八の一 子どもだけど純粋ではない

文字数 2,101文字

グー
……。
君は逃げてきたの?
(カレーの匂いが漂う集落で、ドロシーが尋ねる。俺は妖怪になったからか、香ばしいスパイスを嗅いでも腹が減らない)
どうだろう
(あいまいに答えておく。夕餉の匂いよりも頬からの彼女の口紅の香りのが強烈で、しかもいい香りだ。気づかれぬようにこすって消そうと努力する)

ゴシゴシ

やめなよ。ちょっと強くキスしちゃったから取れない

(ドロシーは気づく)

ペインティングみたいで、かわいいよ

ニギッ

サッ

(集落を抜ける。ドロシーはすぐに手をつなごうとして鬱陶しい。俺を見る目も鬱陶しい。人であった俺には、くだらなそうな目を向けるだけだったのに……。

 トカゲや蛇をペットにする人もいるのだから、異形フェチの魔道士がいておかしくないかも。だとして、あのおばさん猫にはどういう態度をとるのだろう――。

 聞くべきことがあった)

黒猫はあなた達の式神?

(フサフサが言うには、人でもある不吉な猫)

私は君達を使役にしない。仲間の式神にもそんなのいない
(きっぱりと答えられるだけだった)







 

(大峠のお天狗さんへの林道は記憶よりも荒れていた。夕暮れ近いカラスの声にびくっとするが、ただの鳥同士のあいさつだ。俺こそ異形だから分かるようだ)
(振りかえると、俺がたどった道筋が紅色のラインでくっきりと残されていた)
気配だよ
(ドロシーが俺の手をまた無理やり握り、引き寄せられる。紅色の口もとがこわばる。逆の手には、知らぬうちにタクト棒が握られていた)
……察するに、式神ランクは四つ星以上でけだもの系。そんなのが、日本といえども里山にいるはずないよね。

つまり王姐の式神。こんなランクの奴を……

ブルッ

(俺も感じとる。よく知っている気配だが、さらに凶悪になっている)
 
(気配は山へと遠ざかっていく。まだ野放しかよ)
……フゥ
(ドロシーが息を深く吐く。俺の手をはなし、リュックをおろす。……あの箱を空高くまで飛ばした棒よりも、もっと強い道具をだそうとしている。リクトに怯えたためにだ)
武器をだすな。スーリンちゃんはこどもだ! 手負いの獣も子犬だ!
“よいことを聞いた”
(思玲ならほくそ笑むだろう。なぜか思う)
子どもに戻り、術の力を純粋にしたというの?
ハア?
だから電話にでずにメッセージだけだったんだ。さらには資質ある子犬を異形とした……。

妖術士などに堕ちてないよね。私は彼女を信じている

(勘ちがいが深まるだけだ。

 させたままのがいいかもしれない。仮に出くわしても、いきなり痛めつけて拉致するはないだろう。話し合いから始めさせよう)

 ドロシーは逡巡ののち、なにもださずにリュックを背負いなおす。
へへ、あれは本来より軽くしてあるけど、まだしまっておくね
台湾の道士ってどういう連中?(話題は変えておこう)
魔道士のことよね? 百歳を超える老人を長にした少数精鋭。人を異形に変える、許されざる一団

ゼエゼエ…

その神社はもうすぐなの?

たしか

フワフワ

(林に囲まれているから闇の訪れがはやい。登り坂を早歩きするドロシーの息が荒い。俺は浮かんでいるから平気だ)
台湾の魔道士は内紛をくり返した。

王姐の言葉に偽りがなければ、かの慈悲なき劉昇が死んだらしい。狂鳥(クアン)の張麗豪の噂も聞かない。生き延びているのは、忌みすべき楊偉天と雲豹(ユンパオ)の王思玲だけかな……。

ハア、フウ

仔細は上層部でも分からないことが多いんだ。だから王姐をとらえる必要がある

(豹に例えられるとは、あの女の子はたいした魔道士だったのかも)
アナグマ
ブルッ

(……もっと情けない通り名があったような気もするけど)


思玲と知り合いだったのか?

(思いだそうとすると頭が痛くなる)

うん。ふたつの結界を操り、螺旋の光を放つ、おそるべき若き魔道士

…マックラ

 ドロシーが逆の手に持つタクトを振るう。
(タン)
(その先から人魂みたいに、ぼわっと光が灯る。これは、魔法使い映画にでてきた、なんとかの光だ)
(……あの光よりずっとでかい。どんどん大きくなっていく)
俺達まで飲みこまれる――
咁都得(ガムドダ)
(ドロシーが異国の言葉を叫ぶ。あわててタクトを逆に振るう。光の勢いはみるみる小さくなり、線香の光ほどにか細くなる)
大丈夫
 ゆっくりともう一度逆に振り、ランタンほどの光となる……。
(思玲が言ったように、この女は術の加減ができないのかも。それに心の声もでかすぎだ。昨日みたいに怒鳴りつけられないだけ、まだましだけど。

 しかし異形の目で見ても、かなりかわいいよな――)

(なにかの気配にぞわりとする)
こ、これも大丈夫。ただの木霊だよ
(言葉と裏腹に、彼女の握る手が強まる)

ギュウ

へへ、光のせいで怒らせちゃったね。この道から離れなければ大丈夫
(妖怪変化の俺を幼い弟のように扱っている。握る手も怯えだけじゃない。俺を守るためだとも気づく)
一緒に飛ぶに――
(……いつだかもっと強く握りしめられたことがあるような。にび色の雷が渦巻くのを見おろしながら……)
もうすこし声を抑えてよ

 それだけ伝え、汗ばんだ手のひらを握りかえしてやる。木霊がなんだか知らないけど、そいつらはいまの俺を仇とは見ていない。





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