三十八の一 宵待少女

文字数 2,537文字

(コオロギ達が元気に鳴いている)
貉、どけ。

思玲様が接見なされる

ズリズリ…
……。
張師兄、お別れです
(思玲が転がる麗豪を見おろす)
あなたは香港経由で南京に戻ることになりました。旅をお楽しみください。


……日月潭の森で祭師兄を殺したのは、私ではございません。あなたの最終目的地で、祭が火にあぶられながら待っています。あの夜の出来事は、地獄の底で奴からお聞きください

……。
そこにはほかに誰がいる?
(雷に焦げた麗豪が、なおも思玲へと笑う)
昇か? お前の弟も、そこでお前を待っ――

グリ、グリグリグリ…

(思玲が麗豪の顔を蹴る。飛ばされた眼鏡を踏みしだく。縛られた男は抵抗できない)
ハラペコ、惜別は済んだ

クルッ

リクト行くぞ。龍を呼べたら、でっかい狩りが始まるからな
ヒャッホー
うう……
ふっ、どうせ老祖師が助けに来られる
それか法董
もしくは峻計……
(露泥無である闇が男を包む。リクトである川田が喜々として山道に入る。俺と横根とドーンは顔を見合わせる。思玲の弟……。初耳だ)
思玲……
ズンズン
ま、待ってよ
(俺の声など彼女は聞かない。ずんずんと川田のあとを追う。横根が追いかける)
聞くなってことじゃね

やっぱりよろしく

うん

(関わる気などなさそうなドーンを頭に乗せて、俺も続く。俺だって俺達のことで精いっぱいだけど)

……。
テクテク
……。
(山道を下ってくる人はいない。護符を手にした思玲がリュックサックを背負っている。横根にはサテンをかけさせた。もはや全員がターゲットだ。誰も喋らないから静かすぎる)
やっぱり納得できねーし
(そうなるとドーンがくちばしを開く)
やめるべきじゃね? 瑞希ちゃん、そうしよ
……。
……。
(前を行く横根から返事がない。透明な体は暗くなると見えなくなりそうだ。思玲も黙っている。林の中の山道は、足もとへと懐中電灯が欲しいくらいだ)
哲人からも言えよ。ヤバいことをやりそうな連中だろ?
うるさい!
わあ!
……夏奈ちゃん

(横根が立ちどまる。振り向きはしない。

 彼女のつぶやく声は林の静けさに消えていく。秋の虫達にかき消される)

夏奈ちゃーん!

 ありふれた雲がくすんできた空へと叫ぶ。

やっぱりやめよう

(俺は彼女に言う。なのに)

夏奈ちゃん! 夏奈ちゃん! 夏奈ちゃん!!!
(泣きながら絶叫する。闇に沈みかけた山は問いかえしてもくれない)
瑞希、もうやめろ
 少女が横根の腕を引く。
……。
その声が届いたならば桜井は戻ってくる。

それよりリクトがいなくなった。あの馬鹿犬こそ呼びかえさないと

(早々にかよ。

 ……夜が近づき、異形が少女を愛ではじめている。その魔除けのごとき手負いの獣は夜を待ちきれないでいる。俺は夜など来てほしくない。新月であろうと)

俺が探す
わあ!
(ドーンが頭から飛びかけたので、その足をつかむ)
……分かったよ

(空中でこけたカラスが、俺の言いたいことを察する。

 しかしケビンがいないと、もはや手負いの獣を御せられないかも。どうやって探す? 山道を進むだけでも緊張する暗さだ)

私が呼び戻す。どうせ外ポケットだろ

ガサゴソ

ジャンジャジャーン
(思玲がリュックを降ろす。鷹笛と犬笛を取りだした……。それは触ってはいけないものだ。なのに少女は口にくわえる)
聞こえぬな……。誤って仮縫いから開けてしまった。これはパンツのポケットに入れておけ
(思玲が金属の笛つまり鷹笛を俺に投げる。木製の笛……すなわち犬笛を口にくわえる)
……やさしい笛だな

そっちは駄目……

(俺の声など、こいつは聞かない。少女は犬笛をくわえて息を吹きかける。……こちらも音はしない。なのに

なんだ、なんだ、なんだ!
(川田が林から飛びだしてきた)
俺を呼んだではないよな?
お前を呼んだ。狼ではない

ニヤリ

(この女は間抜けだ。笛を触っただけでも怒り狂ったのに、音までだしたとあれば……。

 たったいまから、こいつが雅のメインターゲットだ)

俺やシノが狼に狙われた理由を教えたよね。


横根。布をかけてあげて。思玲が雅に食べられる

う、うん!

(泣きたい気分だ。

 あの狼はフサフサにすら感づかれずに、樹上の俺を狙った。首を一撃で引きちぎられかけた。常識で考えたら、思玲は会うなり即死だ)

大丈夫だ。蒼狼のことはドロシーから聞いてある。あの娘は妖怪博士だ
“草原、氷原、森などに生息する異形。その地に君臨する。星の数は忘れた。狂暴だが知性が極めて高い。報復の意識も高い。自在に人の目にさらされる状態になれる。体力攻撃力ともに無尽……”
(そんな敵だらけだ)
で、思玲はなんで大丈夫なの?
(雅の怖さを知らないドーンが尋ねる)
それはシークレットだが、お前達を巻き添えにできない。私一人で待ちかまえるゆえ駐車場に戻れ。


……桜井を呼ぶのは延期だな。すまぬ

 言葉と裏腹に俺へと笑う。
 
ギュッ
(宵の林がざわついてきた。はやくも木霊が少女を愛でている。思玲がリュックを俺に突きだす。劉師傅のサテンをマントのように首に結ぶ)
来たぜ。

気配丸だしで挑んでやがる。二手で挟むか? 俺と松本がAチームだ

(川田が俺を見上げる。

 登場が早すぎる。たいそうお怒りのようだが、もしかしてずっと俺のそばにいたとか)

川田君は私と離れたら駄目だよ。ドーン君と三人で追いこもう
(川田はともかく横根も思玲をおいて帰る気はないらしい)


みんなでかたまって帰る。思玲を囲もう

はあ?
(俺の言葉に少女が振りかえる)
お前は間抜けか? 和戸や瑞希に守れるはずないだろ。

ここで待ちかまえる。みんな急いで離れろ。哲人もだぞ

スー

ハー
(思玲がまた犬笛をくわえる。おおきく吸いこんで吐きだす。またもや、なんてことを)

思玲、うるさい!

松本、ドーン、瑞希、行くぞ! すこし下って林の中を回りこむ

(片目の猟犬が来た道を戻る。薄らいだ横根が俺の横に過ぎる)
ドーン君も来てよ。いまの川田君は怖いから。……夏奈ちゃん来るかな?
(上空は茜色のなり損ないだ。雷雲は見当たらない。夏奈は来そうにない)
哲人も瑞希ちゃんから離れるなよ。

守る順位、変えるなよ

(ドーンが飛びたつ。

 ドーンですら遠回しの言い方。でも俺は追わない。いまは思玲を守る)

……。
川田を道からはずれさせるな

 それだけ言っておく。……いまでも川田は横根を守るだろうか?





次回「木霊」

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