四十一の一 陽炎のビル

文字数 2,326文字

4.5-tune



…チッ
人間をどこへ連れていくのだ? 峻計さんもそこに行くのか?
 国道脇を進む俺達に姿をさらす勇気もないくせに、野良犬はまとわりついている。
……。
……。

 車やオートバイがごくたまに追い越していく。誰も思玲と横根に興味を示さない。深夜の子犬の散歩だとでも思っているのか。そもそも目前にしか興味ないのか。この町もいずれ日が昇る。

あの声を聞くと落ち着かない。追いはらうか?
(先頭の川田が聞いてくる)
とっちゃん坊やのシバ野郎。誰に話しかけている。やはりボスの異形がいるのだな
(俺は人の姿に戻ろうと野良犬にすら見えない)
なにかいるのか?
(最後列の思玲も気にしだす。人である思玲には、さすがに生きものの声まで聞こえない)
さっきの野良犬だと思います。でも、ゆがんだ声……
(俺の背後で横根が答える。人であるのに、あらゆる声がまた聞こえている)

バサッ

ただの犬なんか追いはらうじゃん。俺があぶりだす
 元気になった姿を見せるかのように、ドーンが声へと飛んでいく。
うほっ

 いきなり闇からツチカベが浮かびあがる。おとなの首もとを優に超す跳躍力で、ドーンに飛びかかる――。

たあっ!
ゲホッ
……。
 思玲が畳んだままの扇をかざす。野良犬は地面に叩きおちる。うめき声を飲みこむ。
いてえ…。これがテッポウって奴か? やはり尋常ではない集まりだな

 野良犬は狭い路地へと消えていく。

峰打ちとは思えぬ打擲だったな。生身の犬に悪いことをした
(思玲は新たな扇を感心したように見つめる)
あざす。

あの犬は、あいつと連れになった。もっと痛い目にあわせてもよかった。マジで

キャンキャン

お前達、なんで立ちどまっているんだよ。完全に捕らえたぞ。先にいくからな

テクテク

(口では言いながらも、傷を負った思玲にあわせたペースで駆ける)
あそこの電柱で立ちションしながら待っていろよ
ハハ
(背後のドーンの軽口が聞こえて、桜井が俺の服の中で笑う)















 

ここはどこ? …すごく近いね
俺は背が低すぎて、場所までは分からん。

でも、ここが終点だな

(川田が国道脇の建物を首が折れるほどに見上げる)
な、なんで、こんなことができるの

ボーゼン

だから、どこなの!

(桜井はいらだちを隠せなくなっている)


ただのビルだと思う。

でも歪んでいる

……。
(そのテナントビルは、闇の中で陽炎のようにゆらめいている。階のところどころに、人のものではない明かりが灯されるのが見える。ありふれた小さなビルだったのに、今は強大な妖術の嵐に襲われた廃墟だ)
……。
(誰も寄りつけない魔窟……。窓を数えると四階建てで一階は不動産屋みたいだ。
 妖術に覆われたしょぼくれたビルが決着の地とは。人間もどきと四神くずれにはもってこいだ)
おそらく、この鏡のごとき揺らぎは、はるか昔に龍を封じた結界……。今の世では楊偉天だけが使える代物だ
……。
忌むべき世界に属するものが踏みこめば、奴を倒さぬ限り二度とでられぬ。……人除けの術も充満している。こっちは師傅によるものだな。

我々以外は、人でないものしかここにいられぬ

カカッ、今さらどうでもよくね?
(まったくだ。俺達は閉じこめられてきた。そこから抜けでるために、箱の中の箱に入るだけだ)
お先に行くぜ
ああ

(子犬が臆することなく妖術の陽炎に飛びこんでいく。俺も揺らめきへと入る)

ヒヒヒ
ビク
(老人の笑い声が聞こえた。……警告などではない。ただのあざけりだ)
ほんとだ。でられない
(振り向くと、横根が内側から陽炎をノックしていた。外の世界が揺らめいて逃げ水のように見える)
師傅はどこだ?
師傅ならてっぺんだな。屋内ではない
楊偉天どもも天上だろう。我が師傅と戦うとき、奴らは逃れるべき空を必要とする

ズンズン

(思玲が俺を追い越す。

 また屋上か……。そこから曙光を見るのだろうか。それまでに終わるのだろうか)

これが術の気配かよ。俺にすら分かるぜ

カカカ

それよか、閉じこめられた人がいたらどうすんだよ。ブラックな会社なら土日も寝泊まりしてるかも

いないな

キッパリ

ネズミすらいない。……死臭もない

いたとして救うまでだ
 思玲が扇をひろげる。円状になった七葉扇に術を乗せて、狭いエントランスをあおぐ。淡緑の光は開いたままの入り口に飛びこみ消える――。彼女が振り向く。
気休めにもならぬな。階段を行くか。裏にでもあるだろ
(異形の俺達には非常階段も似つかわしいようだ。ただ、この規模のビルにあるとも思えないが……)
チョコチョコ
ズンズン
テクテク

(思玲と子犬は気おくれせず、ビルの横へと向かう。数台分の駐車場は網目のフェンスで道と仕切られ、営業車が一台停まるだけだ。


……道路がゆがんで見える。ここすらも、まわりの世界から分断されている。見あげると高い空は揺らいでいない。師傅から逃れるべき空か)

俺が見てくる
(俺の視線を深読みしたのか、ドーンが思玲の肩から飛びたつ)
やめろ!
思玲。まずは挨拶が常識だ
(どこからか声がした)
こちらに来なさい
発動
ひっ
 護符が発動した。同時に背中を引っぱられる。
きゃあああ……
くそっ
キャイン
 後ろにいた横根の悲鳴が、またたく間に遠ざかっていく。前にいた思玲と川田も、俺の背後へ吸われていく……。
プルプル、プルプル
(強烈な力に護符が抗う。俺自身も必死にこらえる。俺だけは飛ばされない)
噂どおりに強いお札だ。我が術を脱ぎ去りし若者よ
(上空からの声)
護符と忿怒を授かりし物の怪というべきか……。

面白い存在ではあるが、儂でもさすがに使いこなせない

(声の主は近づいている)
あの声がする……。気配がないのに

ムギュ

ワッ♡(人である桜井が俺へとしがみつく)
あのジジイだよ
?!
 俺は振り返る。
……。

 老人がぴたりと張りついていた。





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