二十二 座敷わらしと猫おばさん

文字数 1,908文字

 杉の古木に受けとめられた。山林のはずれにふわりと落ちる。
須臾だっただろ
(聞き覚えのない声。地面に手をつくと下草は乾いていた。頭上には夏の星座さえ見える。遠雷がおさまっていく。
 おそらく龍も去っていく。月神の剣を持ち去った男のもとではないとしても)
(闇が静かすぎる。石鳥居の向こうに、長く急勾配の石段が続いている。その先に祠宮が見える)
(フサフサ……)
(彼女を探す。どこにもいない)
松本、こっちだ
(露泥無の声が石段の上から聞こえた)
ここが噂のお天狗さんだろ?

この神様が力を示さなければ、殲さえも見つけられぬ場所に飛ばされていたかもね

(俺は浮かぼうとして地面に落ちる。……体が見えなくても分かる。酸を浴びた全身の火傷は治癒している。でも胸や腹を貫いた術の傷は消えることはない)
……。

 俺は石段を這って登る。女の子が降りてきて支えてくれる。

大姐の申しつけにより松本達を守った。

それは半分事実だが、見殺したところでお咎めはなかった

(露泥無である女の子が前だけを向いて言う)
急ごう。

僕達みたいのが関わると、ろくでもないことが起きる。だとしても、あの野良猫を見送ってあげるべきだ

……。

(こいつはなにも分かっていない。俺達全員が死んだとしても、最後まで生き延びるのがフサフサだ。でかくてあくどい野良猫だ)

リュックサックは? どこにもない

フサフサが抱いている
……。
あの衝撃で、松本は手放したのだろうな





 

 
(祠宮に寄りかかるようにフサフサはいた。ただれている……。楊偉天の雨を受けた体が回復していない。賽銭箱が透けて見える)
フサフサ、猫に戻ろう
 俺はリュックに手を伸ばす。
触るな!
(彼女は歯をむき出して威嚇する。牙が生えていたなんて気づかなかった。俺には見せなかったから)
どこかに行け
(フサフサが目を閉じたままで言う)
私は一匹で死ぬ。死骸はネズミに食わせてやる。それで差し引き丁度だ
(そして、もう見たくなどない黒い液を吐く。力の抜けた手からリュックが転がる)
(俺は手を入れて箱を取りだす。重みが加わり、肩ひもをつぶすように地面に落とす)
 
松本とドロシーの相性は奇跡的だな
……。
やらないと納得しないのだろ。松本こそいったん人に戻るべきだしね。

分かっているだろうけど、僕の祈りとありあわせの天珠では、もはや回復は望めない。あの老人は松本への致命傷をあえて避けたのだろうけど、それでも芳しくない状況だ

(自分のコンディションなんて、俺が一番分かっている。フサフサが溶けていく。こいつと一緒にあっちの世界に戻る)
 

劉師傅の護布。これを被れば記憶が残るかも。

(ドーンの様に。箱の下から引きずりだそうとする)

そんなものを覆って、巣を怯えさせられるのか?
(露泥無は冷静だ)
そもそも、和戸は仲間への思いだけをひたすら守ったのだろう。だからこそ記憶は残った。


……さきほどみたいに記憶は青龍の光があれば蘇る。人に戻った松本の前で、僕が箱を開けてやる。座敷わらしか鱗人間になった松本に、青龍の玉を触らせる

……。
……チラッ
 
フサフサ、なにげに餌場をゆずってくれたな。でも僕は猫のときは飯を食べない方針だった。ごめんな


関わりなきものがいるべきでない

女の子が石段を降りて闇に消える。夜更かしの鳥が、ホトトギ……と寝ぼけたように鳴く。遠い雷はもう聞こえない。


俺はムジナを信じる

だから木の箱を開ける
錆びた箱も開ける
フワフワ

 黒い光がふわふわと寄ってくる。

邪魔だ!
 一喝する。光が玉に戻る。
“ふふ”
“ほお”
 峻計と麗豪を思い浮かべる。
白虎の光を戻せ
 フサフサが消えていく……。
“ホホホ”
“キキキ”
 使い魔達を思い浮かべる。
猫に戻すんだ
 四玉に命ずる。さらに楊偉天を思う。
“ヒヒヒ”
怯えろ
(四つの玉が震えだす。俺のなかから異形の力が抜けていく。心地よいほどの虚脱感。安堵しながらフサフサを見る)
 
(……白い長毛の猫がぽつんと座っていた。……空に座っていた。きょろきょろと見わたしている)
駄目だよ……
 
 なのにフサフサの魂は東の空を見る。軽やかに天へと走りだす。
おいでよ! あがけよ!
 
(脱力していく座敷わらしが尻尾をつかむ。フサフサの魂が呆れた顔を向ける。手から尾は離れていく。俺の考える力も消えていく……)
フワフワ
(青い光も名残惜しそうに俺から去っていく)
フサフサ……
声にならぬ声をだす。東の空が白みだしている。虚無に包まれる。またもやすべてが中途半端に終わりやがる――















 なにかが頬をくすぐる。……俺こそあがけ。








(目を開けると、野良猫がにやけ顔で覗いていた。青い光をくわえている。手を伸ばし受けとる)
(見届けると、野良猫は薄らぐ空へと駆けていった)









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