落城
文字数 2,723文字
4-tune
疫病と腐爛の匂い。飢えと屈服の怨嗟。大筒と剣の音。死者と血。使い魔はいずれも受けとめる。報告が義務だから。
もはや報告に意味などない。
ロタマモはそれだけを告げる。
巨大な都市を囲む城壁は多くが破られた。その一角になおも立つ塔は、巨大な岩石のターゲットだ。大筒は二時間ごとに発射される。まだ当たらない。敵軍の歩兵が塔を幾重にも囲んでいる。突入してはこない。こもる人と異形を恐れて。
サキトガが窓から戻ってくる。
ゼ・カン・ユは、異教徒に蹂躙される街を見おろしていた。
絨毯のように異国の将兵が、彼らの王と、奴らにとって異教の指導者を守っている。その陣営には、そそのかされた魔導師や祓いの者達もいる。そいつらは、おそらく後悔しながら。
塔の屋根から龍の咆哮が響く。あいつでさえ、もはや消えるのを待つだけだ。
地上からの雷鳴……。火薬銃だ。ロタマモはバビロニアの末から生きてきたが、人の世がくいっと変わったと感じる。おおきな帆船は海原を遠く旅たち、あらたな武具は異形にとっても未知なるものであった。
内省している時間はない。
ロタマモは恐れ多くも大魔導師の前に浮かぶ。
血の匂いはここまで届く。人の焼かれる煙が運んでくる。埃さえも血なまぐさい。
ロタマモはきつく述べる。
このお方だけは左様な目にあわせてはいけない。敵軍の歓声が聞こえる。異国のドラムが響いている。
ゼ・カン・ユはさみしげに笑う。どの国からも恐れられた大魔導師に最後のときが近づいている。
はたしてそうだろうかと、ロタマモは思う。歴史が勝者に改ざんされてきたことを、ロタマモは知っている。傭兵が人々を虐殺し国を奪おうが、百年もたたず英雄として、偉大なる王の末裔として崇められたことを。
あの卑劣な男が敵兵を誘導したことも、突拍子もなき逸話にすり替えられるだろう。船が大地を越えたとか……。
ゼ・カン・ユがロタマモ達を見る。慈愛と強さに満ちながら憂いのある瞳。この瞳のために、我々はこのお方に従ったと思いだす。そして人をたぶらかす妖魔でありながら、人のために生きた。
私達は闇にひそむを耐えられぬと言われたいのか。……おそらくその通りだろう。このお方はすべてお見通しだ。
龍とともに。
塔が揺れて埃が舞う。砲弾がかすめたようだ。おぞましきものを次々と作りだす人の世に、ロタマモは付き合う気などない。
……なるほど。人はこういう感情の際に泣くのだな。長らく存在できたロタマモはようやく気づく。ならば滅せられもせず闇に伏すこともなく、この人の世にあえて残ろう。主従の契りが本物であれば、いずれお会いできるはずだ。
そして何千年でも待つ。
ゼ・カン・ユが、絶対的なしもべを呼ぶ。
龍の目が窓から覗く。ロタマモとサキトガを感情なき目で見る。下界で敵兵どもが悲鳴をあげる。
ゼ・カン・ユが剣をかざす。龍の頭上に乗る。
龍は去っていく。塔の最上階には使い魔だけが残される。あのお方は、じきに龍の首へと剣をおろすだろう。おのれの手で龍を終わらせて、逃げ場なき人のために屈する。
サキトガは涙をながせた。近ごろの若い奴がうらやましい。……人の目に見える、まがまがしき雌龍よ。お前も生まれ変われ。
ロタマモは涙の代わりに願う。
聖水をかけられたり、羽根をねじりとられたり、白銀の鞭で叩かれたりと、さんざんな一週間だった。……ようやく終わりだ。ロタマモ達はいばらで縛られる。
もしくは善きものが。
雑魚どもが、いや司祭達が経典を読みあげる。無抵抗のロタマモ達の体が書物へと吸いこまれていく。
駄々っ子め。
巨大な短剣が虚空に現れる。こんなものを乗せられて、いつまで耐えろというのだ。成敗されて羽虫になったほうがましだ。
ホホホ……。ならば無理せぬようにしないとな。
箱がふたされる。聖なる闇に閉ざされる。
長居しすぎたが、もう少しだけ存在する。何万もの人を救ったゼ・カン・ユ様に再び付き従える日まで。
次回「再集結」