九の一 墓場の異形と野良猫

文字数 3,263文字

 墓地の街灯は入口だけだった。羽虫が必死にたむろしている。これぐらいの光なら気にならないし、気にしている場合でもない。
 そこから先は淡い光を放つ家屋に囲まれた暗闇だ。墓地であろうが幽霊はわらわらいないと、無用な知識を得る。
トボトボ
フワフワ

(行く当てがない)

バサリ
どこにあるんだ、時間がかかりすぎだ
 流範は幾度となく墓石に舞いおりる。くちばしをひろげて俺達を威嚇する。
もうすぐだよ
もうじきだね
……。
バサリ

(横根を乗せて空へと戻った。死角の多い場所には長居したくないようだけど、これではいずれ行き詰まる。みんな揃って三枚におろされる)


俺は護符を持っていた。土着の火伏せの札

土着って、ゴンゲン様みたいなものかい?
(東京にも土着の神社があるみたいだが、なんでそんなことまで知っているんだ。……野良猫さえも知っているから土着なのか?)


たぶんそれ。その札のおかげで幽霊も消滅した

ニヤ

そいつを使えば、あの化けカラスも倒せるのだね

しっ、声がでか
バサバサッ

化け鴉がなんだのと言っただろ。

隠し場所へ行くまで会話禁止だ。……なにか企んでいるのか?

 とまった墓石を蹴りたおし、別の墓石へと跳ねる。

そ、そんなはずないです。暗いから見つけられないだけだよね

明日の朝まで待ってください

(駄目駄目。朝になったら数十羽の子分が来る。なおさら逃げられない)
くずれは黙っていろ
バサリ
ヨロ(風圧だけで転がりそう)
で、それはどこにあるのだい?
お前が俺の服にもぐろうとしただろ。たぶん、そのとき落とした
ヒロイニイコウ
はい?

拾いにいこうって言ったのだよ。耳の穴まで手入れしておきな!

 必要以上に大声をだしやがる。すぐに空を見上げる。
お手入れしたいとぼやいただけさ。私は名前のとおりにぼうぼうだからね。でも、もう喋らないよ
(上空に向けて舌をだしていそう)

どっちが行く?

そりゃ私だろ。

私は松本哲人よりすばしこいし、この場所もよく知っているからね

(猫でなくても)面と向かいフルネームで呼ばれるのは気分がよくない

それなら哲人と呼ぶさ。

私がくわえてくるまで、あいつを引きつけておいてくれ。……墓石より上に浮かばないのがいいだろね


スタスタ

 フサフサは墓地の出入り口とは反対側に駆けだす。一直線には行かないのか。賢いのかそれとも……。


ガタガタ、ガシャン

 じきに離れたところから墓石が倒れる音が響く。野良猫と大カラスの追いかけっこが始まったようだ。

(……仕方ない)


俺を忘れるなよ! 玉なんか壊してやる!

 空へと挑発する。俺も参戦だ。
ふざけやがって。どこだ!
(南天の茂みに隠れた俺には気づきそうもない。かくれんぼうをする意味はない)


こっちだよ、お化けカラス! フワフワ

(もっと素早く動きたい)

松本君、危ない!
(空から横根の声がした)
 俺は脇の墓石で身を固める。


ガラガラガラ

……。

 まわりの墓石がドミノに崩れる。

 線香の灰が浮きあがる向こうに流範がいた。
白猫、降りやがれ。お前から血祭だ
や、やだ。ギュッ
(逃げないと)フワフワ
ま、松も――
!!!
 とっさに屈む。目の前の墓石が崩れる。さらにその先の墓石も……。
(勢いあまって追い越したな)フワフワ

 俺は墓石の隙間を縫って逃げる。

(……道路工事ほどの大騒ぎなのに近隣は静かなままだ。窓を開けてのぞく人もいない。つまり、これは異界での出来事だ。すぐそこにひろがる世界に、俺達は関与されない)
 ひと際でかい墓石の脇で身をひそめる。脇には大きな観音様の石像のシーンは、さすがに罰当たりだから省略。
(フサフサから音沙汰ない。あの野良猫は本当に探しているのかと、疑心が湧いてくる……。巻きこまれただけの赤の他人だよな。俺達をおとりに逃げだす算段のがあり得る。俺ならそうする)


……。

……フサフサ?

松本君!
ドッゴーン!
わあっ
 墓石ごと吹っ飛ばされる。黒い特上御影石は流範のくちばしで縦に裂け、俺は下敷きになる。

 身動きが取れない俺の前で、黒い巨大な羽根がたたまれる。

ふざけやがって
……。
 流範のどす黒い瞳が激怒で赤く見える。後ろへと這いずりたいのに、倒れた墓石に挟まっている。流範の顔が寄ってくる。腐臭のする息が荒い。
松本君、逃げて
 横根が流範の背を駆けあがる。大カラスの目に爪をたてる。
笑わせるな
ニャッ
 流範が振りはらう。横根は数メートルも飛ばされて、並の御影石にぶつかる。
なり損ないの爪で俺が傷つくと思うのか? だったら背中になど乗せない
フギ…
クソ
 横根はうずくまったままだ。俺は動きようもない。フサフサも思玲も現れない。流範が横根へとくちばしを向ける。俺は石の中でもがく。
くずれは不要だ
 大カラスが白猫をくわえる。
“……松本君”
 俺は人間だった彼女を思いだす。むすんだ黒髪に小ぶりな麦わら帽を乗せて、ひかえめな笑みを向けていた横根……。
お前ら、どけ!

 崩れた墓石に命令する。こいつらだって、半分はこっちの世界の存在だろ。

 残骸がすこしずれた気がして隙間から這いだす。妖怪としての俺の本性がまた動きだしている。

『横根こそ守るべき仲間だ!』
うおおお!
ビク
 俺は突進する。流範が驚愕の顔で振り返る。その腹部に頭突きする、
おりゃ
わお

 つもりが片足で蹴りかえされる。


 衝突した墓石が俺を受けとめる。墓石の中から声がする。

私を呼んだが……

私は伴侶をここで待つと約束した

ヒョイ

わあ
 下から伸びた手に押しかえされる。流範の前に転がる……。
うっ
ふにゃっ
 白猫を叩きつけられる。

びっくりさせやがって、なにかと思ったぞ。……お前は本当に人間だな。性根がまっすぐなキジムナーであるはずない。

青龍の娘との逢引を気どっていた奴だ。白猫の仲間だ。だから、かばうのだろ

(すべてがばればれだ)
この質問が仲間といられる最後の機会だ。四玉はどこだ?
ぐえっ
 流範が俺を踏む。鋭い爪が頭と脇腹に食いこむ……。
(こいつは本気だ。握り潰されるまえに箱を差しださないと)
フギー!
 横根である白猫が流範の鱗足に噛みつき、ふるい飛ばされる。四肢できれいに着地して、俺を見つめる。
だ、だめだよ
(白猫は俺の弱気に感づく)
ようやく来たから
(思玲が? それとも)
玉はこっちだよ。カラス野郎
(野良猫のほうか。だとしても、平気で嘘をつく猫をうれしく感じる)
妖怪野郎め、また呼びやがって
(猫からの悪態さえもうれしい。墓石に潰されながら、たしかに俺が呼んだのだから)
ギョロギョロ

姿を現せ。こいつらの目玉をひとつずつくり抜くぞ

そうしてくれるとありがたいよ

モゴモゴ
(まったく違う場所からの、もごもごとした声……。木札をくわえている!)
……箱を噛んでやがるのか?


バサリ

 流範が羽音を抑えて飛びたつ。空の闇にまぎれる。
気をつけろ! あいつは上空から攻撃する気だぞ
あいよ
ビクリ
ビクリ
 背後からの声にびくりとする。道の向こうにフサフサがいた。やはり木札をくわえている。小汚い野良猫だろうと感謝しまくりたい。

ずいぶんとやられたね。きれいな毛並みが台無しだよ

え、……はい

あんたも妖怪変化など見捨てて逃げたらいいのに

(やはり一度は見捨てられたのか)

木札を……
……!

 でもフサフサは横に飛びのく。

 突風の予兆。

(逃げろ)

ヨロヨロフワフワ

 流範が爪を立てて降りてきた。フサフサの逃げた場所から、コンクリートの破片が飛ぶ。
うわああ

 衝撃で、俺はまたも吹っ飛ばされる。

 通路に大きな穴が開いている。

 墓石の脇から覗く白猫と目があう。流範はいない。俺は横根のもとへ向かう。横根も俺へと駆ける。

ハアハア
ハアハア

 まだ残っている墓石の脇に二人でうずくまる。


 衝突の音が響く。ばさりと舞いあがる翼の音も聞こえる。

私だけ狙うじゃないか。哲人、どうにかしてくれよ
木札を渡して(それがないと、俺にはどうにもならない)
どうやって渡せと言うのだよ。小道にでるなり襲いかかるのに
 フサフサはそれきり話しかけてこない。遠くで電車の音が聞こえる。
 肋骨の窪みほどにへこんだ半月を、黒い影が一瞬隠す。
(まだ上空で狙っていやがる)



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