二の一 木札を握っていた

文字数 2,540文字

 お天狗さんのメインイベントは、日付が二十二日になった瞬間に始まる祭事だ。参拝者は執りしきられる祠宮へと深夜の険しい山道を二十分ほど登り、急傾斜の長い石段の末にたどりつける。

 その年は真夜中の祭事にいく予定だった。初詣で高校合格をおもに願い、叶ったのならお祭りの夜にお礼に参りますと心でつぶやいたからだ。


二十一日からの雪は何十年に一度の大雪となった。お天狗さんとの約束は果たせなかった。

ピチャピチャ

 翌朝は土曜日だったので、父や弟と雪かきに精をだす。一段落したところで、汗でしめった雪かきスタイルのままでお天狗さんを目ざす。青い空と雪景色だけの世界のなか、車道の轍をピチャピチャと歩くのは爽快だった。


 参拝口では今年の当番の人達が潰れた屋台をほじくり返していた。俺は黄色のバーで通行止めの参道を横からすり抜ける。誰も気に留めていない。雪の踏みあとは数歩でなくなった。

よっしゃ、完璧一番乗り
 中学生だった俺は喜びやがる。お天狗さんとの約束を半日遅れで果たす。そんな目的は瞬時にすり替わった。無垢の雪に足をあげて踏みだす。
ズボ

 ズボリと嵌まる。かき分けて登るのは想像以上にきつかった。

 葡萄畑を過ぎると、マウンテンパーカーの中が汗だくになる。膝下で絞った長靴の中はすでにびしょびしょだ。足の指がかじかみ痛い。……まだ四分の一も来ていない。遭難したら危ないなと言い訳を考えだす。


ハアハア…ウワッ

 つかんだ灌木が折れて、背中から転がり埋もれかける。雪が落ちて顔が埋もれる。


ゴボゴボゴボ……


 一年生の夏の出来事が脳裏に蘇る。パニックを起こし這いあがる。心臓の鼓動が音漏れしそうだ。


……やばくね?

 つぶやいてしまう。念のため、お天狗さんに行くと、弟と友人にメールしておく。

 振り返れば畑も町も真っ白だ。ここからの景色のために三十回は登っている。雪だらけであろうと、下界を見れば山腹のどの辺りか見当がついた。

(もう少しだ)

 もうすこしだ。再びよじ登りはじめる。


 白い息の向こうに雪をかぶった鳥居が見えた。埋もれるように雪をかき分ける。曲がれば長く急勾配な石段だ……。

なんだよ。くそっ

 すでに大人が林道経由で除雪していやがった。しかも完璧に。


 石段は雪のかけらもなく乾いているぐらいだ。最後の気力をふり絞って駆けあがる。

 こじんまりした祠宮に手をあわせ、賽銭箱に百円玉を入れる。お天狗さんのまわりもきれいに雪かきされていた。


 祭りの夜に参拝した人は、金札といわれるお守りを買えるはずだった。祭りの日限定の宮司さんも氏子総代もいるはずない。それでも俺は満足した。


 完璧なまでに雪かきされた石段と神社以外は、これまた完璧なまでの白銀の世界。修学旅行で見た京都のお寺の庭園みたいに、ここだけが存在している。まわりには踏みあとすらない……。


(誰がどうやってここまで来て、こんなにきれいに雪かきした?

かいた雪はどこだよ)

 急に怖くなった。林道へ続く裏道なんて雪に隠されてどこにあるか分からない。それどころか、祠宮の屋根にも雪がまったくないのに気づいてしまった。
……。

お天狗さんの仕業だ!

 逃げだすように石段を降りる。
うわ!
わあ!
 雪道に入るところで登ってきた一団とでくわし、おたがいに声をだしてびっくりする。ヘルメットをかぶった五人連れだ。それぞれがスコップを持っていた。
君だったんだ。中学生? 一人で?
コクリ
おおすげえ
まじ?
低くても雪山は危ないよ
くだりはもっと危ないから一緒に下りようね…………。

これ、君がしたの?

いいえ
 俺は首を横に振る。
 ふもとの鳥居をでたところで、消防団の人達に合わせて山へと一礼する。
家まで送ってあげる
歩いて帰れます。……はい、じゃあお願いします
 大型四駆車の後部座席に乗りこむ。手袋をはずすと、木札が転がりでてきた。親指ほどの小さなものだ。
(どこで手にしたのだろう。こんなのが入っていたら邪魔だったはずなのに、なんで気づかなかったのだろう)
 札には解読不能の呪文のような字が両面に書いてある。汗や溶けた雪にもにじんでいない。
俺らが二日酔いなのにあちこち雪かきして、迎え酒してまで雪ん中を登ったから、お天狗さんもご苦労さんって雪かきしたんずら

いや、神様が松本君に感激して道を作ったのだろ。

祭りの夜に誰も来なかったから、さみしかったのかもな

(そのとおりかも)

 お札をリュックの中へ無造作に放りこむ。

 木札の存在はすぐに忘れた。一人暮らしを始める際に机を整理したら、久しぶりに日の目を見た。あの雪明けの日の出来事も三年ぶりに思いだす
なつかしいな
 一緒に登った連れのように感じる。

(三年間自分なりに尽くした結果だから受けいれよう)

新しい日々には一緒に行こうぜ

 母からのお守りとともに財布にしまう…………って、

 なぜ、お天狗さんなんか思いだした?

……。

 夢から覚めたばかりみたいに、俺は手の中の木札を見つめる。熱く輝いているようだ。背中への日ざしもきびしくて体中が汗ばんでいる。

 いつからここにいたのだろう。目の前にある椅子に座る。

 
 テーブルを挟んだ向かいでは、桜井がぼうっとしていた。俺に気づき顔を向ける。彼女にヒマワリのような笑顔が咲く。
たくみ君?
(そいつは誰だよ)
……わっ
 俺だと知り、わっとした顔であたふたする。それでもぎこちなく微笑みかけてくる。半年前に告白めいたことをしてから、俺に対する態度はいつもこうだ。
暑いね

 桜井はしかめ面をこしらえてそっぽを向く。シャツの胸もとをつまみ風を入れる。テーブルの上には古びた箱がふたつとウチワ、お茶のペットボトルもふたつ置いてある。

 桜井は台湾から帰ってきたんだ。

(俺は呼びだされて、喜び駆けつけた。彼女は前に会ったときよりもすこし日に焼けている……

桜井と二人きりかよ!)

(邪魔な)三石は今日から合宿まで里帰りだ!
台湾は楽しかった?
 彼女だけには、向かいあうと当たり障りのないことしか口にだせない。三石達には悪いが、4-tuneには人目をひくほどの女の子は桜井しかいない。
楽しかった?
聞きたい?
 テーブルへと顔を乗りだす。なにから話そうかといった感じだ。
教えて。

(二人きりだ、二人きりだ)

 俺は至福を感じだしている。





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