落城

文字数 2,723文字

4-tune 



 疫病と腐爛の匂い。飢えと屈服の怨嗟。大筒と剣の音。死者と血。使い魔はいずれも受けとめる。報告が義務だから。








 もはや報告に意味などない。

『我らが主。思いなおしを』
 ロタマモはそれだけを告げる。
 巨大な都市を囲む城壁は多くが破られた。その一角になおも立つ塔は、巨大な岩石のターゲットだ。大筒は二時間ごとに発射される。まだ当たらない。敵軍の歩兵が塔を幾重にも囲んでいる。突入してはこない。こもる人と異形を恐れて。



 サキトガが窓から戻ってくる。

『キキキ、道連れだ。

 我らが主。俺とロタマモであの野郎だけは殺します』

 ゼ・カン・ユは、異教徒に蹂躙される街を見おろしていた。

やめておけ。

フロレ・エスタスでさえ、司祭長までたどりつけまい」

 絨毯のように異国の将兵が、彼らの王と、奴らにとって異教の指導者を守っている。その陣営には、そそのかされた魔導師や祓いの者達もいる。そいつらは、おそらく後悔しながら。

 塔の屋根から龍の咆哮が響く。あいつでさえ、もはや消えるのを待つだけだ。

……。

 地上からの雷鳴……。火薬銃だ。ロタマモはバビロニアの末から生きてきたが、人の世がくいっと変わったと感じる。おおきな帆船は海原を遠く旅たち、あらたな武具は異形にとっても未知なるものであった。

 内省している時間はない。

『我らが主であられるゼ・カン・ユ様』
 ロタマモは恐れ多くも大魔導師の前に浮かぶ。
……。
『なにとぞお考えなおしを』
 血の匂いはここまで届く。人の焼かれる煙が運んでくる。埃さえも血なまぐさい。
残された人を救わせる。

私の命と引き換えに

『楽には死なせてもらえませぬぞ。

 三日三晩磔でさらされて、それから皮を剥がされましょう』

 ロタマモはきつく述べる。

 このお方だけは左様な目にあわせてはいけない。敵軍の歓声が聞こえる。異国のドラムが響いている。

仕方あるまい
 ゼ・カン・ユはさみしげに笑う。どの国からも恐れられた大魔導師に最後のときが近づいている。

『でも裏切り者どもを許せない。

 奴のせいで、この都市はついに陥落する。奴らは名誉を傷つけることなく、富を得るためにこの国を売った』

サキトガよ。司祭長達は地獄で永遠に燃やされる。

真実を知った後世の人々から未来永劫そしられるだろう

……。

 はたしてそうだろうかと、ロタマモは思う。歴史が勝者に改ざんされてきたことを、ロタマモは知っている。傭兵が人々を虐殺し国を奪おうが、百年もたたず英雄として、偉大なる王の末裔として崇められたことを。

 あの卑劣な男が敵兵を誘導したことも、突拍子もなき逸話にすり替えられるだろう。船が大地を越えたとか……。

私がしてきたことが正しき行いであったのならば、私はいずれこの世に現れる。

ちがうのならば、奴らとともに地の底で燃やされ続くだけだ

……。
 ゼ・カン・ユがロタマモ達を見る。慈愛と強さに満ちながら憂いのある瞳。この瞳のために、我々はこのお方に従ったと思いだす。そして人をたぶらかす妖魔でありながら、人のために生きた。
カ・アラハミとサシトヨは子分を引き連れ逃れさせる。あの獣人達は愚直だ。闇に染まることなく、闇で待ち続ける。生まれ変わった私を守らせよう
 私達は闇にひそむを耐えられぬと言われたいのか。……おそらくその通りだろう。このお方はすべてお見通しだ。

『サキトガにも、その使命をお与えください。


 私には、あなた様に殉ずるよう命じてください』

 龍とともに。
 塔が揺れて埃が舞う。砲弾がかすめたようだ。おぞましきものを次々と作りだす人の世に、ロタマモは付き合う気などない。
五百人は殺した妖魔達よ。お前達に選べる権利などないぞ

『そりゃ四百九十八人殺しましたけどね。

でも過去に魂を奪ったのは、俺は百七十三人、ロタマモは六人だけですよ。残りは異教の敵兵を仕方なくです』

ふふ、そうだったな。

……愛すべきサキトガ、そしてロタマモよ。私は生まれ変われたとしても、なおも記憶と力は蘇らぬかもしれぬ。そのときは、お前達が私を救うのだ

…………。
 ……なるほど。人はこういう感情の際に泣くのだな。長らく存在できたロタマモはようやく気づく。ならば滅せられもせず闇に伏すこともなく、この人の世にあえて残ろう。主従の契りが本物であれば、いずれお会いできるはずだ。

『私どもは遠い北西の国に落ちのびましょう。

 そこの王は寛大な心をお持ちとの噂。あなた様が靴下に飼っていたものと知れば、私達は羽根を折られ目をえぐられて封印されるでしょう』

 そして何千年でも待つ。

フロレ・エスタスよ。

こいつらに別れを告げろ

 ゼ・カン・ユが、絶対的なしもべを呼ぶ。
 

 龍の目が窓から覗く。ロタマモとサキトガを感情なき目で見る。下界で敵兵どもが悲鳴をあげる。

 ゼ・カン・ユが剣をかざす。龍の頭上に乗る。

フロレ・エスタスよ。最後の使命だ。私を下へ連れていけ。


ロタマモ、サキトガ。いずれ会いたいな

……。
 龍は去っていく。塔の最上階には使い魔だけが残される。あのお方は、じきに龍の首へと剣をおろすだろう。おのれの手で龍を終わらせて、逃げ場なき人のために屈する。
ロタマモ見ろよ。ドラゴンに怯えて蜘蛛の子みたいだぜ

 サキトガは涙をながせた。近ごろの若い奴がうらやましい。……人の目に見える、まがまがしき雌龍よ。お前も生まれ変われ。

 ロタマモは涙の代わりに願う。






 

ロタマモ。俺はあのお方が復活すると信じている
サキトガよ。絶対はない。だが審判の日を迎えるまでは、気長に待とうではないか
 聖水をかけられたり、羽根をねじりとられたり、白銀の鞭で叩かれたりと、さんざんな一週間だった。……ようやく終わりだ。ロタマモ達はいばらで縛られる。
ホギッ。兆しがあるはずだ。悪しきものが関わる

 もしくは善きものが。

 雑魚どもが、いや司祭達が経典を読みあげる。無抵抗のロタマモ達の体が書物へと吸いこまれていく。

キッ、うるさいお経だな。悪かろうが善かろうが邪魔するのなら殺めるぜ
 駄々っ子め。
お前は二度と牙を汚すな。その時は、私がくちばしを穢す
 巨大な短剣が虚空に現れる。こんなものを乗せられて、いつまで耐えろというのだ。成敗されて羽虫になったほうがましだ。
ロタマモ爺さん。あんたは本当に悪くはない魔物だな。

……その時にお前を痛めつける奴がいたら、俺は必ずやり返す。本性をあらわにして、また堕ちて、我らが主に叱られようがな

 ホホホ……。ならば無理せぬようにしないとな。

 箱がふたされる。聖なる闇に閉ざされる。

サキトガよ。お前とふたりなのが救いだ。チェスをして過ごそう
 長居しすぎたが、もう少しだけ存在する。何万もの人を救ったゼ・カン・ユ様に再び付き従える日まで。



次回「再集結」

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