(師傅が跳躍する。腕の中でも空にいることを感じる。いずこかに着地して俺を宙におろす。包んだ布をはがす)
ゴク
(別の手にはむき出しの剣があったことに、今さら気づく)
(……ここはどこだ? 暗闇に立ち並ぶ建物は、またもや母校だ。今いる場所は、ゆるやかに傾斜した巨大な屋根のようだが……)
お前が座敷わらしになったのは、四玉の仕業に相違ないな?
おそらくは青龍の玉にかけられた、か弱き妖怪の透明の光。
護符といえども拒めなかったのか? 護符があるゆえに巻きこまれたのか?
(この人は力だけではない。テラスでの出来事を、見たかのように解釈する)
木札は逃げろと告げましたけど、俺は残りました
(……仲間ではなく一人を守るために残った。だから俺は返事をできない)
(師傅も答えを求めてこない。
駅の方角からサイレンが聞こえる。あいつらのせいで、この町は滅茶苦茶だ)
その娘を傀儡として、触れさせて始めて玉が輝く。
……娘には台湾から日本に自力で戻らせないとな。私ならば……、ごく軽く傀儡としよう。娘はおのれの意志で動けるが、ひとつの目的のためだけだ。生贄を集い、みずから玉に触れるためだけの傀儡だ。そして青い光をあふれさせる。
……それとともに発せられた光により自分の姿が見えないのは、異形に堕ちた姿を認めさせぬため。
……万が一のため、力も削っておくべきだな
(桜井が告げた事実を、師傅の推測が凌駕する。やはり青龍が暴れぬように力を弱め、狼狽せぬように目をふさぐ手筈だったのだ。
俺はその軟弱な光を一手に浴びた)
(違うかも。龍を抑えるほどに強烈な、透明無垢な光……)
哲人君、服にしまうといずれのものも消えるようだな?
いきなり名前で呼ばれてびっくりするが、うれしいし安心する。俺は大きくうなずく。師傅がすこし微笑みを浮かべる。
青龍そのものを覆いかくすためだ。青龍になるべき娘は人の作りしものには近寄れず、その姿は異形にも隠される。
その透いた光をまとっていたら、探しだすのは困難を極めただろう。あいつども以外は……
さすがは我が大恩ある老師、幾重もの策だ。だが、卑劣な策だ
(師傅の感が強まった。背筋が寒くなる。でも俺にも尋ねるべきことがある)
老師は今どこにいるのですか?
その問いに、師傅は空を見上げる。夏の東京でも星が見えるかのように。
そこまで来ていると、我が感が訴えている。おそらく機会を待っている
楊老師の式神で残っているのは、十二磈のごとき雑魚をのぞけば、
峻計、
手長と
多足。姿を見せぬこの二匹が鍵を握っている。
……あの二体の異形は日本生まれ。老師とともに動かずとも、おのずとこの地に来る
(大カラスレベルがまだ二匹もいるのかよ。……それでも楊偉天よりましなのだろう)
俺の前置きに師傅が顔を向ける。俺は目をそらさぬように言葉を続ける。
師傅が俺の問いに目をそらす。静寂のなか、やがて口を開く。
逃がしなどしなかった。幾度も倒した。幾度となく殺した
だが異形のごとく骸は消えた。また老師は現れて、偉大な術を私へと向ける。私は怒りに燃え、またも老師を倒す。術に嵌まったと気づくまでに、三たびも繰り返してしまった。
……倒したのはいずれも本物の老師であって、老師ではなかった。老師はおのれの魂を肉体から離れさせたのか……。
我が師はそれほどまでに、邪悪な存在と化してしまわれたのだ
おぞましき契約を結べば、峻計をも凌駕する魔物だ。
だが今は悪魔としての力が失せている。私の登場に怯え、雁首をそろえて身を縮ませている。千載一遇の好機だな
(ロタマモとサキトガのことだ。おもいきり関わっている俺には、かんばしくない話題だ)
思玲、峻計、青龍の娘、哲人君……。使い魔どもの魔力が果てた理由は、そのあたりが関わっているだろう。白虎のものが人に戻った由縁もそこにあるかな?
だが、それを咎める時間はない
それでいて、今の私には魔物どもを消すこともできない
それは……、さきほどの怪我のせいですか?
(聞きたくはないけど尋ねるしかない。あの時、師傅は血を吐いた。尋常ではない力と見識を見せつけるけど、木札からのダメージがあるに決まっている)
私は哲人君を気に入った。こんなにも多弁になったのは久しぶりだ
哲人君と接するだけで、我が気力も蘇った。ゆえに見せてあげよう
(師傅が剣を天にかざす。鋼色の諸刃の剣。戦いのためだけの武骨な剣)
いいえ
(なにも分からないから、正直に首を横に振る)
どうやら私は
月神の剣の所有者でなくなってしまった。
さきほどの戦いを敗北でなく、遁走と受けとめたようだ
(月神の剣……。破邪の剣のことだろうか。
さきほどの戦いとは、まさか……)
ビク
(師傅が剣を図書館の屋根へと突き刺す。悲しげな顔を向ける)
もう一度哲人君と戦わなければならない。幾多の力を操る異形である君を倒し、我が力を再度認めてもらわねばならない
え?
(師傅が緋色のサテンを肩にかけ、宙に浮かぶ俺へと向きをただす。……剣を手にしてなかろうと、師傅の気が俺う襲う。服の中で木札が存在感を増す)
(馬鹿げている。なんで劉師傅とまた戦わなければならないのだ。
しかも師傅は手ぶらで戦おうとしている。俺を倒すべき拳をだした瞬間に護符は発動する)
ウワ
(さすがは劉師傅だ。それだけで、護符の怯えが怒りに変わる。俺はさらに上空へと逃げる。……時間がないのは分かっている。でも師傅を殺す羽目になる。だけど……)
(東京の夜景が悔しいほどにきれいだ。こんな空高くに留まってもどうにもならない。
俺はちりばめられた宝石から目を離し、艶消した黒耀石の闇へと戻る)
俺はあなたと戦いたくありません。剣がなくても、あなたは強いと思います
(夜暗に浮かびながら、屋上へ戻った師傅へと告げる。この愚かなやり取りを、使い魔達は本の中で笑いながら聞いているのか?)
師傅が俺に眼光をあてる。あわてて目をそらす俺へと、
(……今は峻計が持つ木箱。破邪の剣がないと、それにかかった術は消せない……!)
物思いに一瞬ふけっただけなのに、師傅は眼前へと駆け寄っていた。地を行くものはこの人には勝てないと、妖怪である俺は気づく。護符がないかぎり――。
だから俺は見えない服へと手を入れる。木札をつかみだし、
とてつもない衝撃を腹部に受ける。
人の作りし明かり、峻計の黒い光……。師傅の一撃に比べたらかわいいものだった。