二十二の一 権現様の檜舞台
文字数 2,192文字
2.5-tune
今も護符はぴりぴりしている。神社は木札に遠慮している……。
そう言いながらも、思玲は扇をはらい結界を消す。
傷ついた白猫が現れる。ただつらそうだ。
思玲が呪文を唱える。傷ついた異形を治すための祈りらしいが、気休めだそうだ。
俺達は社内片隅にある木製の舞台にいる。さきほどの風雨で濡れて枝葉が散乱している。川田だけは舞台の下の奥ふかくで息をひそめる。
と言って。
ドーンは雨あがりの空を飛ぶ。しばらく飛んで戻ってきて、羽根を休めてまた飛ぶをくり返す。今さらじっとしていられるかって感じに。
すこし前に彼女は着ていた白シャツを小刀で細長くきざみ、包帯の代わりに俺と桜井に巻かせた。俺はもちろん背中側が担当だったから彼女の傷は見ていない。でも背中にもケロイド状の古傷が三筋、右肩から左腰へと流れていた。
思玲は裸背を向けながら言った。
俺は溶けた流範から浮かびでた人の魂を思いだす。残忍な流範とは思えない、さわやかな青年だった。
桜井は器用にくちばしを使い、思玲の胸の真ん中に包帯を十字に斜めに結ぶ。
それから彼女は泥だらけの赤いメンズTシャツを着た。夕立にブルーシートをかけただけのフリマの売りものから、一万円札ひとつかみと引き換えにくすめたものらしい。
受けたばかりの傷の上に、雨と泥にまみれた服を着る思玲……。
今さらどうにもならないし、そんなこと気にしている状況じゃないのに、俺は口にだしてしまう。
札束ごと渡そうとするのを拒み、妖怪が金を使う機会はないと思いつつ数枚だけを受けとる。
ドーンが戻ってきて、木立から俺達を見おろす。
人間の一団が現れる。母親はどうでもいいけど、小さい子供は今の俺達には天敵だ。狼がでたぞの情報は周知されていないのか。
俺は覚悟を決める。
思玲が立ちあがり、横根の結界を消す。舞台から跳ねおりて、川田を呼ぶ。
片目の狼が顔をだすなり、二人は消える。
どこにいるか分からない思玲に声かける。桜井へも声をかける。
俺は横根をそうっと持ちあげる。腹部の傷から目をそらして、やさしく服の中へ抱えこむ。……人としての魂が伝わってこない。白猫の苦しげな息づかいが聞こえるだけだ。
人に戻る手段なんて尽きているのに、励ましの声をかける。今は横根を元気にさせるだけだ。その先は考えようもない。
灰色のちぎれ雲が浮かぶなかを、両手でおなかを抱えながらふわふわと母校をめざす。
まだ時間はある。
次回「わたつみの玉」