三十の二 上弦の言上

文字数 3,865文字

スヤスヤ
 
……。
思玲は?
 ゆったり羽ばたくドーンに並んで、まずそれを聞く。

ブワサ、ブワサ

鬼をひとつ倒したらしい。俺はさっき桜井とすれ違った。クロスチェンジなんて言ったけど、こっちのがヤバそうだね
(桜井と思玲が合流してくれるのは、現状では最善かもしれない)
で、あいつが劉師傅かよ。マジで俺達を狙っているじゃん。て言うか、瑞希ちゃんが倒れているし。

……いないと思ったら川田が! あの野郎!

川田と横根は無事だ。

(今のところはだけど)

師傅はけた違いだ。下に降りたらやられる

(おそらく横根は狙われないが、人の目に見える異形であるドーンも川田も成敗の対象だろう。

……思玲をここに呼びたい。そんな猶予はない)

そうは言っても、あの二人を助けないと。

ミカヅキが言っていたよな。俺と哲人は人に戻れるって。だから花火をあげようぜ。ぶっ倒そうぜ

……。
……。
(ちりばめられた灯の中で、駅ビルの屋上はただ闇をさらしている。……そこに戻るしかないよな。

あの恐ろしい剣こそが破邪の剣だ。それがあれば箱にかかった術を消せると、思玲は言った。

つまり、あの人を倒して、あの剣を奪い思玲に託し、箱の妖術をかき消す……。

箱は峻計から取りかえす……)

無理だよ。説得して仲間になってもらうべきだ

(俺は冷静に判断しただけだ)

カッ、俺達が降伏ってことじゃね。



ありかもな

(それには俺達が消すべき存在でないと認めてもらわないと。

……師傅は問答無用で剣を振りかざしてくる。俺達の釈明など聞いてくれるだろうか……。


 口が達者な(お喋りなだけな)ドーンと、弁がたつ(理屈屋の)俺の二人なら、きっとできるはずだ)






 

 上空に駅前のざわめきは届かない。俺達は下界へと降りる。
……。
スヤスヤ
グルグル

その女の子は横根瑞希と言います。白猫だった人間ですが重傷を負いました。それを思玲が珊瑚の玉で救って、人に戻ったときに所有者が変わってしまったようです

グルグル

 照準をあわせられないように大きく旋回しながら、師傅が知りたがったことを伝える。珊瑚を心臓にしたとか使い魔と契約したとか、余計なことは教えない。
お前の説明は合点がいかぬことが多すぎる。ここまで降りてくるがよい。

さもなければ、私は狼を消して大鴉と青龍を追う

エ?
ザケンナヨ

 劉師傅の声はよく届く。俺とドーンはあわてて屋上へと向かう。


 師傅は剣を地面へと置く。それでも俺は距離をおいて浮かぶ。なにも持たないままの師傅がたちあがり、再び俺を見上げる。

お前達が異形と化したのは、いつだ?

昨日の午後四時頃です(俺達の身を案じての問いか?)


楊老師は日本にいるのか?
(……楊偉天を倒して日本に来たのではなかったのか)
見てないっすよ。あいつらの様子からすると、いないんじゃないのかな。

て言うか、思玲がマジでヤバいって。ここで俺らの相手をしている場合じゃないですし

(ドーンがフェンスから答える。聞いていて、はらはらさせられる。もうすこし丁寧な言葉づかいをしてほしい)
流範は?
スルーカヨ
消えました


思玲が倒したのか?
哲人と川田がとどめを刺したんすよ。それって座敷わらしと狼の、人間のときの名前ですけどね
サスガ(ドーンが、俺達が人であることを強調する)
手長(テナガ)多足(オオアシ)は?
(劉師傅は反応も見せず知らぬ名前をあげるだけだ。日本語名?)

そいつらは誰だよ。聞いたこともないよな。


て言うか、瑞希ちゃんが生きているかぎり桜井は青龍にならないって、思玲が言っていた。

だから、はやいとこ川田と瑞希ちゃんの意識を戻してくださいよ。そんで思玲を助けて、俺達を人に戻してくださいよ

四玉は誰が持っている?
マタ、シカト…
さっきまでは俺が持っていましたけど、今はあいつだと思います
マジ? 奪われたのかよ
四神のものからまで、あいつ呼ばわれか……。

四玉が手もとにあったゆえに、狼狽せずに済んだのだな

峻計から奪いかえすのは俺達も協力します。なので、残りの四人を人に戻してください
ダネ
(この人は、なぜ五人も異形になったのか、四神もどきでない俺の存在のわけを聞いてこない。理由が分かっているのか、それとも興味ないのか)
たしかに我が剣があれば、お前達を人に戻せる。幾度となく祖国で為したことはある
ゾク(劉師傅の目がさらに厳しくなる。次に続く言葉を予測して背筋が寒くなる)
だが青龍に選ばれし資質を残すわけにはいかない
(やっぱりな……。フェンスからドーンが飛んでくる)
バタバタ

五人が人に戻らないと意味がないんだよ

バタバタ

 俺の横で羽ばたきながら師傅を見おろす。
人に戻れば、青龍の娘は忘れられる
“松本君こそ”
……。

 簡潔な答えを受けて、俺は思いだす。偶然に支配された、二人だけの真冬の時間を。

 あの笑みさえも忘れろと言うのかよ……。

桜井は青龍ではない! みんな人間だ。みんな人に戻れて当たり前だろ!
……。
(師傅は俺の剣幕にも顔色を変えない。怒りも同情も浮かばない)
分かってはいる。生贄に選ばれてしまった救うべき者だと。お前達の仲間だとも知っている。

それでもなお、人の世に戻すわけにはいかない

(闇を挟み離れていようが、この人の目はまっすぐに俺達を射抜く。その眼差しは、真実しか言わせない威圧を与える。弁を弄するなんて無理だ。本心を伝えることしかできない)
……思玲も、俺達が人に戻ることを願っています


(それでも俺は彼女を持ちだし糸口を探る。思玲を餌に師傅の情を引きだそうと)

……。
彼女は扇と護刀を投げだしてまで俺達を守ってくれました。その思玲が俺達を……、

その思玲も俺達の仲間です。だから思玲を助けにいってください

……。

 俺の心にあったもうひとつの願いが、真実として言葉としてでてしまう。


 電車の警笛が長く響く。

……思玲は誰と戦っている?
琥珀という奴ですよ。


そういや峻計は?

あの小鬼が来たか……。お前達に残された時間は限られている。それは聞いているか?
 師傅が屈んで剣へと手を伸ばす。
ゴク…はい
 師傅が剣を手に立ちあがる。

黒羽扇は傷ついた。奴の体のごときものであっても、あの式神は邪悪な光をしばらくは発せまい。


奴らはあきらめぬ。青龍の娘が人に戻ったとして、また襲われる。私がこの地で老師を倒したとしても、別のものが狙うかもしれぬ。

思玲のごとく両方の世界に存在できる者も、楊老師の四玉の理屈を解して真似できる者も、大陸にはいる。

やがて誰かの手により、かの娘は完全なる青龍と化すかもしれぬ

 劉師傅が俺を見る。
……!
!!
(……気づかぬうちに俺は師傅の面前にいた。ドーンも真横にいる。
 俺達は引き寄せられていた)
だからって人を殺すのですか? 桜井夏奈と名前で呼んでください。名前のある人を殺すのですか?
ならば逆に聞こう。桜井という名の娘が人に戻ったとして、邪な心を持つ者どもから誰が守るのだ? 資質が弱まるのはまだ十年も先。

それに――

俺が守ります

(分かってはいる。どうやって守るのだ?)

なるほど。だが人に戻れば今の記憶は消える。かの娘を本心から守りたいのならば、お前だけは人の心を持つ異形のまま、娘を守る存在として忌むべき世界に残してやろう
……。

(劉師傅が俺の目を見つめる。俺は目をそらしてしまう。俺だけ妖怪として残る。そんなことを選べるはずない)

答えられないか? 耐えがたき選択か? お前も同様に求めているのだぞ。人の世に害をなすものを見逃せとな
……。

(師傅が俺達を見つめる。俺達からの最後の答えを待っている。俺達は真実しか口にだせない。たとえ、それがこの人の心に召さないものだとしても)

五人とも人に戻る。……あなたに頼る必要などない
……だよな。


俺達は弱いけど、やるときはやるものな。カカカッ

……。
 俺達が焦がれる世界は土曜の夜にざわめくだけだ。傾いた半月だけが俺達を見ている。











我が術は無敵ではない。空を飛ぶ小さき鳥を追うのは容易ではない。先に峻計のかたをつけよう。我が弟子である思玲も、それを望むだろう
……。

(今の師傅の話が意味するのは……、桜井の処分はいったん猶予するのか?)

それって、夏奈ちゃんの件は棚上げってことっすよね?
(さすがドーン。念押しして言質をとろうとする。でも師傅は答えもせず、横根へと顔を向ける)
スヤスヤ
あの娘は珍奇にも陰の世界の記憶を残したままだな。しばらくはこの悪夢を覚えているかもしれぬ。徐々に霞んでいけばいいが
 劉師傅は横根の脇にしゃがみ、その頬に手のひらをかざす。それからドーンを見つめる。
娘が目覚めたときにはお前が先導してやれ。日本の鴉の真似をしろ
はい?
ジロ
 
……。
 師傅が立ちあがる。緋色の布で剣をくるむ。狼へと目を向ける。
そろそろ起きるがいい!
ビクリ!
お前達と違い、手負いの獣は危険だ。いずれ人に害をなす
 師傅が布に包まれた剣の先を川田に向ける。いきなりのことで俺達は声もだせない。
これ以上の犠牲を生みだしたくはない
!!!!!
 師傅が剣を振りかざす。緋色の光が川田を襲う。狼の絶叫が響きわたる。
 
 同時に溶け始める……。
カツカツカツ…
……。
 狼の魂は瞬時に切り裂かれた。妖怪である俺には分かる。この男は俺達へ背を向けて歩きだす。非常階段へと向かう。











“松本、道の向こうでお婆さんが困っているぞ”












 俺は人であった川田を思いだす。でかい図体で横柄で、やさしく真正面だった川田……。
……。

 紅蓮だ。

 この三十時間は、理不尽への怒りや絶望にまみれて過ごした。でも、これほどまでの憎悪は……。

……劉昇

 俺は憤怒の具現と化す。





次回「砂粒ほどの記憶」

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