三十三の四 残酷な癒し

文字数 2,107文字

(静かだ。血の色の闇は外の音を伝えない。妖魔はまだいるかもしれない。あいつらの言葉だけは信じない。入口はなおも開かない。

 家族の安否を知りたい。引き戸など壊してやる)

リュックが切れたのを、琥珀が謝ってくれた。絶対に哲人のせいにするなだって。あの子と話せたのはそれだけ
(ドロシーは護布をたたんでいた)
君は異形のときとなにも変わってないけど当たり前だ。昨日の昼間は格好悪かったけどね。へへへ
(憔悴した顔で俺を見ている。心を食いちらかされたようだ。使い魔め)

まだ布を被っていて。そして一緒に扉を壊そう


(そんなことしか言えない。

 動き続けないと痛みが戻る。遠くでカラスが鳴いている)

松本に見せたいものがある。あいつがいるのならば見せてやる。

……だから、まだ行かないで。こっちに来て

……ああ

(俺は彼女に従う。座るようにうながされる。おそらく二度と立ちあがれない。それでも彼女に従う)

覗かれたからってごめんなさい。やりすぎた

(ドロシーが頭をさげる。

 覗いたわけではない。反論したいけど、胸が痛くてどうでもいい)

だから君に癒しを授ける。へへ、練習したことないから期待しないでね
 
(ドロシーがピアスをはずす。かすみもしない赤い闇のなか、俺をじっと見る)
(やがて俺の首へ両手をまわす。俺の肩に顔を乗せる)
癒しなんて言うけど、実際は麻薬みたいなもの
(耳もとでささやく)
痛みは忘れられる。そして戦い続けるか、死を待つだけ。……授けられた人を苦しめるだけ
(それから彼女は心でつぶやく。顔を正面に戻す)
これだと言葉は伝わらない。つまり気休め
(また俺の目を覗く)
ここから先は滅多にしない。救うわけではないから。……でも、死にかけたママはパパに授けた。人間の群れから、私を救わせるために。


言の葉は、口から伝わる。授けるものにこそ責任がある。受けとってくれるならば、私はあなたを永遠に守りつづける

 そんな重いものを受けとれない。なのにドロシーが目をつぶり、顎を小さくあげる。
……。

(……抹香のなかで、カラスの鳴き声だけが聞こえる。血の色の闇がようやく薄らぎだす。

 彼女と唇を重ねれば、癒しという名の残酷な祈りを受けとれる。受けとることが、その人を守るためならば――

 
……。

……。

……ゴク

(カラスがうるさい。俺は冷静だ。癒しを受けとるならば……、夏奈からが想像できない。横根から受けとる資格はない。思玲からは……、俺も彼女も戦士だ。

 ならばドロシーなら、

 
(そこに導きがあるのだとしたら――)
 
カーカー、アーアー、カーカー
パチッ
わあ

(うるさすぎる。さすがに彼女が目を開けた。須臾を経て、さみしそうに笑う)

私はあんな所業のうえに、雑言をまき散らした。そんな人間の癒しを受けるはずない
わあ、声量が戻りだしている

それは関係ない

 相性なんかでなく、お互いがひとつになる宿命。そんな導きがあるのならば、ここで彼女を押し倒し、俺が唇を奪う。
カーカー、アーアー、カーカー
(なのに、このカラスはうるさすぎだ。ムードもくそもない)
で、でも、異形のときに怪我したらよろしく
はあ?

(なさけない言葉しか返せない。

 お堂のなかにしらけた沈黙が漂う。カラスが笑うように鳴く)

……。

……。

……!


そうだった。見せないと

(彼女がリュックの奥へと手を突っこむ。ビニール袋を引きずりだす。袋から紺色の衣服をだす)
…………。


パパの形見。いつも持ち歩いている。背丈は松本と同じぐらいだったと思う。術もかけてない普通の服だけど、こっちに着替えて

あ、ありがとう

(銃弾のあとが残るシャツをひろげる。

 断る理由などない。彼女の手を借りながら、大蔵司のシャツを脱ぐ。

 大事にしまわれていた衣類の匂い。前ボタンをとめる。俺のサイズよりゆったりしているから、カジュアルな着こなしになる)

服があろうと、君とつながりたい

え? え?

(ドロシーがシャツの胸もとに口づけをする――。うなされた夜が幻のように、快方をむかえた朝。痛みが霧散する。傷さえも治ったと思ってしまう。

 そんなはずはない。彼女は妖術など使わない)

私は松本を信じられる。だから人としても触れあえられた
(ドロシーが父の服を着た俺を見つめる)
だから、いつか私も人の世界に帰して
 彼女は小さな紙袋を持っていた。形見のシャツに包まれていたものだ。それを開ける。
松本が人であるうちに見せておく
(また包み紙があらわれる。またていねいに開ける)
パパのシャツはダミー。私がこれを持っていることは、誰も知らない
(まだ包まれている。さらにめくっても。ドロシーは何度も繰り返す)
厳重でしょ? へへ。これを持っているのがばれたら、異形達が寄りつかなくなるから。


……どこにも行き場がなくなるから

(包みはどんどんと小さくなっていく。カラスはもう鳴いていない)
これはママの形見。お爺ちゃんがママに渡したお守り。……人間が相手だと意味なかったけど
(抹香と、しんとした薄闇。彼女はキャンディーほどになった最後の紙をめくる)
 
わあ!(光が飛びでる)
いまは私のお守り。純度100の白銀弾
(その小さな玉に、俺のなかのかすかな龍が怯える)



次章「4.1-tune」

次回「躾けあう二人」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色