四十の二 龍となり得る者

文字数 3,132文字

ピロロン
……違反報告? …………日本で?

オフィスに戻らなきゃ

パパとママに『おやすみなさい』を言ったばかりなのに






 

(俺はまだ妖怪変化だ。足が地面を蹴るたびに、疾走する自転車みたいに景色が流れる。高い柵に手をかけて体を持ちあげ、球場内に飛びおりる)

(グラウンド上にひろがる東京の夜空に、半月はもう見あたらない。小鳥だけがいた。

 久しぶりに二人きりだ。桜井の人である幻影が浮かびあがる)

……。

(彼女はグラウンドに落ちた石ころを蹴っている。分かりやすいほどさみしげだ。

 彼女へと歩み寄る)

なにかあったの?


(あったに決まっているけど、ほかに言いようがない)


思玲がまた結界を張るってさ。新しい扇に慣れたから、すごく厳重のを作るって。戻ろう
さっき叫んだこと? むしゃくしゃしただけだし

…ジー

ドキ(桜井が見つめてくる)
……松本君は大丈夫そうだね

(不機嫌なときの桜井だ。人であったときに接したこともある)


俺だって発散したいよ。今度、みんなでカラオケに行こうか

……。
(笑いかける。桜井は無表情だ。俺の肩に飛んでこない。人の幻影として寄り添ってくれない)


……ごめん。ふざけすぎた

……。
(彼女は言葉を返してくれない。沈黙が流れてしまう)

みんなのところに帰ろう(他にかける言葉がない)

ううん。帰らないよ。人に戻るまで一人でいる

(そう思う気持ちは分かる。でも、きっとなおさら塞がる)


危ないよ。楊偉天も来ている

私といるほうが危ないし

(そんなことを言われても……)


たしかに桜井の気配はすごいけど、今さら気にする必要はないと思う

そういう意味じゃない!
…………。


(桜井が目をつぶって怒鳴る。青龍の気配があふれる)

……すごいよね。自分でも分かる。化け物が私の中にいることが
それは俺だって同じだよ。たまたま桜井は――
私は別ものだよ
(俺の言葉をさえぎる)
しかも、こいつは腹を減らしている
え?





とくん





 鼓動がひとつ割りこんだ。

やがて誰かが……
(思玲からあの話を聞いたのが、ずっと昔に感じる。やがて誰かがおぞましい食いものを欲し、それを皮切りにみなが飢えにさいなむと。そして……)

いつから?(俺は狼狽を隠しているだろうか?)

思玲さんと木の葉を探している頃からかな? ううん、もっと前からかも。

戦いが終わるたびに、おなかが空いた気はしていた

(桜井の笑みを感じる。投げやりでさみしげな笑みだ)
学校の前で野良犬をやっつけたよね。そのまま食い殺そうと、私の中の化け物がした
……。
……しかもだよ。さっきグロすぎて怖すぎる怪物が二匹も来たじゃない? 私、どう思ったと思う?
……。
わあ、おいしそう。もうがまんできない
“食い殺してやる”

そう感じたんだよ!

 青龍の気配が爆発する。
“手長と多足は餌だ”
(琥珀が残した言葉の意味を知った。怪しまれてもおかしくないほどに、必死に伝えてきた理由も分かった。

化け物達を生贄に、桜井を龍にさせないためだ。楊偉天め……)

 俺は怒りを飲みこむ。
夏奈、心配はいらないよ。俺が守るから
……。
“……。”
(一年生の冬。彼女との二度目の出会いを思いだす。俺とのハイタッチを空振りした桜井――。

嘘偽りなく俺が守る

みんなにうつっちゃうし。松本君まで、おなかをへらしだす
心配ないよ。今から箱を取りかえすから。だから、こっちにおいで
 
 俺は両手をあわせて前にかざす。
……。
 
 桜井はちょっとだけ逡巡したあとに、俺の手へと手を重ねる。
 

 俺は両手をあわせて青い小鳥をやさしく包みこむ。人である桜井をやさしく抱きしめる。シャツの中へと小鳥をいざなう。

 人としての桜井の魂と直接触れあう。

松本君、こんなに怒ってくれていたんだ。私のために。みんなのために
 人である桜井が俺に寄り添う。
……。
 互いに全裸であろうと、俺は彼女に寄り添わない。心を外だけに向ける。
俺達も戦うと、思玲に伝える。あいつらを倒しにいく。

夏奈はここで休んでいなよ。目を開けたら人に戻っているから

寝るはずねーし。……色々あったんだ。みんな伝わってくる。松本君が一番戦っていた
(心が接しているから返事など必要ない)
はは、気にしてたんだ……。

私のがいっぱい光を受けたからかな、ずっと松本君の幻は見えてたよ。でも、小さい松本君が必死こいているのも格好良かった

ハハハ

(今さらそんなことどうでもいいや。俺は思玲達のもとへと駆ける)

師傅が箱を抱えて来られるのを待て。まったくもって愚かな判断だ
(思玲ににらまれる)
哲人らしからぬな。桜井にそそのかされたのでは――
(思玲は感づく)


……はい


まことの青龍ゆえ、前例などあてにならぬか……。

だが哲人だけに行かせぬ。みなを置いていくなど言語道断……。


川田、どうすればよいと思う?

(彼女は足もとの子犬に意見を請う。川田は結界に入らなかった)
ドーンは本調子じゃないし、瑞希ちゃんはとりあえず人だ
それより桜井になにがあった?

(手負いの獣はいくら五感も六感もさえようが、機微を察してくれない)


腹を減らしている。じきに人ではなくなる

……松本君のシャツの中

それをはやく言え

キャンキャン

結界を消して六人で行く。最後ならば、力をあわせないと悔いが残る

キャンキャン

(川田の決断になら従うけど、横根もか? これより先は彼女を巻きこむべきではない)
瑞希はとりあえず人ではない。

哲人が落とした白玉の破片は、瑞希へと一直線に飛んでいった

(俺が落とした? あれはたしかポケットに入れて……)
“フワフワ”
(琥珀のスマホを押しこんだときに押しだされたのか? そして目の前にいるもとの持ち主のところへ喜び戻っていった……。

俺はなにをしているのだ)

かくなるうえは、お前達の判断に付き合う
 思玲が扇を振るう。結界が消え去り、人の姿のままの横根が現れる――
じゃあ三枚で手を打つし、カカカ
ふふふ……カラスに気をつけ――
……。

(カラスと談笑していた)

あ、和戸君、結界が消えたよ……!
(横根が立ちあがる。俺に気づく)
ほんとだ。いつもの松本君だ。……でも人じゃないんだ
(横根の目に万感がこもった涙が浮かびあがる。
 彼女は人の姿のままだけど、俺が見えて俺達の声が聞こえる。俺がこぼした白い光のかけらのせいで)


……ごめん

結界を消したってことは、いよいよってこと?
(ドーンが俺の頭に飛んでくる)
俺はまだいがらっぽいけど、思玲に比べたら絶好調かも。カカカホ、ゴホ……。わりい、むせた
和戸。哲人には桜井を任せる。私の肩にとまれ。つらいのならば抱えてやってもいい
 ついで彼女は横根に笑みをかける。
私ですら言いだしづらいな。お前には白虎の光――
一緒に行きます
(横根がためらいもなく言う)
ならば急ごうぜ。体で受けたからな。師傅の術なら見つけられる

クンクン

チョコチョコ

 小犬が空の匂いを嗅ぎ、ちょこちょこと駆けだす。
……スウ


ヨシッ!

 カラスを肩にした思玲が一度だけ深く息を吸う。背筋を伸ばし川田のあとを追う。
松本君、ちょっと待って
 横根が管理室へと駆けていく。脇のロッカーにかばんを入れて、小銭を投入する。
スマホ以外は邪魔だし、なくすかもしれないし
 
……。

(俺に笑いかけながら、ロッカーの鍵を胸ポケットにしまう)

結界の中で、今の記憶を走り書きしたんだ。だから和戸君と盛りあがっちゃったけど、それも閉まっておいた。


……それは今の心だから、それをなくしちゃ駄目だものね。絶対に

……。

(横根もまた歩きだす)

いざとなったら私も戦う
(心配するなよなんて、俺は言わない。俺の気持ちはすべて伝わる)






 

 川田達に追いつく。遅れてきた俺達を気にもとめない。
これが正しい選択だと決して思わぬ
(思玲のつぶやきだけが聞こえる)
だが最高の選択に変えてやる。最後ぐらいは



次章「4.5-tune

次回「陽炎のビル」

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