二十八の二 座敷わらしと隻眼の狼

文字数 3,518文字

スタスタ
ウ…

(横根がコンビニに入る。黄玉は躊躇して入口で彼女を待つ。やはり珊瑚の玉をいやがる程度の悪鬼だ。

 俺だって鬼を馬鹿になどできない。ただでさえ力がないのに、店舗の明かりに照らされた路上になど降りられない)

…ウウ
ドン
ヨロ


ブルブル

 人の明かりを背に受けながら、鬼がしゃがみこむ。駆けてきた男性にぶつかりよろめく。開いた自動ドアからの冷気に身震いする……。
(俺も似たようなものだった。これを見越して、思玲は桜井とともに横根を守れと言ったのか。

……思玲の思いつきでうまくいったことなど、昨日からあっただろうか)

 
 それでも俺は懐から草鈴を取りだす。やっぱり俺は人でなしだ。
チリチリチリ、チルリリ……


(思玲と桜井が幾度となく吹いた草鈴を奏でさせる。伝えたいことを込める)

『横根は人に戻った。でもまだ危険だ。川田はさらに危ない状況だ。桜井には逃げていてほしいけど、俺は川田も横根も守りたい……。夏奈に助けてもらいたい』
(どさくさにまぎれて下の名で呼ぶ。笛の音が聞こえたならば、彼女はなにがあろうと来る。一年ちょっと、ずっと夏奈を見てきた俺には分かる。

問題は彼女が今どこにいるかだ。一番近いJRの駅でも、俺の笛の音はとても届きそうにない)





 

……。
…ヨイショット
スタスタ
……。
(横根が店からでる。黄玉が手をついて立ちあがる。横根は早歩きですたすたと行く。尾行する鬼はあきらかに元気がない)
 川田のアパートがあるT字路を車道の向かいに見る。人ごみのなか、俺も横根も鬼も無言で進む。
ドウゾ
サッ
ヨロ、フワ
(横根はパチンコ屋の前のティッシュ配りを軽やかに避ける。鬼は歩調を合わせられず、店員と衝突してふわりとよろめく)
ヒエエエー
 パチンコ屋のドアが開き、あふれだした騒音に怯える。
(こいつは人よりも弱っているな。俺と同じで消え去るさだめの異形だ……。……。…………)


喰らえ!

ぐお
 卑怯だとか言っていられない。急降下して黄玉の背中を蹴っとばす。鬼はよろめきながらパチンコ屋に転がりこむ。
 自動ドアが閉まり、鬼の絶叫が途絶える。
スタスタ
キョロキョロ
 横根はなにも気づかず歩き続ける。俺は彼女の背後に高く浮かびながら、ちょくちょくと後ろを振り返る。峻計は現れない。
チリチリリ
 また草鈴を吹く。思玲と行ったディスカウントストアも通り過ぎる。

チリチリ(夏奈聞こえるか)

 もう一度草鈴を吹く。
(駅までもうすこし。あそこに入れば一安心かな。構内も電車も人の明かりだらけだから、ここから先は彼女と珊瑚に頑張ってもらうしかない。俺にだって人に戻るためにやるべきことがある……。

現実逃避が終わってしまう)

 駅前の広場にたどり着く。


  パチン

(土曜の夜のざわめきの中で、指を鳴らす音が聞こえた)

クルッ

…ヤロウ
振り向くと、薄らいだ黄玉が這いつくばり人に踏まれ、恨めしそうに俺を見ていた。
……。
……。
 鬼が俺の背後を見つめる。俺も顔を前に向ける。
……。
 あいつの衣装は変わっていた。黒いスキニーにマリンブルーな光沢のブラウス。踵の高い赤いヒールが不釣り合いだ。
チリチリ(急いで)
 俺は草鈴をもう一度吹き懐にしまう。
スタス……?
こんばんは
 あいつは横根の前に立ちふさがる。
 
……。
 手を握られた横根が歩みをとめる。青ざめた俺を見て、人の明かりに照らされた桜の枝葉が笑う。
誰かがガラスを割ったうえに、思玲が警報を作動させたわ。おかげで鬼と魔道士と人が入り混じっての大混乱。琥珀が死体を隠しておいたのが救いね
……。
あなたの言ったとおり、自分の命より猫を守りたいそうよ。人の心はね
 
(あいつがまた指を鳴らす。大きな黒い狼が現れる)
 周囲から悲鳴があがる。
手負いの獣がいるなら、俺は陰に行っていいか?
 鬼が体を引きずり、あいつのもとへと向かう。
もうすこし見届けな。リクト、かかれ
ザケンナ!

(……あいつの企みが許せない。俺への残虐な仕返しに、川田に横根を襲わせる。俺は広場へと全力で降りる)

……。
ウー
……強い心だね
(峻計が顔をゆがませる。狼は横根へとうなり声をかけるだけだ。横根は蝋人形のように身動きしない。駅前にたむろする人間の好奇な目にさらされるだけだ)
リクト、襲え!


バコン

ウォン!
バシッ!
 俺は狼の顔に飛びつく。残された目をふさぐ。鼻を膝蹴りする。
川田! 目を覚ませ。横根を襲う気か
ウー!
横根! 目を覚ませ。はやく電車に乗れ!
……。
(俺の呼び声にも、どちらも反応してくれない。狼は俺を振りはらおうとぐるぐる回る。人間は遠巻きに見ているだけだ。峻計は……)
ふふ
(あいつは真横にいた。笑いながら小刀を振りかざす)
ビシッ
(体に衝撃が走る。巻き添えで川田がうめく)
耐えるのね。生意気な口をきくだけはあったね
(しびれなど、俺はひたすら我慢する。あいつの真横で狼の顔にへばりつくだけだろうと――)
ふふふ……
(あいつの手に黒羽扇が現れる。
 殺される……。川田と一緒ならと観念しかける。でも、まだ横根がいる)
(まだ消されない!)
……そんなに憤慨しないでよ。惜しくなるじゃない。


だったら白虎の娘を舞わせてやる。貴様への見せしめにな

……。
(あいつは横根へと体を向ける。その手を握る)
瑞希、屋上へ行くよ。黄玉は壁でもよじ登ってきな
…スタ、スタ
…ウウ
 あいつが駅ビルへと歩きだす。能面のような横根がそのあとをついていく。まわりの人間連中が二人に道を開ける。鬼がよろよろと起きあがる。
川田、目を覚ませよ! 横根が殺される
ウォン、ウォン!

(俺の怒声にも狼は吠えるだけだ。こいつは傀儡になっても頑固なままだ。首を上下に俺を振り落とそうとするので、しがみつくので精一杯だ。

 俺の想像が間違いであるはずなく、横根は傀儡のまま飛びおりる)

川田!
 俺は服をひろげる動作をする。はらわれるが空中で体勢を取りなおす。
 狼の顔を服で覆う。
(これで駄目なら打つ手がない)
松本、全裸で近すぎだ。……俺も素っ裸かよ
(俺の服に入ったときの状況を、川田は露骨に言う)
……俺の本当の声は聞こえているよな?
当たり前だ。あいつの術から逃げろ。横根が殺される
俺が瑞希ちゃんを噛むはずないだろ。でも、それ以外ならあの女の声に従うしかない。

……狼は動きをとめているな。俺の意思で動かせるかもしれない。いや、動いてやる。だけど、もうすこし離れてくれ

(川田が顔をしかめる。俺だってそうしたいけど)
それどころじゃないだろ! お前はじきに人に捕まるぞ。動けるならすぐに追え!
そのとおりだな
ハッハッ
(俺と川田の魂を乗せて、狼の体が動きだす。川田の心が俺を経由して、乗っとられた異形の体を走らせる)
……。

 外へと意識を向ける。

 狼は悲鳴をあげる人ごみをかき分ける。

ハッハッ
わー
きゃー

(人の目には、顔半分がない巨大な黒い犬。目も鼻も覆われているのに、前が見えているかのようだ)


屋内はやめろ! 屋上に間違いない。外から行け


(川田が注目を浴びるのはうまくないし、俺が人の光に照らされるのはもってのほかだ)

ハッハッ
 狼がUターンする。あらたな悲鳴が道を開ける。
ハッハッ
(狼は駅ビルの横を進み、そこにあるのが分かっていたかのように、非常階段を見つける。ドアノブを口でくわえ、顔をひねらす。引きちぎるかのようにドアを引っぱり、階段へと体をだす)
ハッハッ
カンカンカン……

(狼は休むことなく駆けあがる。鉄を踏みつける音が打楽器のように鳴り響く。

 屋上からの帰り道、川田は人から逃げられるのか。あとで心配するしかない。狼がすこし速度をゆるめる)


人を追いはらう術がかかっているな。俺も人だから嫌なものだが、かまうものか
(川田がまた駆けだす。人除けの術に突入して、俺の人としての残滓が不快を感じる。……よほどの信念がないと、人間はあの術に入ってこられないな。それに、あいつはあそこから階段にでたということだ。まだ追いつける)
カンカン、カンカン
片側の目が潰れて時間が経つにつれ、本能みたいなのが露骨に冴えだした。これが手負いの獣って奴かもな。目はまだ痛いけどな
……。
カンカン、カンカン


 階段を数段おきに飛びながら、川田が言う。

俺が術をかけられたのは、考えもなく飛びかかったからだと思っているだろ。でも俺は、他の人がやられるのを見るだけなんて二度としないからな
(俺は駆ける狼の顔を服で覆いながら、必死にしがみつくだけだ。川田への返事もままならない)
(屋上への非常口は開いたままだ。夜空が見える)
 その先に横根のカバンが落ちている。狼は勢いを削がずに突っこんでいき、
バコーン!
 結界にはじき飛ばされる。
わあ

 鼻さきにいた俺も、狼の体から吹っ飛ばされる。





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