囚われた男

文字数 2,804文字

4.3ーtune



もう充分に守ってくれたから。


哲人さんがそう言ってくれた。ツルッ



あの人はなんであんなに素敵なの? 琥珀もそう思うよね

ツルッ

分かったから、もう少し声を小さくして。触ろうとしないで。どうせ無理なんだから
(見張りの奴らに緊張感はない。

 ……なぜにこうなった。よりによって王思玲の手に落ちるとは。しかも、あの寺のあの地下牢に戻される。いや、戻ることなく殺されるか。どちらにしても私は終わりだ。熱傷を受けた全身が痛い)

な、ななに? この魔物は?
サ、サキトガだ! 貉、主を呼べ
ギギギ、殲が来るまえに全員食い殺せるぜ。

はやく呼べよ。そこからカウントダウンを始めるからな。沈が現れるのは337秒後だから、俺は237秒後に逃げる

(闇の向こうがうるさい。それ以上に下から漂う臭気が耐えがたい。思玲め……。

 闇が冷気を帯びる)

僕は完全なる闇と化した。貴様の牙も爪も届かない。琥珀とドロシーを食い殺せばいい。

大姐が来るまで、僕がカウントダウンしてやる。330,329……

だったら俺が逃げるまで、225,224……。

天珠があろうが、この俺には分かるんだよ。お前はまだ沈栄桂を呼んでない

(沈大姐……。楊老師がおそれた者は、昇とあの女だけ。魔物のいやしい声が続く)
(つぎはキリ番だからな。残念ながら殺す相手は決まっている。

 闇がもう少し深まるまで、梓群ちゃんをいじめて時間つぶしをするだけ)

黙れ! 我々は香港魔道団。貴様の声など二度と届かぬ。

私は、さっきの私よりはるかに強くなった。滅べ!

かゆいね~。

パパやママのことを言われても平気なの? もっと大事な人ができたの? もうすぐ死ぬ人間を?

こいつは使い魔だ。なぜにおぞましい西洋の妖魔が関わっている。鏡の導きは失せたのか? 老師は何をなされている

哲人さんに手をだしたら、私はお前を許さない……。助けにいく

ドロシー、落ち着けよ。こいつの言葉にとらわれるな
梓群ちゃん、小鬼はやっぱりドライだね。心配するのは思玲の身だけ。


黒貉、呼ぶのを躊躇するなよ。新月だしこの図体だ。たやすく逃げられるから

僕に妖魔の声は届かない。だが、いまのメンバーではサキトガに勝てない。近くにいるのは傷ついたケビンだけ。

僕だけ逃げてもいいが、どちらかが犠牲になり時間稼ぎをするのならば、沈大姐を呼ぼ

灯!
ひっ
ぐえっ

二度と上海を呼ぶな! 私がこいつを倒す

こいつらは何をやっているんだ? 妖魔に弄ばれている
な、なんで僕に光をあてる。……落ち着こう。扇をひろげるな
ドロシーやめろ。敵はサキトガだ

夏梓群、異形が怯えだしたぜ。

ママもお前の力を知ったとき、怯えただろうな。なまじおぞましき力の存在を知っていたからな。


なにも知らずにお前を授かったパパが震えだしたのはいつだ?


黙れ! 聞こえない!

お前はパパの(おのの)く目しか覚えていない

黙って……。

やっぱり哲人さんのところに行く。琥珀、天珠を貸して

(この娘は本当に魔道士か? 心が弱すぎる。傀儡の術にさえかかりそうだ)
我が主の名にかけて渡さない。

ここで張を見張る。僕達の使命だ

嫌だ。私はあの人のところに行く。……守るから守ってもらう

ドロシー。沈大姐を呼んだ。だからもう大丈夫だ

さてと、そろそろ日没だ。

哲人さんにお別れが言えず残念だったね。すぐに会わせてあげるけど


バサッバサッ

(巨大な羽音……。姿を見ずにいられたのは幸いだ)
琥珀。私は本気だよ。天珠がないと心をもっと見られる
僕に扇を向けるな。絶対に天珠は渡さない。ぐえっ、……貉、受けとれ
借りた魔道具で、その人の式神を傷つけるとは……。

僕は君をゆるさない。思玲と琥珀の名誉にかけて、ここを離れない。僕を傷つければ、張麗豪は丸見えになる。誰かが救いに来る

だから? そうなる前に私が麗豪をやる。お願いだから渡して
(手錠さえはずれたら、娘梁勲の孫だけなら倒せる。松本がいないのなら)
大姐は呼んでいない。さっきのもブラフだ。だが傷ついたケビンをなおも起こそう。お前を成敗してもらうために
(覆われていた闇が消えていく)
天珠を飲むな。……ゆるせない、
灯れ!

ひい!

(激しい明りに包まれる)
……。
(……光の中で、あの娘が扇を手に見おろしていた)
あなたを殺さないとならない
 おそらく二十歳になっていない。化粧を覚えれば、さぞ美人になるだろうな。
そうしてくれ。私も捕囚になりたくない
シャッ
おお

(娘が扇を突きだす。……香港の構えからの台湾流の型。なぜにアレンジできる。この娘は天才か)

へっ
え?
滅べ
くっ

(躊躇なく生身の人に殺意を向けた。あらゆる意味で末恐ろしい……人外のごとき者)

 飛びだした煤竹色の光を、麗豪は背を向けて金属の手錠で受けとめる。年相応に芯のない光だ。それでも、おぞましいほどに強い……。






 

はっ
……。
 目覚めると娘はいなかった。地に落ちた夜鷹をかばいながら、琥珀がにらんでいる。こいつも至近で術を喰らったな。
玲玲に手をだすな……
 覚悟を決めたものの声だ。こいつの扱いにこそ気を使う。……新月の夜が来る。小鬼でさえ恐ろしい存在になる。はやく逃げないと。
どうかな?
 麗豪は手錠を左右に引く。術を喰らい弱まった鎖がちぎれる。鞭をナイフのようにだし、体を厳重に縛った縄を切る。
……。
……。
……。

 胸ポケットから真新しい眼鏡をだし、体をさする。ついで浮かびあがる。

 人除けの術を浴びた不快感が抜けない。貫かれた足には包帯が巻かれてある。治ることはないだろう。

思玲め
 林間をよろよろと飛ぶ。法董にくれてやろう。奴ならば、幼い玲玲でも喜んで手籠めにする。香港の娘は二人がかりで弄んでやるか。
“……思玲め”
ふっ
 峻計も思玲から傷を受けたな。しかも顔に。醜くなった面は、おそらく何十年と回復しない。ならば、あの魔物は用済みだ。あいつも法董にやろう。滅魔の輪でいたぶられながら……。

 処分するときは、私もご一緒するか。

 
 あの娘がいた。透けた女と鴉もいる。どうせ林にもひそんでいる。
小姐(シャオヂェ)多謝(ドウシェ)
…ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ
 空から人の声をかけて、ちぎれた手錠を見せるだけにする。いまの体で手負いの獣と渡りあえない。娘の青ざめた顔を見られただけで充分だ。
 
ふっ
 飛んできた術を蜃気楼となり避ける。







 飛び蛇が姿をさらした。法董の優秀な蛇だ。私を奴のもとに導いてくれる。……法董も傷を負ったと、蛇が伝える。あの若者の強いまなざしを心へ映像として伝える。

 あの若者ならば、すすんで異形になるだろう。しかも新月だ。やはり老師がいないと勝ちめがない。法董とともに合流するしかない。

 老師はどこだ? 異形どもしか知らない。連絡もない。あの飛び蛇ならば探しだせるかもしれないが……。

……。
 危惧するのはやめよう。偉大なる老師ならば、たとえ選ばれようが、死者の書の魅惑に囚われるはずないから。私も書に選ばれたい。
……。



次回「この国の侍衛」

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