雲の上の払暁

文字数 2,949文字

5-tuneⅡ 四神獣達のシフトアップ 


0.5-tune



 すべてが疎ましい。杖を濡らす朝露さえも。
老祖師、さきほどの大燕は?
 こいつの声こそが疎ましい。楊偉天は参謀を気取る式神へと顔を向ける。雲海の只中で姿が見えぬのが、まだ救いだ。
返事を渡す間もなく去った、おそらくは封じられた思玲を求めて。



いまだ伝令が足りない。竹林の捕らえた飛び蛇は使えぬものばかりだ。お前も捕らえにいきなさい

 なぜに、こいつに頼らざるを得ないのだ。

フッ


そのようなことには流範をお使いください。私めには過ぎたる役目です

それよりも書面の内容は? まさか(チャン)様からでは?

お前に教える必要はない
……。
儂は報告を聞くだけだ
 下から聞こえる小鳥のさえずりさえ疎ましい。
……蛮龍は高千穂に向かいました。そこでまた眠りにつきました
……。
大台ケ原で網を仕掛けたのは、やはり福建(フーチエン)の者どもでした。

厦門(シャーマン)(チェン)泉州(クアンゾウ)(タオ)

名だたる者が返り討ちにあいましたが、蛮龍はとどめを刺しませんでした

……。

 やさしい龍だ。なおも人の心が残っている。おそらく四玉の蒼光をすべて受け入れぬ限り。それか儂を食らうまでは……。

 楊偉天をつつむ霧が薄らいでいく。
陶の話が事実ならば
奴の式神は食われることなく殺されたそうで。

……ふふ。よどみを浴びさせてもらいましたので、紛れもない事実でしょう。あの山はさらに枯れ果てましょう

 聞きたくもないことまで伝える。……あの龍はもはや異形を餌と選ばぬのか。
上海(シャンハイ)は見かけたか? 鏡に陰りが差した
 龍を封じるためか、儂を殺すためかは知らない。それとも四玉に関わったものを根絶やしにするためにか。
沈大姐(シェンダーヂェ)の一派ですか?

彼らは大陸の切り札。この国の利に使うなど、あの国の政府が認めるはずございません

 白霧が流れだしたなかで影が答える。
(この異形はなにも分かっていない。国同士の駆け引きに――、こいつらより歪んだ人の駆け引きなどに気づくはずもない。

所詮、人を殺める手段にしか知恵の働かぬ魔物だ)

連中の動向は?
 最大の気がかりを聞く。
流範によれば、魔道団の本隊は台湾に向かったようです。……奴らは龍に興味ないようでして、あくまでも我々が狙いかと
…………。

 誰のせいでそうなったのだ。上海と香港、その両方に狙われるとは……。追われ逃れた七十年も昔を思いだしてしまう。

 儂は焦っているのか。失態の数々も焦りゆえか。齢が百を越えたゆえの焦りか?

いずれ面前に現れる。覚悟しておくのだな
 こいつを奴らに差しだしてもいい。
だからこそ、私はこの姿に戻りました
 霧が晴れる。漆黒のチャイナドレスをまとった峻計の姿があらわになる。妖艶な笑みを主へと向ける。
 霧は下へと降りていき、荒々しい戸隠山を雲海に浮かばせる。

……。


先ほどの言付けは麗豪(リハオ)からだ
 事実を告げねばならぬほどに追いつめられている。
やはり……。あの方は存命でしたのですね
お前は張とは関わるな!
ヒッ
 楊偉天が杖をかかげる。胸もとの鏡が朝日を照らす。峻計は笑みを凍らせ後ずさる。
麗豪は使命をまっとうした。近々合流する。


だがお前は決して奴に近寄るではない

……。

 楊偉天は静かに杖をおろす。

 琥珀よ。

 張麗豪が戻れば、この大鴉も処分できる。できれば、その前に消し去りたい。だが、あまりにも配下がすくない。龍の動向を抑えるだけで、大陸からの魔道士どもを追い払うだけで精一杯だ。

 霧が去り、両脇の切り立った断崖の底まで見える。龍はこの山には来ない。あの娘の魂が儂を避けているのだから。すべてが疎ましい。
飛び蛇はもういい。お前は大燕を追いなさい。その先に四玉がある
 そこに蒼光の残りかすもあるはずだ。
……もし、そこにあの若者がいたら、処遇はお任せいただけますよね






 

はっくしょん!


(……くしゃみで目が覚めた。また寝よ)







 

好きにしなさい。だが、まずは四玉だ
 あの朝から半月を過ぎたかと、楊は思う。人の世に戻ったものは、儂の記憶から消える。そいつがなにをして生き延び、なにをして峻計を怒らせたのか、さらには儂の邪魔もしたのか。記憶にないのだからもはやどうでもいい。しかし報いは受けるようだ。こんな執念深い魔物に憑りつかれるとは、自業自得とはいえ悲運な者だ。
(人としてむごく殺されるよりは、抗わずに消えていればよかったのに)








 

 
……。
 長身の男が蟻の塔渡りを臆することなくやってきた。大きな荷物を片手で背負う。こいつかと、楊偉天は更に暗たんとなる。




峻計さん、のろくて申し訳ない。二本足には慣れたのにな
ズトン
 大男がずた袋を山道に落とす。黄土色の作務衣を着た隻腕の男だ。刈りこんだ髪の下で、ごつごつとした細長い面の凶相が落ちくぼんだ目で笑う。
土壁(ツーピー)、お疲れさま
 峻計が男に笑いかけ、楊偉天に顔を向ける。
こいつが持ってきたものこそ、福建最強の魔道士である陳でございます。陶は生きて捕らえることは叶いませんでしたが
 峻計が小刀を宙にかざし、袋が縦に裂ける。
うう……

 縛られた血みどろの男が転がりでる。

 楊偉天ですら狼狽する。

なんてことを……。儂は陳に恨みなどない。何十年も会っていない
……楊
 楊の声へと、満身創痍の初老の男がうつろな目を向ける。
使い魔をおびきだす餌にしようかと。

これほどの男ならば、奴らも干渉せずにはいられぬでしょう

生け贄か
 楊偉天は考える。あの憎々しき梟と蝙蝠を呼びだし抹消する……。いや、儂はまだ堕ちていない。この齢にして、なおも純然たる探求者だ。そう思われ続けたい。
醜悪なことを口にするな。妖魔などと関与しない
 陳に弁明するように、楊偉天は人の声で言う。


 あの島に追放されたおのれを、もう一度認めさせる。そのために、青龍とともに凱旋する。誰も儂に異端の目を向けなくなる……。

 
……神殺よ

 楊は鏡をさする。

 またも京都へ向かうしかないか。我が盾となる禍々しい式神を手にするために。こいつらを頼らずに済むように。

楊……、私を殺せ
……?
義で動くも蛮龍に傷すら与えず、化け物どもに囚われた。

貴様に人の心がまだあるのならば、貴様の手で私を殺せ

峻計、この男を処分しなさい

(これ以上、こいつの前で術を繰りだしたくない)

ならば土壁と戦わせましょう。この男の雷術をぜひ見たいです。あの男の地を這う雷は見損ねましたので

 峻計が小刀をかざす。

 峻計の手の動きに合わせて、陳を縛った荒縄が切れる。

峻計さん。しっかり見ていてくれよ。

あんたがあの術を使えたら、空をいく異形も怖くない

 土壁の残された手に槍があらわれる。人の手のような真紅の刃先の五叉槍が。
火焔嶽(かえんだけ)……。おぞましすぎる魔道具だ)

ヨロッ

楊大翁。なぜにそこまで堕ちた。貴様も魔物とともに地獄で呪われるがいい
 
 陳がよろめきながら立ちあがり、絶壁へと身をひるがえす――。
(……自死を選ぶか。誰もこいつらに弄ばれて死にたくはない)



ズドン……



 残響が奥深い山にこだまする。陳の体は黒い光とともにはじき消える。
処分いたしました

 その声に楊偉天は振りかえる。対の黒羽扇を交差させた峻計が誇らしげに笑っていた。





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