三十八の一 真夏の萌黄色

文字数 3,169文字

この木だったかな。違うかもしれぬが、これもなかなかだろ?
……。

 深夜の公園で思玲が立ちどまる。

 彼女と並んで、名前も知らない樹木を見上げる。

どんな木を探しているのですか?
強くてやさしくて若い木だ。こんな町中では杞憂だが、もちろん木霊がついてないものだ。もと座敷わらしの哲人なら、見れば分かるだろ
(木霊がなんであるかは知らないけど、そういう樹木ならば分かるかも。おそらく俺はまだ、か弱くやさしい妖怪変化だと木々から見られている。今だって、それを感じる)
だったら逞しそうですけど……(この木はちょっと若すぎる)


あっちのはどうですか?

厚朴(ホウプー)か……
(俺が指さした小高い木を見る思玲は不服そうだ。地面に刺さった小さな看板を見て、これがホオノキだと樹木にうとい俺は初めて知った)
(たしかに朴葉味噌に使う葉っぱだ。大きくて扇の代わりにもってこいだ)

すこし年を取りすぎだな。葉がでかいからで決めたではあるまいな

ジロ

時間がない。ここは哲人を信じよう。


……どの葉がいいかな? やはりあれだな。


……ちょっと位置が高いな。哲人が座敷わらしのままだったら浮かんで取れたのに。すまぬが土台になってくれ

(マジかよ。むしるつもりかよ……。俺達のために傷ついた思玲の頼みだから仕方ない)
どうぞ
イテテ…

もう少し屈め

(彼女はしゃがんだ俺の肩に腰をおろす。どこか痛いのか中国語で悪態をつく。俺はゆっくりと立ちあがる。物の怪に肩車させた人間なんて、そうもいないだろう)
もっと左に寄ってくれ。……届かぬな。やはりあっちの木にするか。おろしてくれ
 そっとしゃがむ。彼女がまた悪態をつきつつ足を伸ばす。
無理やり取るより、お願いするほうが
 俺の提案を、思玲が小馬鹿に笑う。
樹木に頼めと言うのか。さすが、もと座敷わらしは言うことが違うな。そんな手法は古来の書物にも書かれてないが、それならお前がやってみろ

ムカ

(ひさびさに彼女の言いまわしを聞かされた。そんなだから珊瑚の玉を使いこなせないのだ、とはもちろん口にはださない)

分かりましたよ


(俺はむっとしながらも目をつぶる。心の中で樹木に願う)

この人は、こう見えてもやさしくて強い人です。あなたと同じくらいに。

すこしだけでいいので、彼女と俺達に力を貸してください

……!
 目を開けて、樹木を見上げる。
(……無数の葉が舞い落ちてきて、俺達の前に小さな緑色の山を作る。最後に枝についたままの若い葉が、くるくるとプロペラのように落ちてくる)
 葉達の上に着地して、七枚の小ぶりな葉を四方にひろげる。
ありがとうございました
(俺は感謝の意をホオノキに伝え、思玲を見る)
…………。

 彼女はあんぐりと口を開けていた。

やはり眼鏡がないと気づけぬか。しかし、よき木だな。遠慮せずに使わしてもらうぞ
(思玲が葉達の前にしゃがむ。手を合わせる)
我はかくも力なきゆえ、空と大地をつなぐものに助けを請う――
(清らかな呪文が歌声みたいに響く。……まわりの樹木も聞きいりだしている)
我が差しだすは恥ずべきものに非ず。とこしえなる繋がりを求むるものなり
(思玲がおのれの髪をつまむ。もうひとつの手の爪で髪をなぞる。剃刀があたったかのように、髪は葉の上へと切れ落ちる。それを何度もくり返す)
――願わくは、我が力となりたまえ

…フウ

(呪文が終わる。力を尽くしきったように、彼女は両手を地につける。その前で、彼女の長髪がホオノキの葉の上で消えていく。一番上の日輪のような枝葉が術に包みこまれる。その上へと、まわりの樹木の霊気が降りてくる)
……あふれそうですよ
……。

 思玲は返事をしない。肩で息をしながら、ホオノキの葉があった場所を見つめるだけだ。

 やがて術の煙が静かに消え去り、葉達は新たなものへと生まれかわる。

哲人……、日本の樹が私なんかを認めた。私などが魔道具を作ってしまった
(思玲が扇を持ちあげる。萌黄色の面が円状にひろがる。思玲は唇をそっと当てたあとに、ぱしりと閉じる。立ちあがる)
峻計に苦汁を飲ませた白露扇(パイロウシャン)をも越えるだろう。……七葉扇(チーイエシャン)と呼ばせてもらう
(思玲が扇をかざし、亮相のポーズを取る。彼女の顔に覇気が戻る)
おのれが頼りとする魔道具に名づけるのはしきたりだ。哲人、行くぞ

ズンズン

はい……ペコリ
 散切りなボブヘアになった思玲が再び歩きだす。俺はホオノキとまわりの樹木に、彼女の分まで一礼して追いかける。
髪が短くなり、抜かれた場所が目立ってないか?
 思玲が気にするので、彼女の頭に顔を寄せる。たしかに親指ぐらいの範囲で毛髪がまばらになっていた。

完全に抜けているわけではないので、言われなければ気づきませんよ(正直な感想)


それよりも劉師傅から色々と聞いています。思玲に伝えておくべきこともいくつかあります

ズンズン

話せ

ズンズン

 小走りの彼女へと話しはじめる。
楊偉天は何度倒しても復活したみたいです。魂が現れなかったらしい
……もはや化け物だな

(思玲はそうつぶやくだけなので、俺は話を続ける)


手長と多足が来るらしいです。どういう奴らですか


……?

 草野球で使われる規模の野球場のバックネット裏に到着する。
(……陰でなにかがうごめく)
名がすべてを語っている。手長は猩猩(しょうじょう)、多足は大百足(おおむかで)

メイドインジャパンの異形だ

(地面でなにかが思玲を見ている……。珊瑚をもたない彼女に引き寄せられている)


そいつらが鍵を握るようなことを言っていましたが

 百鬼の刻にそぞろになりながら、俺はたずねる。
……グリッ
 思玲は足もとに伸びた陰を思いきり踏んづける。
師傅なら容易に倒せるが、私では苦戦で済まない。そうおっしゃりたいのだろ。

とはいえ、連中は知性のかけらもないから、どうせ護符の餌食だな

(……陰は逃げていった。俺も落ち着こう)
ズンズン

ズンズン

(師傅の話はそんな安直なことかな? 俺と思玲は球場を囲む柵に沿って進む)
ぎゃあ!
でかい声だすな
 女の生首が前方を転がり、かなり驚かされる。思玲は気にもしない。俺も伝えることに専念する。
図書館の魔物が逃げたみたいです。楊偉天の配下になるかも
瑞希が人に戻った顛末を話してないだろうな? 海神の玉の件はまだばれてないか?

(上司に失策が露見することだけを気にしやがる)


ばればれでしたが、とりあえずは不問にするそうです

ほっ

ズンズン

(もうひとつだけ伝えないとならないことがある)


川田が子犬になったときに劉師傅と揉めてしまって……。師傅は護符を受けて血を吐きました

ズンズ…ピタ
(思玲が立ちどまる。振り向き俺を凝視する)
……和戸からはそこまで聞いてなかった。なぜはやく教えぬ

(さすがにドーンでも言いよどんだか)


さきほど会ったときは元気そうでした。ワンパンで俺を倒したり、空を飛んだり……

師傅はお前になにか告げなかったか?
(思玲が怪訝そうに俺を見つめる)
剣を持たせようとしなかったか?

(まさにそのとおりの振る舞いをした)


しましたけど持てませんでした。ただ剣は俺を認めてくれたみたいで、おかげで桜井が許されたのです

……。
(彼女は俺から目を離さない。無表情のままで見つめ続ける――。

ここで彼女との戦いになるかも。なぜだか、そんな予感がする。そしたら、また護符を捨てよう)

……剣をいまだお持ちならば案ずることもなかろう
(ようやく思玲が答える)
他にも告げられただろ。私を盾にしろとか
え、それは……

(別れ際にたしかに言われた。それを言うのはさすがに気が引ける)

チッ
 言いよどむ俺へと、彼女は舌打ちする。
さもあらんな。私でも半人前の女魔道士よりお前を選ぶ
(思玲が俺から目をはずし、闇空を見上げる)
師傅のお望みどおりに、私は哲人の盾となる。ゆえに矛も哲人に渡す。今回だけだがな



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