もう一度乗り換えて、アパートの最寄りの駅に到着する。このまま終点手前まで乗っていけばJRに接続し、俺の田舎まで一本道だ。
乗り続けたい衝動をこらえて、特急の通過待ちをする電車のシートから立つ。昼下がりの郊外、各駅停車の車内に人はほとんどいない。俺に興味を持つものなどいない……。
(野良猫を車内に置き去りにする。気配を察して猫が大暴れする。悪いけど、これ以上厄介を増やしたくない。俺のシャツを破ったのだしお互い様だ。
幻と化した人とまた会えるのならば、キャリーバッグは新調したものを渡そう)
(背後を気にしながら改札を抜ける。半年前に閉店した売店の影から駅の外を覗く。早歩きをはじめる。のどかさもある道を行けば、数分でアパートが見える)
(……もうリクトが感づいて吠えていやがる。なんの考えもなくペット同居型アパートを選んだのが幸いだけど、ほかの部屋の犬猫はあんなに大騒ぎしない)
(一階の自分の部屋に鍵を差しこむ。涼しい風が流れでる……。ガンガンに冷房をきかせやがって、誰が光熱費を払うんだ。
ワンルームだから、ドアを開けるなりみんなが見える。スーリンは寝転がってドーンのスマホでパズルゲームをして、ドーンはリクトをあやしていた)
(子犬の片目に眼光が宿る。俺へとうなり声を発する)
(ドーンが俺の破れた上着に気づく。面白いほどに顔が青ざめる)
(ようやくスーリンがスマホから目をはなす)
猫にやられたん――
このむっつり助平め。ドロシーに印をつけられたな。大馬鹿者め
接吻のあとがくっきりと残っている。それが消えるまで、お前が歩いた道筋は残りつづける
だったら、あの加減知らずも電車で追ってくるだけだ!
靴を脱いでしゃがめ。リクト! 哲人のほっぺをぺろぺろしてやれ
子犬が尻尾を振りながら、俺の頬をよだれまみれにしていく。
マジで人の目には見えてないよね
(口紅のあとをつけて電車に乗ったとは思いたくない)
香港の連中ならば、いきなり光を飛ばしたりしないよな?
うろたえるな。私といる以上は覚悟しておけと言っただろ
スーリンちゃんのがうろたえているみたいだよ。消えないのなら、もういいだろ
俺は子犬を引き離す。びりびりのシャツを脱いで衣装棚を開ける。
あいつらは、あのアパートの前に張っていた。俺は罠に飛びこんだ。スーリンちゃんからの手紙は渡せたと思うけど、チューランも追われたよ
思いつきで俺を送りこんだ結果、散々な目にあわされたことを暗に伝える。ポロシャツをだし、リモコンの設定温度をあげる。
シノ、アンディ、あとはケビンだっけな
(はやく汗を流したい)
若手の筆頭が四人ともか? そんなに魔道団は本気なのか?
私に術が使えても、マジでケビンには歯が立たぬぞ。ほかの三人も束で来られたらヤバいかもしれぬ
(スーリンの困惑した顔が愛らしい。でも、もっと困らせないとならない)
お前達の話がすべて事実だと確信できた。
片腕の不審すぎる男が俺の名前を知っていたし、でかい猫にまとわりつかれて服を裂かれた
こんな世界からすぐにでも離れてやる。ドーンとスーリンには部屋からでていってもらう。リクトも連れていってもらう……。
(ユニットバスのドアに手をかけてとまる。あの手紙の一文が脳裏に浮かぶ)
隻腕? 誰だそいつは。
猫とは……、もしかして瑞希か? 赤い玉をくわえていたか?
瑞希ちゃんはがさつじゃねーし。
首輪みたいにぶらさげていたよ
そんな洒落たものはつけてなかった。
ベテラン感さえ漂う野良猫だった。だいたい瑞希ちゃんは人の姿に戻ったのだろ?
(夢物語で聞かされた)
(ドーンが俺にもあきれ顔を向けるけど、夢物語の半分以上は聞き流していた)
ならば考えられるのが一匹いるな。そいつは見かけても捨てておけ。
どちらにしろ逃げ場はない
哲人はいつまでも半裸でいるな
仕方ない。二人がかりで箱を持ってこい。
ここに着いたときみたいに哲人の足に落とすなよ。もうジジイの術で守られてないからな
女の子が男子学生二人に命ずる。ドーンの顔色が変わる。
(こいつは待ち兼ねていた。こっちの世界で怯えて過ごすより、向こうの世界にまぎれこむことを)
フーポーもいない今、ここから先はこいつの力だけが頼りだからな。
なので哲人も付き合ってくれてもいいぞ。お前の責任でもあるのだからな
(と、きっぱり言いたい。でも……、だめだ。考えるな。あの手紙を思いだすな……)
“猫や狼になっても、みんな人と変わらないまま。だから、みんなを信じる”
(瑞希ちゃんはまだ俺を信じているだろうか?)
スーリンちゃん、声からしてテンパってるよ
箱を開けたとして、そのあとはどうするか、ちゃんと考えているの?
(気が変わってもらうために言う。自分の気が変わらぬためにも)
プランはふたつ考えてある。
Aは私も立ち会う。もとの体に戻れるかもしれぬが異形になるかもしれない。
プランBは、お前達が変げするのを外で待つ。私まで四神くずれになるリスクはないが、か弱い少女のままだ
(もっと大局的なことを聞いたのだが、たしかにそれも大事だ。深入りするな)
スーリンが子犬を抱え、ユニットバスへと放り投げる。
(閉じこめられたリクトが、ヒステリックなサイレンほどに吠えだす)
リクトは一緒にいるべきだって。川田のハートが戻るかもしらねーし
人の心もないまま、また狼になったらどうするのだ? みんな食われるぞ
(俺達三人は箱を囲んで言いあう。ユニットバスに閉じこめられた子犬は吠えつづける。俺は汗も流せぬままだ)
二人とも、その世界に戻るのはなんのためだよ。逃げるためか?
ざけんなよ。みんなをこっちに連れて帰るために決まっているし
私は逃げるためだが、あわよくば我が力を呼び戻すためでもある
術を取り戻したのなら、あの三人を人に戻し、五人がここに戻るのを見届け、私はすべきことをする
キャンキャンキャンキャンキャンキャン!
キャンキャンキャンキャンキャンキャン!
(分かったよ。ここまで来たら黙っていても仕方ない)
あの朝の話だけど、あの男に言われた。
鍵は俺にくれるけど、刀は自分がもらう。そして、衣服となにかは彼女に残しておくと
剣を奪われたのは聞いていたが、なぜに、みなまで言わなかったのだ
(スーリンが眉間にしわを寄せる。刀のことしか聞かれなかったからだ)
スーリン、ストップ!
それって女の子が生きてるってことじゃん。夏奈ちゃんは龍確定だろ?
もしかして珊瑚じゃね? そいつは珊瑚とか赤い玉とか言わなかった?
(ドーンが俺とスーリンにハイタッチを求める。居間の騒ぎに子犬が余計に吠える。近所迷惑の範疇を越えた)
和戸もリクトも落ち着け
どういう状況かは知らぬが、その時点では瑞希は生きていた。ならば、白虎の玉は輝いてはおらぬか
(そして大人に戻れるのか?
もしも異なる世界に残った女の子が、猫でなく人であったらどうなるのか?
衣服とかスマホとか、猫になっても持ち歩けるのか?
夢物語をもうすこし真面目に聞いておくべきだった)
言いかけてやめるな。気持ちわるい
覚悟を決めるときに、まだ逡巡しているな。座敷わらしの哲人のが、いまの哲人よりはるかに頼もしかった。和戸、そうだよな
カカッ。比べられるかよ。しかも俺をカラス天狗にしてくれるしな