二十五の四 ファイナルカウントダウン
文字数 2,903文字
野太い声がした。ドアを引きちぎるかのように開けて、鬼が顔を覗かす。
思玲は両手で印を結んでいた。
『キキ、峻計が来るなんて一言も言っていないよ』
『あの鴉は怒りにとらわれない。残りの異形くずれを追っている』
『法具もない東洋の祓い師には、鬼一匹で充分と判断したのかな』
『むろん、小鬼の入れ知恵もあるがな。なあ思玲様。ホホホ』
思玲が印を鬼へと向ける。透明な光が鬼の顔面に直撃する。
『王思玲、最後の機会だ。ここに来て箱を開けろ』
思玲が立ち上がり素手でみがまえる。
『だったら海藍宝、お前にチャンスを与えてやるよ』
『私達と契約を結べたのなら、人の女どころかあいつも好きにできるぞ』
鬼が箱へと顔を向ける。
『箱を開けてくれ……』
『……頑張れ。応援するから』
思玲は壁に追いつめられる。
……鬼が彼女に蹴りを入れた。うずくまる彼女の手を無理やり握る。
鬼が彼女を引きずりながら、ドアへと向かう。
俺は鬼へと突進する。その背に張りつき、ぽかぽかと叩く。……伸びてきた手につかまれる。
鬼は俺を宙に浮かべ、中腰で拳を向ける。
バコン!
俺は存在感のない木札を懐からだして、鬼へと突きつける。はったりに、鬼が俺を見つめる。
鬼が両手で思玲を持ちあげる。
俺へと思玲をぶん投げる。
バゴーン!
彼女を受けとめることなどできず、一緒にまた棚へとぶち当たる。
俺は思玲の下敷きになる。
思玲もうめき声をあげる。
鬼が立ちあがり、天井に角が刺さる。
鬼が角をはずそうと首をひねる。部屋が揺れ、血の色に光った埃が舞い落ちる。
俺達の横に封印された箱が落ちてきた。
『海藍宝。私達まで巻きこむな。
王思玲よ。生と死、どちらを選ぶのだ。私達を開放すれば、剣が手もとにあるのだぞ』
血の闇のなか、思玲はなお立ちあがろうとする。
海藍宝の目が血の色に光る。金属製の棚のフレームを引きちぎる。
鬼がフレームの先端を牙で研 ぎながら言う。
『……外でやれよ。俺達はそこまで悪趣味ではない』
俺は思玲の下から這いでて箱をつかむ。コウモリどもの話が真実なら、あいつらを封ずるほどの刀がここにある。鍵のかかった箱を力づくで開けようとする。異教の力にさまたげられる……。
思玲が力をしぼり鬼へと向かう。
鬼の毛むくじゃらの手が伸びる。思玲の髪を握り放り投げる。思玲は書庫に腰から激突する。
彼女の抜けた毛を、海藍宝がぱらぱらと落とす。鬼は笑っていた……。
恐怖も絶望も消え、怒りだけに支配される。
聖なる力に静かに命ずる。開かないのならば、引きちぎるだけだ。
唐突に箱の鍵が解かれる。
鬼がアルミスチールのフレームを、槍のようにかまえる。
俺は箱を開ける。
まばゆいほどの黄金の光があふれだす。
装飾もない武骨な短剣が光り輝いていた。
鬼が槍を俺へと放る。俺は短剣をかざす。さきほど思玲がしたように、横向きに諸刃を上下にして。
剣から発せられた光がシールドとなり、槍をはじき返す。フレームの槍は、そのまま鬼の胸へと突き刺さる。
『まさかの締結だな……』
『お前は何者だ? 契約だから、あの娘は人に戻す。今ある力のほとんどを使っても』
『くそ、何百年ぶりに外にでられるのに、何百年も細々と溜めた力が抜けていくぞ。猫なんかを助けるためにだ。……くそ、龍の娘を守ることを違えるなよ』
『サキトガ、悲嘆するな。夜はじき訪れる。いずれ新月も』
金色に照らされた部屋の中で、使い魔達の声が消える。赤い闇も消えていく。
海藍宝は胸に槍を受けたまま怯えていた。
鬼が部屋から逃げていく。短剣から発する金色の光も、かぼそくなり消える。室内は暗闇に包まれる……
見えない俺の手の中で、異端の者に操られたことを恥じるかのように、短剣はぼろぼろと崩れて消える。
思玲の苦しげな息づかいが聞こえるだけの、闇に取り残される。
生死の境が楽隊みたいにとおり過ぎ、また闇にひそむただの異形になり下がる。
次回「座敷わらしとずたぼろ女」