二十四の二 差しだすものあり

文字数 3,364文字

 ケヤキの幹の反対側まで回りこむ。俺を抱えた思玲が声をひそめる。
ここまでは、この木のおかげでたやすい。ここからが難しい
あれ? 座敷わらしまで消えやがった。分散して追いますか?
(当前のように小鬼に気づかれる)
追えるのはお前と私だけだろ……。ここはうっとうしいな。私の感がまったく冴えない。奴らに地の利を感じるぞ
(大ケヤキの反対側から峻計の声がする)
この老いぼれの木のせいだな。こいつをまず消すか
……。
(思玲のこめかみに汗が伝わる。……彼女が扇をひろげた)
やめましょうよ。人が集まりますよ思玲が空港を強行突破した騒ぎの二の舞ですよ。老祖師が来られるまでは、騒ぎを大きくすべきじゃないですよ
そうか? 俺は峻計さんに賛成だな
グヒヒ
……北七(ペイチー)

(小鬼が、人間の発音でわざとらしく吐き捨てた)

馬鹿ってスラングだ。


……とてもでないが無理だ

(そりゃそうだ。とても逃げられそうにない――)
ビクッ
 ケヤキが揺れる。思玲がびくりとする。
次は口だけの役立たずに当てる。

青龍を探しにいきな。見つけるまで顔を見せるな

はいはい。しびれさせておきますから、扇を振りまわさないでください。

あきらめないでくださいよ

スイスイ
 低い空に、去っていく小鬼が見えた。
神経を逆なでさせる奴だ。老祖師のお気に入りでなければ……
……。
……。
 ケヤキの横を歩く気配。まず蝶の刺繍が入った赤色の背高いヒールが見えた。そこからすらりとした足が伸びて……、
 幾多の蝶が花に舞う模様。そして俺達を見おろすあいつと目が合う。
ふふ
 峻計はおぞましい笑みを浮かべても、きれいなままだった。
……。
あなたの結界を見るのも最後なのに、もっと素敵なものにしてほしかったわ。破りがいもない
 結界の向こうで峻計が黒羽扇をかかげる。
我、たとえ身が滅しようとも護るべき者なおもあり
 思玲が目を閉じる。唱えはじめる。
祓うこと叶わずとも邪を妨ぐ力を授けたまえ
 俺を片手に抱えたまま扇をはらう。
ちっ
ぶわさっ
ビュン
舞いおさむるも叶わずは、我が心足らぬほど護るべき者多きゆえ
あっ
 次の瞬間、俺達は水晶の中に閉じこもる。
パシッ
 峻計が発した黒い光がはじき返される。
(……ケヤキを背にかすめるほどの距離に張られた、はね返しの結界)

瞬時にかい。半面だけといえ硬い。


見せてくれたお礼に、虫食いの木と一緒に消してやる。悠長にお前の結界を削る暇もないしね

 峻計も呪文を唱えだす。まがまがしい気配に包まれる。
生きとしものすべてを溶かすつもりだ。箱だけが残る。……これまでかもな
 思玲の腕から力が抜ける。扇をじっと見つめる。

無理だろうが、ここから逃げよう。この木まで巻き添えになりますよ。

(今も大ケヤキは俺と思玲を包んでくれている。異形の争いに巻きこみたくない)

さっき見ただろ。黒羽扇は我が術を手玉にする。……これほどの樹だ。万象を受けいれる
 俺を脇にずらし、思玲は結界を扇でなぞる。内側からかすかにひびが入る。俺を見つめる。
あいつが術をだした瞬間、亀裂に護符を押しつけろ。私はかまえているので、なんとしてでも結界を消せ
……はい

(彼女はあきらめてなどいなかった。扇をおのれの顔の前へと持ちあげる)

世話になったな
 扇へと唇をつける。かまえた小刀の前にかざし、また呪文をつぶやきだす。
我、人を救うために差しだすものあり――
(思玲の清らかな声をかき消すように、おぞましい声が聞こえる)
今の人の世に抗いしもの、なおも多し。我もその一片なれば
(峻計の呪文が高まっていく)
ゆえに闇を求むる!
 目を見ひらき黒羽扇をたくし上げる。
(……いまだよな)
 俺は這うように体を動かし、きらめく結界に木札を押しこむ――。押しかえされる。弱った護符ではとても無理だ。
(上空から黒い結界ともいうべきものが、ケヤキと俺達を包もうとしている。峻計は自然の理に反したことをしでかすつもりだ。昨夜思玲がしたことよりも、はるかに凄まじいことを……)
ふっ

 仕上がりに満足したかのように、あいつはほくそ笑む。

はやく消せ!

 怒鳴る思玲は外だけを見ている。

( 彼女まで消されてたまるか。自分の力も注ぎこめ!
!!!
 ふいに護符を中心に、空中の亀裂が四方へとひろがる。小さな結界が崩れていく……。
 
……。
 峻計が俺達を見おろし口を開けて笑った。俺達がいぶりだされるのを待ちかまえていた。黒羽扇を振りかざそうとしたとき、
 大ケヤキの枝葉が大きく揺れる。小鳥達が一斉に飛びたつ。
 あいつの気が一瞬それる。
これは我が心!
 思玲が叫びながら、小刀で扇を切り裂く。
 

 扇の破片が光を帯び、前方へと飛ぶ。

 峻計が黒羽扇を斜め十字に振りかざす。銀色の破片達が術により叩き落とされる。それでも残りが次々と峻計に突き刺さる。

 あいつの黒羽扇を持つ手がだらりと下がる。

逃げるぞ。巻きこまれる
わあ
 思玲が俺の手を引く。弱った体では肩が抜けそうだけど、目の前まで闇が降りてきた。俺と思玲は転がるように暗黒から抜けでる。
……。
……。
 体中に扇の破片を受けた峻計がいる。両手を下げて仁王立ちして笑う。
覚悟のうえよね。もう楽には死なせないよ
これは我が体!

 思玲が小刀を投げる。峻計の眉間に突き刺さり、金色に燃えはじめる。

 あいつはもはや身動きできないのか。

ふふふ

 燃える刀を受けながら、それでも俺達へと残忍な笑みを向ける。


 思玲が立ちあがり、

これは……、積年の恨み!
 ショルダーバッグを投げる。あいつの足もとで、術を吹きだしながら溶けていく。
ふふふふ……
 術のつむじ風が峻計を包む。
もたもたするな!
わあ
 思玲が俺を引きずり駆け抜ける。
ポカン
ポカン

 鬼達は呆気にとられているだけだ。



ハアハア

あいつは螺旋の光をたやすく避ける。白露扇(パイロウシャン)を犠牲にするしかなかった。

だが扇と護刀をじかに喰らおうが、あいつならば夜を待たずに回復する

ハアハア

(回復?)
本気で怒らせてしまったぞ。哲人もむごく殺されるかもな。……あいつの隙をとらえたのに無念極まりない

(手持ちの武器をすべて使って時間稼ぎだけ? 割にあわない)


あいつは何者ですか?

楊偉天の式神、いや片腕だ。みずからの羽根と引き換えに底知れぬ力を得た大鴉だ。飛ぶことを捨て、人の目にさらされ、人の手足をまとった化け物だ

ハアハア

……。

 体中がまだ鈍痛に襲われている。宙に浮かぶように引きずられながら、俺は振り返る。

 人の目に見えない闇は霧散していた。誰に気づかれることもなく、大ケヤキはあとかたもなく消えた。枝葉の中にいた小鳥達がみんな逃げていてくれたらと願う。

ハア…ハア…

 思玲は校内の大通りで立ちどまる。

 当たり前だけど、太陽は昨日の今ごろと同じ位置にある。夕立のおかげであの暑さはなさそうだ。人通りは皆無。すぐそばのカフェテラスも無人だ。あの場所を見ても、懐かしいなんて思わない。

ドーン達は大丈夫ですか?
 弱弱しく声かける。体はまったく癒されない。

キョロキョロ

あいつが私を追うかぎりは平気だろ。私達のが山火事の中の松ぼっくりだ。

キョロキョロ

あいつにかかれば、私など刈られるのを待つ痩せた稲穂にすぎないからな

 覚悟を決めたように歩きだす。俺から手を放す。
どこへ行くのですか?

フワフワ

 浮かびながら尋ねる。自力でなんとか前へ進む。
不確かではあるが、すぐそばに護符を清められそうな場所がある。

ここから先は哲人と木札が頼みだからな

(近くに清らかな場所? 思いあたらない)

フワフワ

聖域とも言えるだろう。図書館だ
ピタ
 目ざす場所を聞いて、俺は宙で立ちどまってしまう。
思玲、あそこには……
分かっている。使い魔を封じこむほどに清らかなものがあるはずだ。使わぬ手はない

ズンズン

 思玲は立ちどまらない。振り向きもせずにずんずんと歩く。
だが充分に気を張っていろ。決して耳を傾けるな。魂を奪われるぞ
……。
 それでも俺は立ちどまったままだ。
(……悪あがきだ。扇を切り裂いたのも、魔物の巣窟にいくのも、滝つぼに沈められてもがいているだけだ)
はやくしろ。黒羽扇の光が飛んでくるぞ
……。

フワフワ

 急かされて、気力をしぼり空中を進む。さらなる深みに嵌まる気がしてならないまま。

 西に傾きだした太陽に照らされながら、丸腰の彼女の影を追いかける。





次回「弱い二人が向かうのは」

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