三十四の二 レッドリスト

文字数 2,554文字

ブルル……
 ひさびさに車の音がした。ライトに照らされないように、歩道の端になるべく寄る。白いバンは通り過ぎる。歩道の野良猫になど気づくこともなかっただろう。ましてや物の怪などに。
(町は再び静かになるが、駅に近づいたため深夜営業の店がちらほらとある。その明かりからも逃げだしたくなる)


……?

 
……。

(振り向くと、フサフサはいなくなっていた)

あの女は、かなりおぞましい物の怪だったね。あいつは人を操れるのかい?

(この猫はどこから話しかけているのだ。なんでそんなことまで知り得るのだ?)


あいつも大カラスらしい。人も好き放題にできるけど

やっぱりね

ツッケンドン

さっきのクルマに乗っていたから、そう思ったのさ。隠しても、とんでもない気配の化け物だね

!?
キキキ、

ブオーン

 白いバンが前方で乱暴にUターンした。猛スピードで戻ってくる。俺の前で急停車する。
ヤバイヤバイ
 俺は上空に逃げだそうとするが、
ブ、ブブブブー!


ブブブー

うわあああ

 クラクションを思いきり響かせられる。


 人の作った轟音だ。俺の体は跳ねあがり、脳みそがぐらぐらと揺れる。混乱している俺の前で、バンはガードレールをこすりながら切りかえす。俺へとハイビームを照らす。

ぎゃー
 比喩でなく目が溶けそうだ。いや溶けたかも。
光を見るな。私らだって動けなくなる
(フサフサのアドバイスは遅い。俺は身動きできなくなった。気力も体力も急速に失せていく)
馬鹿たれ、逃げろ!
ヨロヨロ

(フサフサの声が離れた場所から聞こえる。俺はよろよろとそちらに向かう)

ブオオオ
 ……車が突進してきた。必死に避けるが、フロントに跳ねられる――
ドン!
うわあああ
あああ
あああ
ああ…
 人の作った衝撃が体を伝わる。車が店舗に突っこむのを感じる。俺は路上に転がる。俺の身をかき消すべく、全身を激痛が襲う。
ナンダ? ナンダ? ヒック
酔イガ覚メル音ダ

(……多数の人間が姿を現した。俺はまだまだ存在している。護符を握りしめる。助手席のドアが開いた。

 あいつの気配が近づく)

これくらいじゃ消えられないよね。苦しいだろうに
(またも見おろされる)
助けてあげたいけど、護符があるじゃない? 私だとあなたに触れられないわ

カツカツカツ…

 峻計が俺から去っていく。
フサフサ…
しーん
事故カヨ
ふふ
警察ヨベヨ
ニッコリ
アノ女ハ、ナンデミンナノ手ヲ触ルンダ?
ベッピンダ。オレラモ握手シテモラオウゼ
(興奮していた人々の感情がおさまっていく)
こんばんは、酔っぱらいさん達。そこに妖怪がいるから、みんなで持ちあげて
(あいつの流ちょうな日本語が聞こえる)
 
 
 
 
(傀儡と化した人間達が俺を囲む。……人の作りし車に跳ね飛ばされても、護符は発動しない。発動したら、まわりの人を傷つける)


ヒイイ…

 俺はアスファルトを這う。暗闇を探る。
うふふ、逃げられちゃうわよ。もっと右
(あいつの声などもう聞きたくない)
捕まえた。ここからちょっと難しいわよ。息を合わせて持ち上げてね
ヒエエ

(アルコールの匂いが四方から吐きだされ、地獄のような責めだ。人に囲まれ俺の体に逃げ場はない。酒で燃えたいくつもの手ですくいあげられる)

お店に連れていって。


 

あなたは店員さん? 風邪をひくぐらい冷房を強くして、音楽も大きくして、明かりもいっぱいつけてあげな。パチンコ屋みたいに

パチンコ…

(その言葉だけで心がなおさら弱まる)

やめ……

あなたが消えるまで、外で見守ってやるよ
(あいつの声がついてくる)
きっと一瞬だね。あとに残った護符は、ごみ箱に捨てさせる
(助けを呼びたいけど、妖怪としての力などかけらも残っていない。砂粒ほどの力なんて、弱った心ではうごめきすらしない。

……やっぱり、あいつはすごいな。あきらめず幾重に考えてくる。黒い光がなくても、こんなにも無様に俺を消し去れる)

どこにいた?
(峻計が怯えた)

うわっ

 同時に強烈な衝撃を受ける。俺は地面に落とされる。
バタ
バタ

ビリビリ

(まわりで人間達がバタバタと倒れていく。俺の体もしびれる。……これは術だ)
……。
 劉師傅が亮相の構えをとっていた。
キサマラ、正気ヲ戻セ!

(一喝が響きわたる。

 地に伏せた人々がびくりと起きる。俺の弱まった心にも強く届く)

アレ?
俺タチ、ナニヲシテイタ?
(立ちあがった人々を押しのけて、劉師傅が俺のもとに来る)
気を張れ。これしきなら消えぬ

フワリ

 劉師傅は俺を抱えあげようとする。でも俺はふわりとすべる。
貴様も守りたい者だけを思え。生きて会いたいと思え!
……。
“松本君こそ”

 ……昨年の十二月。訪れの早い夕暮れ。


 そのときの笑みを思い浮かべる。

ふん

(師傅が気迫をこめて異形である俺を持ちあげる。

 劉師傅の腕は、なめらかで傷だらけの鹿皮のようだ。俺を緋色のサテンに包む。力強く抱いて歩きだす)

あいつは……(あごの無精ひげを見上げながら尋ねる)
逃げた。峻計は私が近寄ることを許さぬ
 劉師傅は朴訥と言う。
感にあふれた野良猫が私を呼んだ。哲人、哲人と必死に心へ伝えようとした。
“哲人が! 哲人が死ぬ!”
哲人とは、お前のことに相違ないな。

私も猫と初めて話した

(師傅はかすかに笑ったようだ。俺から受けた傷は大丈夫なのか?)
護符の打撃は意外に強かった
(俺の心を読んだわけではないだろうけど、師傅が話題を変える)
傷が強まり、しばらく籠らせてもらった。あの猫には見つけられたがな

あの時は頭に血がのぼりすぎて……

(あのときの情景を思いだすと、また怒りがわきそうだ。その感情が俺の心身に活を入れる。じわりと気力が戻る)

気にするな。おそらく私に非がある
……。

(謝りの言葉はないけど、きっぱりと言ってもらえた。俺の怒りのくすぶりも消える。

……劉師傅からは畏怖と等しくやさしさが伝わる。今のこの人の汗の匂いに包まれると、気力がさらに蘇る)

よき人間だ

 俺の中の妖怪にインプットされる。この人も守るべき存在だ。

が猫を巻き添えにしたのだな? 向こうの世界に属する生きたものを

は、はい…

(師傅がふいに言う。非難されても仕方ないけど、この人の怒りは怖い)
怯えるな。猫だけを引き連れてうごめく胆力には感心している。思慮なき勇気が必要なときもある
はい…

(ほめられたのか? この人が守るべき存在だなんて、おこがましい妖怪だ)



次回「座敷わらしと祓いの者」

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