四十三の一 終わっているはずない

文字数 3,585文字

ひひひ……
……。
ブルッ
(屋上の楊偉天は宙に浮かんでいた)
昇よ。まさに根競べであったな。この地でも無益な死が続くかと、さすがに不安になった。

おそるべきは、げに劉昇。だが儂の勝利で終わる

……。
(楊偉天以外に誰もいない。乗り越えられるぐらいのフェンスに囲まれた狭い空間なのに、川田達はどこにも見あたらない)
 
 楊偉天が杖をかかげる。
みなは結界に閉ざされている
だから見えない……
だが楊の結界は再生する
……はい
チャッ

まとめて消さねばならない

ひひひ……
 師傅が破邪の剣をかざす。楊偉天も杖をおろす。朱色の光が群れとなり、俺達へと向かう。師傅の剣から鋼色の光が飛びたつ。

 朱色の鳥達を交差するなり消し去り、楊偉天のもとへと突きすすむ。

ヒヒヒ
 楊偉天の姿が蜃気楼のように消える。鋼色の光も闇に消える。
 
 
 
 上空から朱色の蛇達が俺と師傅を襲う。

 発動!


給受・九天応元雷声普化天尊
 
 
ふん!
 
 
 護符が発動して、蛇は俺に触れるなり消える。師傅が剣を薙ぎ、残りの蛇達もかすんで消えていく。
 楊偉天の笑い声だけが闇空に響く。
 低空に赤い星がいくつもきらめく。
(星じゃない……赤い雪)
ふん!
 師傅が剣で闇をはらう。ぼた雪のように落ちてくる朱色の光を跳ねかえす。剣を逃れた光が師傅に張りつく。師傅は手でつかみとり、地面に叩きつける。

 発動!


給受・九天応元雷声普化天尊

……。
 俺に触れた光はそのまま消える。
バサッバサッバサッ
くっ
 重たげな羽音。上空からの突進を、師傅が転がるように避ける。大カラスが降りたった足もとから煙があがる。
焔暁!
お前の相手は違うよ
 俺はぶん殴ろうとするが、焔暁はすぐに飛びたつ。その上空から、うねる光が襲う。
ちっ
 師傅の剣がはじき返そうとして、なにかにさまたげられる。師傅へと朱色の光が巻きつく。
結界がへこんだ。劉昇はまだ強い。


流範まだかな

……竹林よ
ふん!
(師傅が全身に力をこめ、縛りつける術の光を微塵にする。


 俺には大カラスがからんでこない。護符があるからだけでない。この人を倒せば勝負が決するからだ)

ハア…

みなを包む鳳雛窩をまとめて消さねばならない。

私が巨光環(チーグァンホァン)を発する猶予を作ってくれ

(師傅が荒い息で言う。
 その難しい名前はなんだ? ……姿隠しの結界と、あのでかい光の輪のことだな)
昇よ。終わっていることに気づきなさい
 楊偉天の声が下から聞こえた。
 コンクリートの地面から、ゆっくりと浮かびあがる。
ノウマキインガロゼ……
ひっ
(不快な言葉を声として唱えだす。……背筋が凍える。これが、いにしえの呪文かよ)
ザイシンガイガツエダツ!
ホッ

(師傅が祓いの言葉を声として発する。楊偉天の呪文が弱まる)

ノウマカインゴロゾ……

ヨロ

ザイシンガイガツエダツ! ザイシンガイガツエダツ!
 楊偉天はなおも呪いの言葉を唱える。師傅がよろめきながらも祓いの言葉を続ける。
焔暁だ!

(俺の中で桜井が叫ぶ)

ヤバいくらい燃えている
 上空を見上げる。なにも見えない。それでも俺は師傅の前へとでる――。
!!!
 呪いと祓いに挟まれる。護符はどちらもはじき返すが、じわりと不快が押し寄せる。
(……護符が穢れたな。だとしても上空へとかかげる)
わあ。強火と火伏せの正面衝突だ!
 竹林の声が横へとずれる。

いきなり退くな!

……。

 結界に隠れていた業火が露わになる。

 俺は灼熱に襲われる。

お天狗さん!
 護符を握った左手を右手でさらに握りしめる。

 発動!


給受・九天応元雷声普化天尊
ゴオオオオ
 焔暁の燃える爪を受けとめる。これは……、熱いなんてものじゃない!
あちー!
いてぇー!
 俺と焔暁がたがいにはじきとばされる。
ありがとう
老祖師~
(俺は師傅に受けとめられる。焔暁は薄らぎながら楊偉天のもとに転がりこんでいく)
激甚な護符だが……でかしたかもしれぬぞ
護符封じの術を焔暁にかけている

体を張ったのに……

(やはり楊偉天がいたら護符も意味なしか……。ひりひりと痛む自分の手に目を向ける。赤く腫れているが、それすらもおさまっていく。その手を開く)
 
……。

(木札だけが黒く焦げていた)

気をたもて!
は、はい

(呆然とする俺を、師傅の腕がさらに引き寄せる)

巨光環だ
 師傅が剣をはらう。目の前に鋼色の輪郭が発生する。
(光が水平に飛びたち、巨大なベーゴマのように屋上を蹂躙していく)
思玲も殺すつもりか……
 
(光線の中で老人の声が消える。

 師傅は剣を持ちなおす)

私はみなを守ると誓った。


さもなければ鴉どもも消えた

ひええ~
結界溶けたら、また死んじゃうよ
 すべてを消し去る光の上で、大カラスが必死にばたついている。師傅が剣を向ける。
ヒュン!
……。
 でも突風に焔暁が運ばれる。剣が発した光は、虚空を流星のように消えていく。
護符除けのせいでなおさら重いぞ
 上空で雷鳴のごとき声が反響する。見上げると、大カラスが大カラスを爪で抱えて羽ばたいていた。
“……。”
……。
(溶けて消えたはずの異形が南の空に浮かんでいる。俺をにらんでいる……)
俺へと手をあわせやがったな。おかげで俺の魂はだいぶ奥まで行った。

呼ばれても、戻るのに時間がかかってしまった

(こいつは焔暁や竹林よりずっと強いのだろう。敗死を強いた俺を見る目に、なおも自信が隠れている)
カラスなんかシカト! もう、みんな見えるよね

(目線を水平に戻すと、巨大な輪が消えた屋上は街に浮かぶ虚ろへ戻っていた)

おなかの中から、


キイキイ!

みんな!!!

キイキイ!

桜井か!。

松本の匂いもするぞ。どこにいる?

 
 屋上の中央にかたまるように三人はいた。座りこむ横根。地面へはりつけにされた思玲。その二人を守るかのように、尻尾を凛とまるめた子犬がいた。
 
桜井とドーンもいる!
 横根が子犬を抱きよせる。俺はみんなのもとへと駆けだす。

 川田が声をしぼりだす。

松本……瑞希ちゃんはまた人形だ
 
 
 俺は無表情の横根を見おろす。彼女は子犬の首を絞めあげていた。
またかよ!
 子犬を奪いとる。
見知った人の痛みと苦しみにだけ、松本君は本気で怒るんだね
(桜井はなにかに耐えている)
私にも、その気が伝わっちゃうよ

キャンキャン

瑞希ちゃんは操られているだけだ!
(腕の中で子犬がわめく。傷だらけで火傷だらけじゃないか……。その目は両方ともふさがれていた)
海神の玉は、人の作りし(およずれ)には無力。白虎の娘は老師の術には抗えない
 師傅の覇気なき声がした。
ハハハ
カカカ

三対一で護布は無し

まだ護符は健在か
スタッ
 上空を大カラスとくすんだ鋼色の光が飛び交うなか、横根が立ちあがる。胸もとで珊瑚のペンダントが揺れる。
 
(彼女は無表情のままで俺の首へと手を伸ばす)
トクン
(弱った護符がなおも発動する。……傀儡の横根は殺意を持っている)
横根……

チラ

(俺は護符の怒りに耐える子犬を手放し、彼女から後ずさる。仰向けで身動きが取れない思玲へと目を向ける)

 彼女も目だけを俺へ向けていた。
み、な、を、守、れ
 思玲が声を伝える。

俺一人で?

(彼女は力になれない。上空を異形の鳥が舞う。守るべき横根の手が俺の首へと向かう。混沌だ。どうすれば――)


わあ

 Tシャツの胸もとが内側から切り裂かれる。
横根――ちゃん!
(桜井が飛びだす)
目を覚まそ!
どん!
 小鳥のタックルを受けた横根が吹っ飛ぶ。
見えなくても分かる


桜井、加減しろ!

……あの狼? 幼き手負いの獣?


ブワサッ

 駆けだした川田へと疾風が向かう。
瑞希ちゃんを傷つけたのは、あんただね!
これが青龍?

カカカッ

 小鳥が風に飛びこむ。流範は羽ばたきをわざとらしくゆるめて、笑いながら逃げる。
キャイン
川田君!


てめえ、ズゴン!

わ、すごい!


ドサッ

 横根の目の前で、子犬が悲鳴をあげて転がる。青い小鳥が川田へと急降下する。空間に突撃する。
結界カラスめ。くちばしだけだしてつついただろ
 小鳥が地面をにらむ。

そうだよ。さっきは目を潰したから、今度は鼻を潰した


次は耳

 幼き声だけが舞いあがる。
ざけんな!
わあ!




 

ヒエエエ

(……桜井の気配で屋上が覆われる。それに波長を合わすように、空がまたどよめく。

 彼女を俺のもとに戻さないと。手遅れになる前に……。

 気配に振りかえる)

……。
(老人が入り口に立っていた。もう勘弁してくれ)

夏奈よ。まだ耐えなさい。その息子の服に戻ってもいいぐらいだ


愛らしい白虎の娘よ。夏奈を連れてきなさい

 
(横たわっていた横根が顔を上げる。無表情で無感情の顔)
ジジイ、ふざけんな!
 桜井が吠える。横根の前へと飛び、
瑞希ちゃん、目を覚ませ!
(雄叫びが響きわたる。ビルが震える。黒雲がうずまく……)
キョトン
 横根がきょとんとした顔で立ちあがった。目の前に浮かぶ小鳥を見つめる。猫のような素早さで両手に捕らえる。
ツカマエタ
え?
(傀儡の横根は笑わない。楊偉天の妖術は龍の咆哮でも消せないと知る)



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