二の二 蒼光

文字数 3,239文字

わっ、びっくりした
……。
 桜井が目をさらに大きくする。でかい犬が彼女の脇にいた。暑さにやられたのか目がうつろだ。
ずっといたの? かわいいね
……。
(獰猛な黒い狼みたい。むかし親戚の家で飼っていたシベリアンハスキーよりずっと大きくて野性的……。

首輪がない?)


気をつけたほうがいいよ。その犬は

なにそれ!
ブルブル
 俺と彼女のあいだのデッキチェアに、白い猫が怯えたようにうずくまっていた。
ニコニコ。めっちゃヤバいし
ブルブル

 彼女は犬の頭ごしに手をのばし、その猫もやさしくさする。野良犬かもしれない大型犬に無防備で、見ていてハラハラする。

 ふいに俺の顔を見つめる。

私達、なにか忘れてるよね?
ガーガー
えっ? ……お土産まだだよね
ソレダケ?
ガーガー
(そんなに見つめられると……カワイイ)

俺は気弱にも目をそらす。

ブルブル
 白猫と目があった。毛なみは手入れされているから飼い猫だろう。震えて見ひらいた目が子猫みたいでかわいい。
 せっかく桜井とテーブルを挟んでいるのに、なんだか不穏な空気に包まれている。カラスの一団が鳴きながら旋回しているせいだ。足もとでもガーガーと鳴いていやがる……。
(足もと?)


うわっ

ガーガー、ガーガー
 カラスが俺を見上げて訴えるように騒いでいた。
ガーガー、ガーガー
……。(羽根でも折れて飛べないのか。だから上空で仲間が心配しているのか。しかしカラスはそばで見るとでかいな)
クローズ、ザ、ボックス! ハリー!
うわ!
 片言英語の怒鳴り声に、背骨が垂直になるほどに驚かされる。長髪で眼鏡のお姉さんが俺達をにらんでいた。
……。
 長身できれいな人だ。日ざしの下で仁王立ちしている。
(大学院の留学生かな……。桜井と一緒だから、余計なことは考えないようにしないと)
 金属製の箱の中で黄色い布に包まれて、やけに大きな透明のビー玉が三個と、青色の玉がひとつ輝いていた。
(俺達が開けたんだっけ? まあいいや。)
 木札をポケットに突っこんで、命ぜられたままにふたを閉める。
イン、ザ、ウッド、ケース
はいはい。(海外の人は押しが強いな)
 単語の羅列で意思が伝わる。青錆びた箱を木の箱にしまう。
あの人のだったんだ。きれいな玉が入っていたね
バウオホ!
(松本?)マタマタ、わあ!
バウオホ!

ステン!

 妙な鳴き声をあげて向かってきた。とっさに身がまえるが、その必要もなく犬はつんのめる。また前脚をあげて尻尾を振りながら俺へとかかってくる。また転ぶ。
ビクビク、ブルブル
ガーガー
 白猫が椅子の中でさらに縮まる。地べたのカラスがガガッと悲鳴のように騒ぐ……。邪魔者だらけだ。
……。
 お姉さんまでテーブルに来た。チェックのシャツとジーンズ姿で、小ぶりなショルダーを肩にかけている。桜井をにらむように見つめる。
ハロー

……なにか忘れているんだよな

チッ

……。

ナデナデ

ナデナデ

ビクビ…
ウー…
……。

 彼女は犬と猫を撫でたあとに空を見上げる。カラス達をにらみつける……。


 留学生をとやかく言うのは避けたいけど、なんだか風変わりな人だ。俺の足もとのカラスにも気づく。侮蔑の面持ちのなかに憐憫の眼差しが浮かんだような。


ガーガー
 カラスが俺の足もとに隠れる。お姉さんはようやく俺に目を向ける。
ゲット、アウト
(用事がすんだら退出しろだと?)カチン


※以下英語

私達はくつろいでいるのに、あなたはなにを言うのですか?

この騒ぎはあなたが起こしたのですか? どういう理由をお持ちですか?

ゲッ
 受験レベル英会話に、お姉さんはぎょっとした顔になる。さらに畳みかけてやろうと思ったが、気になったことをゆっくりと質問する。
この犬や猫はあなたのペットですか? あなたは中国からの留学生ですか?
ペット? チャイナ?


……ノーペット。

ノー、チャイニーズ。アイ、アム、タイワニーズ!

台湾人?

やっぱ大事なこと忘れてる。あのカラス達が知っているよね?

 立ちあがり空を指さす。
はあ?

 カラスはさらに増えていた。まわりにいた学生達も気味悪がって、ちらほらと立ち去っている。台湾人のお姉さんも上空をちらりと見上げる。手をかざして太陽の方角をまじまじ見る。

 舌を打ち振り返る。

ユー、アー、タイムアウト
(……俺へと指をさしやがった)
ガサゴソ
 この女はバッグからなにか取りだす。
白色の扇子? 広げるとお香が漂う。俺達を囲むように駆け足で舞いだす。
ブツブツ、ブツブツ
ポカーン
(これは京劇の舞踊かな。優美でしなやかでスピーディ。この状況下で見とれそう)
ハアハア…
 彼女はテーブルを一周して扇子をたたむ。短い時間の舞いなのに息がやけに荒い。
…アレ?
 ふと日常から隔離された気分になる。ガラスごしに世界を見ているようだ。
ジー
(にらむなよ)
 お姉さんは手で額の汗をぬぐい、文句のひとつも言いたげな顔を俺に向ける。手の中の木札が、ずしりと存在感を増す……。

ポケットに入れたのに、無意識につまみだしていた。


ブワサ

チッ
 羽音のように風が抜けていった。桜井の前髪が揺れる。お姉さんが青ざめる。
なんだこりゃ

 上空ではカラスの数が異常だ。カーカーアーアーと鳴きわめいている。学生からの不安げな声も聞こえる。厄災が寄ってきそうで、撮影するのもはばかれる光景だ。


 また突風がくる。……鋭くてぬるい風。

ウー
クアイガン!

 黒犬が小さく吠える。お姉さんが顔をかばうようにしゃがむ。さらに風が突きぬける。

 お姉さんは再び扇子をひろげる。剣舞のようなパフォーマンスを始める。胸もとで赤いペンダントが揺れるのが見えた。

(不安過ぎ)

夕立前の風かな。駅カフェに移動しない?

 天候を理由に立ちあがる。
ガーガーガーガー!

 足もとのカラスがわめきながら羽根を押しつける。どれもこれも薄気味悪い。

ううん、行かないよ
 桜井は悲しげな笑みを向けていた。
忘れていたこと、やっぱりカラスが教えてくれた。

瑞希ちゃんと川田君と和戸君……。松本君も思いだせた?

(聞き覚えない。ゼミ関係だろうか)

いや?

私のせいで、みんなどこか行っちゃったと思う
 彼女は箱を手もとに寄せる。
チラ

シェンジンビンア!

 せわしく剣舞をくりひろげるお姉さんが、桜井を横目で見る。切迫した顔で中国語を叫ぶ。
ゴメンネ
……。
 桜井は木の箱を開ける。俺が閉まった青錆びた箱をまた取りだす。
プーシン!

ストップ!

みんなに謝りたいのに無理っぽいね
ボー
 滅茶苦茶にかわいくて切ない笑みを俺にだけ向ける。その箱も開ける。

 青色の玉が輝いている。木札が手の中で燃えはじめる。


 熱さなど感じていられるか!


 桜井と見つめあう今だけが存在している。

ストップ、ハー! アイ、キャンノット、タッチ、ザ、ボックス!
ウルサイ
 お姉さんの叫びなど耳に入れない。
その娘をとめろ。私は箱に近寄れないから、貴様に頼むのだ
えっ!
 我に返る。カラス達が四方から笑い声みたいにわめいている。木札が熱い。なにかが起きている……。
な、なんだよ……
 俺はパニックになりかけている。カラスの半分ほどが地上に降りて俺達を遠巻きに囲むのを見て、声をだして逃げたくなる。何十羽いるのだろう。奴らの視線は俺達だけに向けられている。
……!

 お姉さんの眼鏡が落ちた。彼女は自分の頭をはらう。

 頭上から嵐のような突風。お姉さんがよろめき、ショルダーが肩から落ちる。シャツの背中が汗でびしょ濡れだ。


……桜井!
 俺はお姉さんにかまわず、桜井を見る。
 

 彼女は観念したように玉へと手を伸ばしていた。

 桜井はなにかに憑りつかれた。いつだかそう感じたはずだ。……桜井がどこかに連れていかれる!

やめろ!

 俺は手を伸ばし、彼女の手をはらいのけようとする。反対の手で木札を握りしめたままで。また突風が近づく。


 桜井が青い玉に触れた瞬間、俺の手が重なる。

 強烈なコバルト色があふれだし、俺は吹っ飛ばされる。





次章「1.5-tune」

次回「セカンドコンタクト」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色