遣らずの雨
文字数 1,867文字
3-tune
この人は雨で濡れた体を拭きもせず、タオルを突きかえしてくる。白いシャツに濃紺のデニムなんて着こなしが様になる背高く魅力的な人なのに、この人からは心を落ち着かせないものが漂う。
それでも私は言い張らなければならない。
この豪奢な内装と今から堪能できるサービスにも、この人は納得してくれない。あり得ない要望を並べるだけだ。
私をじっと見つめてくる。私の心に怯えが走る。
なんのたとえだろう。ここから逃げだしたくなる。
白人機長が客席にきて安堵する。チャーター専門小型ジェット機の金額に見あった実績ある人だ。唯一の乗客へと顔を向ける。
武骨な機長が踵を返す。ついてこいと英語で私に言う。
私は小走りでうかがう。
機長は切りかえしに困る言いまわしを使う。
私は言葉をにごしながら尋ねる。
この国で一番贅沢なフライトを貨物室で過ごすなど、常人ではあり得ない。……あの人が常人であるはずがない。数分のやり取りだけでも、私には分かる。目をあわして会話をするだけで、背中に冷や汗を感じた。
機長がコクピットへと消える。今回のフライトの唯一の客室乗務員である私は、やはり唯一の客であるあの人のもとに戻る。
彼は自然体で立ったままだ。……私は多くの著名人の搭乗に居合わせてきた。富豪、映画俳優、スポーツ選手……。この人からは、いずれにもないオーラが漂う。ただの人である私を怯えさせるオーラが……。
それでも私は、台湾で一番のCAの誇りをこめた笑みをかける。
この人は子供のような目でまっすぐに見てくる。
私は笑みで返す。きっとひきつった笑みだろう。
この人も笑みを返してくれる。
一緒にいるだけで息が詰まる人でも、疲れた笑みだとしても、冗談は言えるのだ。
私も皮肉をこめた言葉を返す。
この人は、政府の透かしが入ったネットニュースのコピーと航空図を機長に見せていた。東京の悪童に大学校の門や寺院の墓地が破壊された、というローカルニュースだった。
この人は、立つこともできぬ小さな貨物室に向かうために機外へでていく。私は乗降口で見おくる。
外はまだスコールだ。この人は叩きつける雨にも傘をささない。緋色のサテンで包まれた細長い荷物しかもっていない。
あれは刀だと、いやでも分かってしまう。東京に到着したときにこの人はもう機内にいないだろうと、いやでも思ってしまう。私みたいなありふれた人間が関わってはいけない人だと、いやでも気づいてしまう。
泣き喚き引き留めるような荒天がおさまれば、この小型ジェット機は優先的に離陸する。夜には日本に到着するだろう。
この人はタラップを降りながら言う。
次回「火灯し頃」