露泥無、もう一度だけ頼む!
(俺は河岸の砂利に這いつくばるだけだ。味方みたいな異形にさえ頼ってやる)
(雨はじわじわ強まっていく。雷が地に落ちたのは、俺達を照らした一度きりだ。残りは雲のなかで暴れている。その力をため込んでいるかのように――)
(自在に舞う麗豪が、ふたつの光の鞭を自在に操る。狼はそれを避け、魔道士へと高く飛ぶ。牙が麗豪の足をかすめる。
土砂降りとなろうが、人も異形も気にしない。這おうともがく俺を、土壁が持ちあげる)
(ケビン、川田、戻ってきてくれ……。二人とも、もう殺されたのかもしれない)
(叩きつけられる。
フサフサ、助けてくれ。……こいつから逃げたに違いない)
(疑心になるな。川田が負けるはずない。フサフサが逃げるはずない。俺がこんな状況だからって見捨てるはずない。機会を狙っているだけ――)
(意識を失えない。激痛だけに支配される。存在しない左腕が耐えられぬほど痛くなってきた。頭から流れる血が目にしみて、視界を赤くしながら消えていく)
(野良犬の生い立ちなど知ったことじゃない。浮かびあがろうとして、捕まり叩きつけられる。岩を這おうとしてずり落ちる。
護符がないのなら、ほかの力が欲しい。せめて力となるものを――)
(いつかの夏奈の涙と笑みが浮かぶ。……俺はまだ死なない。力がなければ逃げればいい。いずれどこかで力を手に入れてやる。それから救いだす)
これを知っているか?
(前歯が折れた陥没した顔で、土壁へと嫌味な笑みを向ける。思玲から渡されたものをだす)
お前と会話はしない。
口車に乗せられるだけと、峻計さんも流範も言っていた
(土壁がしゃがみ、落ちくぼんだ目を俺へと寄せる。雨に濡れた獣の匂いが漂う)
これを渡す。だから見逃せよ。すごく便利だから、みんな使っている
(画面を土壁に向けて、中指で電源ボタンを探る)
土壁はスマホを一瞥しただけだ。また俺をつかみあげる。
(電子音とともに、画面から青い炎が凶相をめざす。突き刺す凍った風、罵詈罵声、実体化した中国拳法の乱れ打ちが土壁を襲う)
(禍々しき異形でさえもひるむ)
ポイ
(スマホを土壁の作務衣の襟に放りこみ、その手から逃れる)
(呪いの言葉が唱えはじめられて、俺は沢へと転がる)
あっ、天珠……は後回しだ。
これは僕の限定的ボランティアだ。上海はいっさい関与していない。そうしておかないと、うるさい方がいるからね
(ナマズの口が俺の手に護符を握らせる。お天宮さんの木札は、俺を待ちかまえて…………
土壁!
(それでも俺は川から半身をあげる。雨で増した水かさに流されるのを耐える。薄れかけた体を鼓舞して護符をかかげる)
(……発せられた光は叩きつける雨などにかき消される。そうであろうと、川原でもだえ苦しむ異形へと向かう)
!!!
(川から露泥無が叫ぶ。
俺は振りかえる。岩の上に術の紐でがんじがらめの雅がいた。それを見おろす張麗豪の手から二本の鞭が現れる)
(ずぶ濡れの麗豪が冷めた目を向ける。
雷雲は雨だけで、なおも稲妻を走らせない。麗豪が俺へと鞭をしならせる。その背へと、
(老練な野良猫はやはり機会を待っていた。俺が立ち向かうときをだ)
ヨロヨロ
(フサフサの五本の爪が麗豪の背を切り裂く。俺もよろよろと戦いの場に向かう)
(麗豪がフサフサを押しのける。宙に浮かびあがろうとして、上空のヨタカに気をとられる。
フサフサが麗豪を足から引きずりおろす。
猫であった人が叫ぶ)
(五本の爪が張麗豪の顔を切り裂く。眼鏡が飛び、絶叫を豪雨がかき消す)
(がんじがらめの狼が、フサフサに岩から蹴り落とされる。その目と合う。いわれのない復讐の目を、なおも向けていた――)
いてぇ!
(食いこむほどに、頭になにかをぶつけられる。琥珀のスマホが地面に落ちる。
土壁は立ちあがっていた)
(隻腕におぞましい槍が現れる。俺との間の地面から、
(つなぎ服の女の子が浮かびあがる。拾ったスマホの電源ボタンを押す)
それでも土壁はひるむ。スマホから流れる不快な読経が俺との間に壁を作る。
(フサフサのじれた声。彼女は麗豪の背中に全体重を落とし、首へと爪をつけている。自分は人間へととどめを刺そうとしない。俺は呪文を聞かされて一層ふらふらだし)
ズリズリ
(這いずるように狼へと歩く。雅の目にはなおも憎悪しかなかった)
(もはや誰もが俺達を抹殺しようとしている。敵を減らさないと)
(俺は現時点で勝てそうな相手である、がんじがらめの狼を見おろす)
土壁がよろめきながら槍を地に刺した。人の手をした槍先が、握りつぶすようにスマホを微塵にする。呪文が途絶える。
(土壁が槍を俺へと向ける。紫色の玉が俺へと向かってくる。俺が避ければ狼に当たる)
(俺の言葉に安堵したドロシーの顔が浮かぶ。約束を完膚なきまでに果たせなくなる。
でも逃げないと。ここで死んだら、夏奈は――)
“桜井は俺に期待の目を向けてくれなかった。だから俺は馬鹿な真似をした。そして『松本君こそ』と涙目で笑った。馬鹿同士と受け入れたからだな。いまごろ気づいた――”
俺は雅へと命じる。同時に背中に毒のかたまりを受ける。
(雅へと破邪の剣を向ける。ちがった、破邪の木札、天宮の護符)
お、俺に従え!
(扱いにくい護符に命じる。護符がぽわっと光る。なのに、おのれの力が衰えていく。毒を受けた背中がしびれだす。血が紫色に冒されていくのを感じる。えぐられた首も、食いちぎられた腕も痛みだす)
歯をかみしめ、護符を狼へと振りかざす。縛りつけていた光の鞭を切り裂く。雅を開放する。護符の光が消える。
なんてことを。あと少しだった……。土壁、化け猫をどかせ!
(人の手をした槍先が、フサフサであった人に刺さるのが見えた。野良猫であった人がよろめき落ちる)
麗豪が傷を受けた背中を手でさすろうとしながら岩に手をつく。
百鬼の時間は峠を過ぎた。フサフサも松本も、なんで躊躇した
二度と機会はない。死んで穢れるまえに天珠を返してくれ
(解放された狼が俺をにらむ。真っ暗な森へときびすを返す)
(麗豪が立ちあがった。雨はさらに強く打ちつけてくる。空のうなりは高まっていく)
フサフサを貫いた槍が消える。
俺を見おろす土壁の手に槍が現れる。
峻計さんの言ったとおりだ。弱く見えようが、舐めてはいけない奴だったな
夏奈……
(その空へと俺はつぶやく。毒はじわじわとぼろぼろの体にひろがっていく。さすがはドーンだったな。この状態でも弱音を吐かなかった)
(フサフサがなおも立ちあがろうとして、麗豪の術の鞭がその首に巻きつく)
――森の女あるじを救ったな
――助けを求める声に応じてやろう
――お前はさらに強くなるがいい
――なるがいい
――なるがいい……
次章「2.5-tune」
次回「座敷わらしと天宮の護符」