒された俺は、彼女を追い越し室内に進もうとする。
ムカ

グイッ

ウワ
 思玲が俺を後ろに引っぱり、先にドアを抜ける。
西洋の術だな
(たしかに聖なる力を感じる。でも、これは慈愛の術ではない。戦いにおける城壁のごとき術だ)
暗すぎる。なにも見えぬ。

ここなら人の明かりも大丈夫だろ

カチ

 スイッチを押す音がして、蛍光灯がしばたきながら灯る。頭痛と吐き気を我慢する……。
(とても無理)
『馬鹿野郎。話もできないだろ』
『私達はアナログだ。灯を用意するから消せ』

カチ

先に用意しておけ
 思玲がまたスイッチを押す。暗闇に戻る。すぐに灯される。
(室内が血の色に照らされる)

ムカムカムカ

この邪悪な明かりはなんだ。ふざけるな。

……人の心を弱める明かりか。あさはかだな。哲人、木札をだせ。おこぼれで浄化してもらえ

はい

(俺には人の明かりよりましだ)

 赤く灯された室内は、いく冊もの古びた洋書が保管されている。入り口に書かれたとおり貴重な本なのだろうが数は多くない。空いたスペースのが目立つ。スキャニング済とか分別されている。本によっては、ラッピングみたいに処理されたものもある。


 学術めいた室内の一角に、褪せた金属製の小箱が無造作に置いてあった。

 箱の表面には、開封禁止とクラシックな英語がつづられている。文を囲み、鳥や龍のエッジングがほどこされている。そこから聖なる術と邪悪な気配が漂ってくる。
(これだ……)
 俺は木札を取りだす。
 
 両面の呪文めいた文字が消えていることに、ようやく気づいた。ただの木札になりさがったそれを箱へとかかげる――。

(聖なる術は揺らめきすらしない)


駄目みたいです。キッパリ

チッ

心を伝えろ。私によこせ

ウワ

(彼女が木札を奪いとる。それを胸に押しあてて、箱を抱き寄せ呪文を唱える。すこしだけ時間がたつ)

まったくもって駄目だな
(木札を突き返してくる)
『それはそうだ。お前達は東のはずれの異端だろ。

お前達の神など、いにしえの連中には受け入れがたき邪神だ』

『キキッ、せっかくお目にかかれたのに、噂の切り札も面目丸つぶれだな』
(最初に教えろよ……。俺達を連れこむために、こいつら目論んだな)
だったら早くでましょう。俺はだいぶ元気になったから。

ここに来るまでの闇がいい感じで、螺旋の光のダメージは消えました。


(思玲の胸の温もりのが救いになったけど、それは伝えない)


黒い光の傷はまだ痛いけど、さっきよりはましです。

ソソクサ

 木札をそそくさとしまう。
ムカムカ

あいつの術のが勝るなど百も承知だ。お前の穴の開いた服をみれば分かる。そこからまるだしの焦げた尻を見ればな

(そういう状況だったんだ。今さら感覚で尻を隠す)
『無駄話はやめにしよう。哲人君、それに駆けだしの祓い師よ。そろそろ本題に入らせてもらおう』
(使い魔のあらたまった口調に、嫌な予感が顔をだす)

戻りましょう。ここはお天狗さんの完全アウェイですよ。契約は合意に至らなかったってことで。

(呼ぶ声など無視だ)

『キキキ。ロタマモ聞いたか? 面白い妖怪だ。いや、人だ』
『サキトガ、こういう人間は案外大成するかもしれないぞ。我々の主も幼き頃そうだったと聞く』
   カチリ
(ドアが閉まり鍵のかかる音がした)
『ここからが契約の時間だ』
(部屋がさらに血の色に染まる……)
『本来なら身をさらさねばならぬが、封じられた身なので幻影で許してほしい』

わあ……

(ロタマモって奴の声だ。……ふるびた箱から闇があふれてくる。それがかたまりとなる。箱の上に大きなフクロウが現れる。天井へと羽ばたく)

 俺は思玲に張りつく。

『キキキ、俺も上からで失礼するよ』

 サキトガって奴のかん高い声が続く。

 黒いかたまりは部屋の上へと漂い、ひとつの形となる。

『キキキ』
 異様にでかいコウモリが、逆さつりになって見おろす。
わああ
 俺は思玲にしがみつく。
予想どおりの醜さだな。封印された貴様達など、怖くないと言わなかったか


 俺に貼りつかれたまま、思玲はドアノブをまわす。
カチャカチャ


……開かぬか。命あるもの以外には術をかけられるようだな。封じられてなおか


カチカチ

(彼女は蛍光灯のスイッチも押しやがるが、人の明かりは灯らなかった)
『ホホ。本来の力を推し量らないでくれ』
 ロタマモという名のおぞましいフクロウが俺達に顔を向ける。
『王思玲ならびに松本哲人。願望を聞くまでは帰せない』
『ただし時間がないな。大鴉はすでにこの祠へ来た』
……。
『あいつは人に術をかけた。なにごともなく事務室に入れた。フラッペもお呼ばれできそうなのに、あいつはずいぶんとお怒りだ』
『キキ、ああいう輩は尊厳が強いよな。やられた相手を無残に殺さねば、心が落ち着かないぜ。どうする?』

御託を並べるな。

人を相手には、干からびたイモリ程度の力もないくせに。なんなら私が消してやってもいい

『キキキ、法具をすべて捨ててきただろ。あの鴉を怒らせるためだけに』
『ウチワやナイフがあったところで、お前の力で消せるかな』
『そこまで言ったらかわいそうだ。いくら最初の師に大切なものを奪われ、次の師も情に欠け正義だけを振りかざす者だとしてもな』
(……これぞ呼ぶ声だ。弱みにつけこみ奈落へと誘う声だ)

まずはそこを責めるわな……


だが私は、心を覗き讒言をもたらすものへ怒りを覚えるだけだ。それから、あれは法具ではない。魔道具だ。勉強しておけ! それとフラッペとはどんな飲み物だ? そこまで伝えろ!

思玲、冷静に。ここをでる方法だけ考えよう

(人の心を弄ぶ魔物とともに、俺達まで封じこめられた。あてずっぽうな作戦はろくな結果にならないと、またしても教えられた)

私は落ち着いている。魔物などと言葉を交わす気もない。

そもそも、こいつらの力が尽きれば外にでられる

『あいつが来ているのだぞ。すぐそこまで』
『……たしかに。お前が老師についで恐れるあの鴉がな』
『その二人以上にお前が恐れるあの男も、いずれ来るかもしれない』
『あの男がお前の助けになると信じているのか? 劉昇は――』
いい加減にしやがれ! 覗くなら、心の奥までしっかりと覗け!
 
 
我が先達は異形や魔物から人々を守るために、古来より血を流してきた。私も……、か弱き私とてその末端だ!

楊偉天も劉師傅も関係ない。魔物と取引するぐらいなら、戦って倒れることを喜んで選ぶ!

……。

(中国語が西洋の言語を圧倒をする)

 思玲の剣幕に、室内が沈黙に包まれる。
……魔物達、ドアを開けたほうがいいと思うよ。あいつが来たら、誰もがろくな目にあわないよ
 フクロウとコウモリが目を合わせた。

『ホホホ、本当に面白い子供だ。

 さすがに祓いの者を口説くのは無理だな。ならば、この子と話を詰めるとしよう』

……オレ?



次回「ラテン語の誘惑」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色