はるか南の序夜

文字数 1,790文字

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 (けが)れた雪みたいだ。

(これは、じっとりとした夜に降る黒い雪だ)

 王思玲(ワンスーリン)は頬の黒羽根をはらう。
(私どもにお似合いだ)
 室外機の熱風を受けて、無数の鴉の羽根が乱舞する。雑居ビルの屋上までネオンの光は届かない。

(今回の四玉の餌食は日本の女子学生か。その友人達が巻き添えになり、四神くずれと化して狩られる……)

 ただ東京に向かえ。北国だろうが真夏に雪を見られるはずなくても。見るのは黒い血だけだろうと……って、
焰暁(ヤンシャオ)め特攻するな。勝てるはずないだろ。見送りたくない――)

 屋上が邪を制す光に照らされる。


 (リウ)師傅の剣が大鴉に突き刺さる。異界の炎がかすんでいく。

使いの鴉は?

もちろん残存しておりません。竹林(ヂュウリン)は空に逃れたようです。

 あなたが端から抹殺したおかげで、ここには忌むべき力を持つ二人だけです。
一羽では非力だな
ビク

け、剣技のみで焰暁を仕留めるとは、あの老人は思いもしなかったでしょう。

しかし式神だけを送りこむとは……


 臆病な老人と言葉にしたい。

老師が私を恐れていると言いたいのか?

今の世に人智を超えたものはほぼ絶えた。人の知が奴らを追い越した。だが老師の智はなおも我々を超越する

 師傅は剣先をおろし、まだ息が残る使いの鴉にとどめを刺す。生身の存在に戻りかけた鴉は羽根を残し消える。……もう充分だろと口にしたい。
奴の奸智はあなたの力に及びません。たとえ龍をこの世に現そうとも
あの老人は今も昔もこの劉昇(リウシャン)など目にない。そもそも四神にすら興じていない。邪念の先は、あの大陸のみ
 師傅が剣で西の方角を示す。
その刃さきを飲みこむように、また異形が刺さっていた。
奴が欲するのは、東の守護を転じて西の攻めに強いること。この島から大陸へ戻る妄念を、その身が潰える前に叶えること。

静かなる竹林よ。(ヤン)老師のあわれな下僕。貴様も焔暁とともに安らぐがいい

 劉師傅が剣をはらう。竹林と呼ばれた大鴉が裂けて落ちる。手先だった鴉達の羽根の中で、骸は溶けて消える。追いやられていた魂が浮かびあがる……。

なんてことを……
 畏敬すべき男への、つつましい怒りなど吹っ飛ぶ。
竹林よ。幼き女児であったか

 師傅が中空を抱きしめる。


 ただの人には見えぬものが消えるまま、師傅は両手で自分を抱える姿勢となる。寄せていた顔が落ちる。すぐに立ちあがる。


大鴉は残り二羽。おぞましき峻計(ジュンジー)はおのれのもとを離れさせぬが、速き流範(リウファン)はすでに北へ飛ばしただろう。お前は奴を抜き去らねばならない
ただちに

冷静にな。……手駒をふたつも差し向けるとは、言伝は真実に違いない。明の時代以来の大物となるかもな。私が老師を屈服させるまでは耐えてくれ。

傀儡(くぐつ)祓いはものにできたか?

 師傅が剣を緋色の布にくるみながら言う。


 師傅は術の教示を意図的に晒した。おびき寄せられて、業をまとわされた奴の配下だけが消えた……。


 楊偉天(ヤンウェイテン)め。(よわい)百を超えて貴様だけがなぜ生きている

生身の者にかける術ゆえ問題ございません。

 青龍の資質ある娘の名は桜井(さくらい)夏奈(かな)。そいつの目を覚まさせ、他の連中もろとも守るだけだ。楊偉天からだけでなく。


 サイレンが聞こえる。台北(タイペイ)の夜の喧騒を次に聞くのはいつになるだろう。

ならば行ってくれ。邪魔だてする異形の殺生を許す

……はい

 魅入られた報いさえ受けろと言われるのか。

知ったことじゃない。別れの抱擁もいらない。私はマイベストを尽くすだけだ。……あいつが日本に向かわぬように願うだけだ。それこそ楊偉天も。

(私は連中より豆苗ほどに弱い)

カツカツカツ…

 劉師傅は非常階段へと向かう。羽根を踏みながらそのあとを追う。二人が去った屋上では、熱風にあおられた黒羽根がいつまでも踊り続けた。

 その頃、松本哲人(まつもとてつと)なんて名の変哲でもない俺は、
無理です。権限有りません。オーナーに言ってください。
平然と言うな! 灰皿を復活させろ!
 しつこい爺さんに延々と対応していた。コンビニはやめて法律事務所のバイトを探そうと決意しながら。
(桜井はもう日本に到着したかな)
……お前は聞いているのか?

 明日の午後には人でなくなるなんて思いもしないで。





次回「フォーチュンな生け贄達」

本編スタート

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