十九の一 座敷わらしと天宮の護符

文字数 2,699文字

2.5-tune



 あらゆる苦痛が消えて、ドロシーのリュックがずしりと重くなる。俺の体が回復して、俺の力が弱まったからだ。

はは、しぼみやがった
とどめだ!
(一日だけであろうと慣れ親しんだ体。おのれの目で見ることができぬ体。座敷わらしはおぞましい槍先を避ける。それを操る異形の片足を引く)
うへ
 土壁はあお向けに転び、水の音を盛大にたてる。
(……あらゆるものが近づいている。か弱き妖怪の感が訴えている。この嵐は俺が呼んだと、ようやく気づけた)
(座敷わらしが木札をかかげる)
チカチカ

(天宮の護符が切れかけの蛍光灯みたいに、土砂降りの深夜の沢をちかちか照らす……。

 なんて護符だ。やる気がないのか? )

 
フサフサ!
(それでも座敷わらしは野良猫をめざす。点滅する護符で、首に巻きつく術の光をぎこぎこ切り裂く。フサフサは薄れかけた体で俺をにらみかえす)

あっちへ行け。

私は一匹で死ぬ。カラスにさえ食わせてやるものか

(胸もとからは紫の毒がにじみ、口から血が伝わり消えていく)
“ふん”
“付き合ってやるさ。所詮、野良猫なんていつ死ぬか分からぬ運命だしね”
(俺は野良猫を思いだす。うす汚れた野良猫、にやけた面の野良猫、俺と横根を助けてくれた野良猫)
(死なせるはずがない!)
松本の傷が完治するとはね。腕さえも戻った
(露泥無の闇がにじり寄ってくる)
つまり機会も戻った。ならば僕も善意を続ける
ビュン
ビュン
(闇を切り裂くふたつの鞭を、俺はたやすく避ける。空に浮かぶ人間へと護符を向ける)

木霊は傍観者のはずだが。

連中を操ることはできない。ならば木霊の意志か?

(顔を裂かれた人間が静かに言う。

 人間がまた術の鞭を振るう。俺は闇へと浮かぶ。鞭がかすめる。おなかのリュックが邪魔だ。もっとすばやく飛びたい)

ふふ
――人間は空で待ちかまえている。
ふざけんな

(俺はその胸へ護符を向けることにためらう。こっちの世界であろうと、人を殺せるはずない)

ふふ
眼鏡もやられたか
(……張麗豪が顔をぬぐう。フサフサに裂かれた五筋の傷が消える)
刺してもよかったのだぞ
(目のまえの張麗豪がかすんで消えていく)
実体を蜃気楼として、おのれを消し去れる。結界と違い妖術扱いされているがな
(抑揚を抑えた声だけが残る)
松本、天珠ヲカエセ!
!!!

(人の声が雨音にかき消されそうに聞こえた。ずぶ濡れの東洋女性が胸から血を流す白人女性を抱えている)

究極形態ダト、異形ノ言葉ハダセナイ! デモ祈リヲ捧ゲラレル!

ヨソノ式神デアル僕ガ、フサフサヘ祈ッテヤロウ!

(俺は、めいっぱいに怒鳴る異形を信じる。左手をポケットに突っこもうとして手がすべる。見えない襟に手を入れて天珠を取りだす。二人へと降りる――)

フワフワ

(くそっ、あいかわらずふわふわだ)

人のガキめ……
(槍を支えに川から土壁が立ちあがる。頑丈な奴だ。奔流となった沢にも流されやしない。俺をにらむ)
受けとれ!
ベチッ
(俺は露泥無である女性に天珠を投げる。露泥無は顔で受けとめる)
悪意ナキモノニハ反射デキナイ


始メヨウ。――すべてを護る闇に請う。われ禍々しきと呼ばれども、友の魂を救わんと……

(鼻血を流した女性が、フサフサへと天珠を押しつける。

 異形が異形へ捧げる祈りは、人の言葉であろうが異形の耳に心地よく届く)

人間め、邪魔するな
お前こそ邪魔するな!
うほほ
(俺は槍を向ける土壁へと突進する。土壁は水へともぐる。身を隠し、槍だけを突きだしてくる)
ひゅ~
ひゅ~
(炎の玉と毒の玉を乱雑に放たれる。俺はすべてを避ける)

 真紅の花火と紫色の花火が、豪雨の空へとひろがり消えていく。

土壁、私もいるのだぞ。

その女はこの国の魔道士か? さすがに殺していいものなのか?

ソウデス。私ハ陰陽士デス!

殺シタラ国際問題デス

日本語は知らぬが、陰陽と言ったな。

大陸に立つ前に、たいした新入りの噂を聞いた。土壁は気をつけるべきか。陰陽士ならば封じられるかもしれない

(空からの声は露泥無のでまかせにさらに考えこむ。

 こいつはなにを呑気に分析していられるのだ。張麗豪を倒さないと。あの気配がむき出しで近づいているのだから。人であろうと傷つけないと)

はっはっはっ、人での喧嘩は楽しいよな
(土壁が水から飛びだしてくる。対岸の岩に着地する。俺を笑いながら見る)
こうやるのか?

(土壁がおぞましき槍を天にかざす。なにも起きるはずがないけど……。こいつも気づいている。俺を驚愕させるために、気づかぬふりを続けていやがる。

 フサフサに槍を刺した、野良犬だった異形め!)

こうやるんだよ!
チカチカ

(座敷わらしがまた護符をかざす。……またもやチカチカだ。はったりにすらならない)

 暗雲が上空で渦巻きだした。あいつだけではない。誰もがここに現れる。

松本ハ戦ウナ。僕達ヲ守レ!
(露泥無が叫び、また祈り始める。

フワフワ

 俺は二人の背後に降りたつ)

ゴオオオオ
パシン!

(土壁が炎を放つ。とっさに向けた護符がはじき返す。

 ようやく役に立った。この木札はこれぐらいしかできないのか? そんなことよりもフサフサを見る)

やれやれ
(フサフサは露泥無だけを見ていた)
ハラペコ、もういい。縄張りは全部ゆずってやる
 フサフサが女性を押しのける。
あんたは、あのカラスを知っているかい? ……慎重な連中が、あんたなんかの声に傾けるはずないよね
あのカラス?

(胸を押さえながら立ちあがり、対岸の異形をにらむ)

うぉほ、猫が犬に挑もうとしているぜ。

人と化しての決着だ。あんたといえども手をだすなよ

(土壁が上空へ愉快そうに声かける。

 槍を持ちあげ、水平にぐるぐる回す。炎と毒が混ざりあい、赤紫色にどんやりとした渦となる)

人間を巻きこむべきなのか

サッ

(麗豪がフサフサと土壁の対角線上に降りてくる。それを聞き、露泥無である女性がフサフサの前で手を伸ばし立ちふさがる)
邪魔だよ

パシン

 フサフサが露泥無の頭をはたく。

 張麗豪が振りかえる。両手から鞭が伸び、露泥無へとからみつく。

ウワアア

その扱いなら、お前は陰陽士でなさそうだ。

鯰だったかもな。……できのいい貉か?

バレテシマッタ
 
(女性が術の鞭に締めつけられ宙に浮かぶ。その体は黒く溶けだし地面に落ちる。誰の目にも追えなくなる)
麗豪さん、邪魔なんだよ! 一緒に消えるぞ!
おい
ゴオオオ
(土壁が槍を背負い、振りおろす。赤紫色の渦が、張麗豪の蜃気楼が消えたさきの、仁王立ちするフサフサへと向かう)
ふん

タタタタ

(フサフサは四つん這いになって避ける。立ちあがり、土壁へとにやついた笑みを向ける。俺へも顔を向けて)
はやく逃げておくれ
 回復しかけの無理した笑みを浮かべる。





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