二十四の二 差しだすものあり
文字数 3,364文字
ケヤキの幹の反対側まで回りこむ。俺を抱えた思玲が声をひそめる。
ケヤキが揺れる。思玲がびくりとする。
低い空に、去っていく小鬼が見えた。
ケヤキの横を歩く気配。まず蝶の刺繍が入った赤色の背高いヒールが見えた。そこからすらりとした足が伸びて……、
幾多の蝶が花に舞う模様。そして俺達を見おろすあいつと目が合う。
峻計はおぞましい笑みを浮かべても、きれいなままだった。
結界の向こうで峻計が黒羽扇をかかげる。
思玲が目を閉じる。唱えはじめる。
俺を片手に抱えたまま扇をはらう。
次の瞬間、俺達は水晶の中に閉じこもる。
峻計が発した黒い光がはじき返される。
峻計も呪文を唱えだす。まがまがしい気配に包まれる。
思玲の腕から力が抜ける。扇をじっと見つめる。
俺を脇にずらし、思玲は結界を扇でなぞる。内側からかすかにひびが入る。俺を見つめる。
扇へと唇をつける。かまえた小刀の前にかざし、また呪文をつぶやきだす。
目を見ひらき黒羽扇をたくし上げる。
俺は這うように体を動かし、きらめく結界に木札を押しこむ――。押しかえされる。弱った護符ではとても無理だ。
仕上がりに満足したかのように、あいつはほくそ笑む。
怒鳴る思玲は外だけを見ている。
ふいに護符を中心に、空中の亀裂が四方へとひろがる。小さな結界が崩れていく……。
峻計が俺達を見おろし口を開けて笑った。俺達がいぶりだされるのを待ちかまえていた。黒羽扇を振りかざそうとしたとき、
大ケヤキの枝葉が大きく揺れる。小鳥達が一斉に飛びたつ。
あいつの気が一瞬それる。
思玲が叫びながら、小刀で扇を切り裂く。
扇の破片が光を帯び、前方へと飛ぶ。
峻計が黒羽扇を斜め十字に振りかざす。銀色の破片達が術により叩き落とされる。それでも残りが次々と峻計に突き刺さる。
あいつの黒羽扇を持つ手がだらりと下がる。
思玲が俺の手を引く。弱った体では肩が抜けそうだけど、目の前まで闇が降りてきた。俺と思玲は転がるように暗黒から抜けでる。
体中に扇の破片を受けた峻計がいる。両手を下げて仁王立ちして笑う。
思玲が小刀を投げる。峻計の眉間に突き刺さり、金色に燃えはじめる。
あいつはもはや身動きできないのか。
燃える刀を受けながら、それでも俺達へと残忍な笑みを向ける。
思玲が立ちあがり、
ショルダーバッグを投げる。あいつの足もとで、術を吹きだしながら溶けていく。
術のつむじ風が峻計を包む。
思玲が俺を引きずり駆け抜ける。
鬼達は呆気にとられているだけだ。
体中がまだ鈍痛に襲われている。宙に浮かぶように引きずられながら、俺は振り返る。
人の目に見えない闇は霧散していた。誰に気づかれることもなく、大ケヤキはあとかたもなく消えた。枝葉の中にいた小鳥達がみんな逃げていてくれたらと願う。
思玲は校内の大通りで立ちどまる。
当たり前だけど、太陽は昨日の今ごろと同じ位置にある。夕立のおかげであの暑さはなさそうだ。人通りは皆無。すぐそばのカフェテラスも無人だ。あの場所を見ても、懐かしいなんて思わない。
弱弱しく声かける。体はまったく癒されない。
覚悟を決めたように歩きだす。俺から手を放す。
浮かびながら尋ねる。自力でなんとか前へ進む。
目ざす場所を聞いて、俺は宙で立ちどまってしまう。
思玲は立ちどまらない。振り向きもせずにずんずんと歩く。
それでも俺は立ちどまったままだ。
急かされて、気力をしぼり空中を進む。さらなる深みに嵌まる気がしてならないまま。
西に傾きだした太陽に照らされながら、丸腰の彼女の影を追いかける。
次回「弱い二人が向かうのは」