三十九の五 花咲き誇る夏

文字数 2,452文字

ひ~
……。

……味方だ。


桜井さん、そいつをやっつけましょう!

 
 
(巨大な雷が眼下に落ちる)
――お前は敵だ。お前は降りろ
きゃっ

……キスしたから?

(龍がうねり旋回する。俺まで落ちかける)

わあ

(雹だ。こぶし大の氷が空から襲ってくる)

『松本哲人も敵だぜ。匠様を思いだせ』

(凍るほどの風が吹き、サキトガが飛ばされる)
――この男以外は消えろ。二人でたくみ君に会う
(この男とは俺に決まっている。だったら雹をとめてくれ。かなり痛い。ドロシーは扇を傘にしているのに)
……。
『……昨夜のせいだな。あれからお前は人の心が戻った』
“おい龍! あんたはなにをしに来たのだい?

哲人も哲人だ! 私のことなどどうでもいい。ただ、もっと呼んでやれ!

“思いだせる。あなたの名前は――”
(……そうかもしれない。でも、これは夏奈だけど夏奈じゃない)


夏奈

 俺はしがみついたツノを介して、心を通じあわせようとする。
……。
(なのにドロシーが俺を見ている)
……。

……頑張って

(俺への盾になり扇をかまえる)
照らせ!
(光の熱に雹が溶けていく)

『夏梓群。松本哲人が遠ざかるぜ。

 邪魔すべきじゃないの?』

(サキトガの誘う声)
照らせ!
……。
哲人さんと私は口づけを交わしたばかりだ!


でも哲人さんが大事だった桜井さんは必ず人に戻す!

 
アイヤー
うっ

(龍が体を回転させて、落ちかけたドロシーが俺にしがみつく。これが夏奈からの回答)

『時間切れだ。仕方ない』
ブルッ

(使い魔の呼ぶ声)

『横根瑞希は祈りすぎて魂をすり減らした。俺も扱いに困っていた。


 フロレ・エスタスよ。あの娘を人の世界に戻せと、俺に懇願しろ。代わりに夏梓群をあのお方に捧げろ。お前は松本哲人を食え。その男とひとつになれ。

 ……俺に任せてもいいぜ』


(真っ暗な空から降りつづく雨)

――こいつを食うはずねーし。でも瑞希ちゃんはすぐ返せ!

(さすが夏奈。だけどそれは……)ダメだよ

『ギギギ、そうこなくちゃな。


 契約が完了した』

(背筋が寒くなる。ドロシーを抱きしめようとしたのに、彼女は立ちあがる)
照らせ!
あれ?
(なのに光は闇に飲まれていく)

『戻したぜ。

ギギギ

 俺のもっていた魂は、珊瑚をもつ横根瑞希のもとに向かったよ。服だけ透けてたら鴉が喜びやがるから、サービスで新調しておいた』

(姿を見せないサキトガが口調をあらためる)

『松本哲人。

 契約を一方的に破棄したうえに、あろうことか契約相手を襲撃して殺したな。さらには龍を恫喝して、捧げられた魂を奪いとった。

 報いとして、まずその娘の魂をいただこう』


だから?
(ドロシーが闇へ向かって笑う。彼女はなにも知っていない。ふいに振りかえる)
……横根瑞希って誰?
人に戻れば、異形に関わった人の記憶からも消える。

ギュッ

俺はドロシーの手を握る。彼女も握りかえす――

へへ

 

 彼女の手の感触がなくなる。

ポトリ
(彼女は消えて七葉扇が落ちていた)
ドックン
『そして松本哲人。貴様は――』
ドロシーを返せ
 妖魔の声をさまたげる。龍へと命じる。
ドロシーを返せ
『話を聞け! 貴様も魂になるんだよ! 俺の手で仇を討てないんだよ!』

 サキトガが叫ぶ。俺の肉体が消えようとする。闇に吸われていく。

 そんなもの耐えてやる!

ドロシーを返せ!

 サキトガに命じる。七葉扇を手に立ちあがる。

 サキトガが聞くはずない。

『フロレ・エスタスは立ち去れ。

 ハイイロクマムシがあと六十九秒で来る』

……。
 雨はやんでいた。
ドロシーを返せよ……
 夏奈へとすがる。
……。
藤川匠などに渡すな
ヒョイ

(暗雲さえも消えていく。龍の爪がやってきて、俺は持ちあげられる。抵抗などできない。龍に比べたら、本当に砂粒程度の力だ)

……。
(俺を顔の前に持ちあげる。感情なき目に悲しみが浮かんでいた)
――私はもうどうでもいいんだ
そんなはずがない
『魂まで握るな。俺によこせ』
(サキトガである魔物が焦りだす)
『楊偉天の式神が来る。無死だ! 俺はさきに行くぞ』


バサバサッ

……。
(傷ついた体をふたつの爪で挟まれる。体がきしむ。痛いし苦しいし血の味だ。俺はポケットを探る)
 事実を告げる。
……夏奈を助けるのは最後から二番目だ
……。
そして一緒に川田を救おう
!!!


…………。

グォォォォォ……
(龍がとてつもない咆哮をあげる。俺は鷹笛をくわえる。夏奈が俺を天高くに投げる)
(……はるか遠くに樽のような影が見えた。たぶん巨大なのだろう)
――匠君に会うのは夜半だからね
(むっとした声。夏奈は盆地の上を南西へと飛んでいく)
 ……雷が樽へと落ちる。樽は巨大な虫に変げし、龍へと向きを変える。あれが無死……。

笛は聞こえたよ。

ドロシーちゃんは?

 風軍のあどけない声。俺は巨大な羽毛をクッションに着地する。そのまま横たわる。

捕まった

え?
助けにいこう。でも、ちょっとだけ待って
(ドロシーといた時は無敵に感じられて、マジで無敵だった。いまは疲労困憊で満身創痍な、なんの力もないありふれた人間だ。空から見る星がきれいなだけだ)
ドロシーのリュックサック、見つけられるかな?
無理
じゃあ、琥珀のところへ行こう
あの小鬼は、とっくに印を消しちゃったよ。……なんでばれたのだろう

さあ

(ドロシーが思玲に暴露していた)
僕、すごく疲れているんだ。主様は休み休み行けと言ったけど、僕すごく頑張ったから。

もう羽根をたたんで小さくなりたい

(俺もかなり疲れているんだ。大ワシが高度を下げていく。俺だって目を閉じて痛みを忘れたい。

 ドロシーの馬鹿野郎は自分から捕まりにきて、また俺に術をぶっつけやがった。どちらも俺を助けるため――。意識が飛びそうだ)

ガーガー
 ドーンの呼ぶ声だ。
あのカラスのところに降りて
うん

(風軍が羽根をやさしく傾ける。ススキ野原の羽毛のなかで、俺は目を閉じる。どうせドーンがにぎやかに起こしてくれる。そしたらリュックサックを探さないと……。人に戻れた横根の記憶はどうなっただろうか? 俺への告白も忘れただろうか?

 まあいいや。ちょっとだけ休もう。本当にちょっとだけ)



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