九の二 ブドウ棚の下で

文字数 2,283文字

 デラはほぼ終わっていた。シャインは今が盛り。

 畑の奥をたどるように、麓に向かう。

(俺は地面から10センチほど浮かんで進む。歩くより楽だ)
ノシノシヒソヒソ
(フサフサである白人のおばさんは、畑の重い土の上を音もなく歩く。リクトと思玲は黙ったままだ)
(本当の暗闇。ブドウの葉の下からでは、盆地の夜景も見えやしない。

 俺の心は一向に晴れない。お天狗さんに行ったところで、護符があるとは思えない。カラスにつつかれた背中に、リュックが擦れて痛い。えぐれた首はもっと痛い)

“我、人でなきもののために捧げる”
(ドロシーの祈りを思いだす。あの子は暗闇にまだ一人きりかも。木霊達に囲まれているかも……)
やっぱり戻ろう
 先頭をいく俺は立ちどまる。
ドロシーを心配しているんだろ。そりゃかわいそうだけど、優先順位ってのが
(ドーンは、こういうことにはさとい)
あんた達は戻りな。ゴンゲン様のマチに帰るために、私はここで踏んばる
(背後からフサフサの声がした。この数時間で初めての緊張した声だ)
感じとったのか?
(やはり緊迫した思玲の声)
蛸か? お前が怯えるのなら犬か?
(犬なら分かるがタコってなんだよ。……犬ってのも異形か?)
さっきの式神なら、タコじゃなくてクモだろ。ちょっとだけ見てくる

バサッ

(ドーンが頭から飛びあがる。ブドウ棚の下を低く飛ぼうとする)
ドーン、やめな!
ビクッ
空からも来た。タカが一羽だけだがね。下からは、そうさ化け物の犬だよ。両方の指ぐらいいる。あのでかい怪物もだ。

……こいつらは命令されているね。人間と合流しやがった

(言っているそばから、上空を人に見えぬ大きな影が舞った。暗闇であろうと分かるのは、俺も同じ異形だからか)
羽根ある敵はヤバい。逃げられない
(ドーンが頭に戻ってくる)
八頭のハイエナを引き連れた蒼き狼。アンディの式神。

タカも奴の式神。つまり灰風(フイフォン)斑風(パンフォン)


八本足の化け物はシノの式神だ

(ハイエナと狼? 犬どころではない。ワイルドすぎる。こっちの世界はなんなんだ)
もうじき囲まれるよ。なんで犬の群れに襲われる羽目になるのだい
(フサフサが俺にすがる目を向ける)
その匂いを追っているのさ。

哲人が呼んだのだから、なんとかしておくれ。

無理ならば遠くに行ってくれ

(ドロシーのリュックサックのことか。これには箱が入っている。投げ捨てるわけにもいかないけど……)
(ハイエナが生きた獲物の尻から内臓へと食べていくのを、ユーチューブの閲覧注意で見たことがある。首のえぐれた傷がなおさら痛みだす)

ズキズキ

“ヒック、ヒック”
(なんで、こんな目にあわされるのだ。民家の明かりなど届かぬ山麓の畑で、魔道士が指図する化け物に狙われ、助けてくれた女の子を裏切る行為をさせられて……)
ドーン、おりて

(箱を手放せないなら、フサフサの言うとおり俺が離れるしかない)

私も誘う立場だ。背荷物をよこせ。

たしかにうまそうな匂いだね

私を食べたら猫に戻れないからな。


哲人はお天狗さんまで突っ切れ。火伏の護符を手にして戻ってこい。

和戸は哲人を空から援護しろ

思玲が囮になるのかよ。無理だって
(頭上でドーンが騒ぐ)
哲人、あの力をよこせ。戦うしかねーし
(カラスをカラス天狗に進化させる力だろうけど、どうやれば湧いてくるのだ。ほかの力にしてもそうだ。あの護符は、雪の中を一人で登ることによって手に入れた。今回はどうやれば手に入るのだ?

それに敵は香港だけじゃない)

大カラスは?

(ブドウ畑に立ちつくしたまま尋ねる)

化けカラスの気配は追いづらい。

ソワソワ

ツチカベはいなそうだ

(台湾の異形がドロシーを狙う可能性はあるだろうか。

……俺が彼女のもとへ戻れば、気がかりがひとつ消せる。うまく行けば敵を分散できる。そもそもフサフサとリクトは強そうだ。思玲は知識があるし頭もまわる。この三人ならばタコぐらい撃退できるかも。タカぐらいなら逃げられるかも。ハイエナぐらいなら……)

思玲は民家に逃げなよ。警察を呼んでもらおう

(まとめて来られたら逃げられるとは思えない)

人の世界に関わるなど、二度と口にするな!
(思玲が怒鳴りかえす。そういう場合じゃないだろ。この前も、何度言い争いをさせられたか……)
(俺は確かにこの世界にいた。切羽詰まるほどに、記憶でなく意識として思いだす)
スーリン。哲人を困らせないでくれ。なおさらじゃないかい
(棚に頭が当たらぬようにかがんだフサフサが、うんざりとした顔で俺を見おろす)
分かったよ。私が全員守っているよ。まだ忘れているようだけど、呼ばれると断れないのだよ
お札まで――お前を、守りたい
(こんな顔をした野良猫も見たような。無惨に破壊された墓地にあって、そこだけ残された墓石の影で。上弦間近の月の下で)
ならば、あそこに忍びこめ。人はいないと思う
 俺は肥料会社の倉庫を指す。
俺は哲人と行く

キッパリ

分かった

(行くべき先しか分からない俺が答える。ドーンとなら立ち向かえる)

ついでだ。そいつも守ってやるよ。よこしな
(浮かぶ俺を抱えこむように、フサフサがリュックをむしり取ろうとする)
これはドロシーに返す!

フワフワ

 フサフサをすり抜け、俺は来た道へ向かう。
それを餌に捕囚とするのか?
(女の子の邪悪な声がした)
……人質がいれば、腑抜けなアンディ達なら手をだせまいな。

しかし、あとが怖いぞ。生き延びたとして、お前も十四時茶会にお呼ばれだ

(勝手に勘違いしていろ。俺は悪の一味から卒業だ)

フワフワ

お天狗さんじゃないのかよ
(ドーンが頭上で逡巡の気配を示し、結局俺に乗りつづける)

フワフワ



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