十八の三 禍々しき戦いを編集

文字数 3,709文字

露泥無、もう一度だけ頼む!

(俺は河岸の砂利に這いつくばるだけだ。味方みたいな異形にさえ頼ってやる)

(雨はじわじわ強まっていく。雷が地に落ちたのは、俺達を照らした一度きりだ。残りは雲のなかで暴れている。その力をため込んでいるかのように――)
ジャリッ
わあ

(土壁の雪駄が見えて、蹴られて転がされる)

すごい戦いだぜ。お前も見ておけよ
(土壁が俺を踏んだまま中空に目をやる)
ビュン!
タッ

(自在に舞う麗豪が、ふたつの光の鞭を自在に操る。狼はそれを避け、魔道士へと高く飛ぶ。牙が麗豪の足をかすめる。

 土砂降りとなろうが、人も異形も気にしない。這おうともがく俺を、土壁が持ちあげる)

……。
……。
はっはは

(顔の前まで持ちあげて笑う)

獲物であそぶなんて、犬のときにはできなかった
ひっ
 
バゴン!
(岩へと叩きつけられる。……顔面がへこんだ)
(ケビン、川田、戻ってきてくれ……。二人とも、もう殺されたのかもしれない)
(また持ちあげられる)
 

(叩きつけられる。

 フサフサ、助けてくれ。……こいつから逃げたに違いない)

(疑心になるな。川田が負けるはずない。フサフサが逃げるはずない。俺がこんな状況だからって見捨てるはずない。機会を狙っているだけ――)
(また持ちあげられる)
(また岩へと)
ドゴン
(意識を失えない。激痛だけに支配される。存在しない左腕が耐えられぬほど痛くなってきた。頭から流れる血が目にしみて、視界を赤くしながら消えていく)
(持ちあげられ)
(岩に叩きつけられる)
 
(か弱い妖怪が助けを呼んでも誰も来ない)
人間のガキどもが、こうやって兄弟達を殺したぜ
(土壁に蹴飛ばされる)
俺はどぶ川に投げられただけだったけどな

(野良犬の生い立ちなど知ったことじゃない。浮かびあがろうとして、捕まり叩きつけられる。岩を這おうとしてずり落ちる。

 護符がないのなら、ほかの力が欲しい。せめて力となるものを――)

“松本君こそ”


(いつかの夏奈の涙と笑みが浮かぶ。……俺はまだ死なない。力がなければ逃げればいい。いずれどこかで力を手に入れてやる。それから救いだす)
(もがいてやる。右ポケットに手を突っこむ)
これを知っているか?

(前歯が折れた陥没した顔で、土壁へと嫌味な笑みを向ける。思玲から渡されたものをだす)

お前と会話はしない。

口車に乗せられるだけと、峻計さんも流範も言っていた

(土壁がしゃがみ、落ちくぼんだ目を俺へと寄せる。雨に濡れた獣の匂いが漂う)
だが俺もそれは知っている。人の使うものだ
これを渡す。だから見逃せよ。すごく便利だから、みんな使っている

(画面を土壁に向けて、中指で電源ボタンを探る)

ほら、こんなに

ポチッ

ジロ
 土壁はスマホを一瞥しただけだ。また俺をつかみあげる。
ブ、ブー
(電子音とともに、画面から青い炎が凶相をめざす。突き刺す凍った風、罵詈罵声、実体化した中国拳法の乱れ打ちが土壁を襲う)
こりゃなんだ!
(禍々しき異形でさえもひるむ)

ポイ

(スマホを土壁の作務衣の襟に放りこみ、その手から逃れる)

(呪いの言葉が唱えはじめられて、俺は沢へと転がる)
どひゃー!
(水へと落ちる間際に、土壁の絶叫が聞こえた)
 水面にも雨は叩きつけている。
機会だ
(俺へとぬるっとした魚が寄ってくる)
あっ、天珠……は後回しだ。

これは僕の限定的ボランティアだ。上海はいっさい関与していない。そうしておかないと、うるさい方がいるからね

(ナマズの口が俺の手に護符を握らせる。お天宮さんの木札は、俺を待ちかまえて…………
し~ん
(待ちかまえていない?)
ひ~

土壁!

(それでも俺は川から半身をあげる。雨で増した水かさに流されるのを耐える。薄れかけた体を鼓舞して護符をかかげる)

しら~
(……発せられた光は叩きつける雨などにかき消される。そうであろうと、川原でもだえ苦しむ異形へと向かう)
魔道士が先だ!
!!!

(川から露泥無が叫ぶ。

 俺は振りかえる。岩の上に術の紐でがんじがらめの雅がいた。それを見おろす張麗豪の手から二本の鞭が現れる)

……。
あと少しだ。邪魔をしないでくれ

(ずぶ濡れの麗豪が冷めた目を向ける。

 雷雲は雨だけで、なおも稲妻を走らせない。麗豪が俺へと鞭をしならせる。その背へと、

ぐはっ
(ずぶ濡れの巨漢の女性がのしかかる)
のろいんだよ
(フサフサの手から折れた爪が伸びる)
哲人はネズミかと思った
(老練な野良猫はやはり機会を待っていた。俺が立ち向かうときをだ)
ぐおおお!
ヨロヨロ

(フサフサの五本の爪が麗豪の背を切り裂く。俺もよろよろと戦いの場に向かう)

化け物が!


ん?

キョキョキョ
ふん!
(麗豪がフサフサを押しのける。宙に浮かびあがろうとして、上空のヨタカに気をとられる。

 フサフサが麗豪を足から引きずりおろす。

 猫であった人が叫ぶ)

でも哲人はネズミじゃない。

ネズミはあんた達さ!

ザクッ
(五本の爪が張麗豪の顔を切り裂く。眼鏡が飛び、絶叫を豪雨がかき消す)
哲人は犬をやれ!

私は人間を殺す

(フサフサが鬼面で言う)
くっ
(がんじがらめの狼が、フサフサに岩から蹴り落とされる。その目と合う。いわれのない復讐の目を、なおも向けていた――)

いてぇ!

ごろっ

(食いこむほどに、頭になにかをぶつけられる。琥珀のスマホが地面に落ちる。

 土壁は立ちあがっていた)

この野郎。


火焔嶽!

(隻腕におぞましい槍が現れる。俺との間の地面から、
 
ぬっ
ポチ
(つなぎ服の女の子が浮かびあがる。拾ったスマホの電源ボタンを押す)
つぎは死ぬよ

ポイ

ヒッ
土壁へと不細工に投げる
嘘だけど
 それでも土壁はひるむ。スマホから流れる不快な読経が俺との間に壁を作る。
うわっ
(眼鏡の女の子は地面へと溶けていく)
はやく
(フサフサのじれた声。彼女は麗豪の背中に全体重を落とし、首へと爪をつけている。自分は人間へととどめを刺そうとしない。俺は呪文を聞かされて一層ふらふらだし)
……。
ズリズリ

(這いずるように狼へと歩く。雅の目にはなおも憎悪しかなかった)

私の背後をとるとはな
ふん
土壁。やはり殺すべきかもしれない

(もはや誰もが俺達を抹殺しようとしている。敵を減らさないと)

……。
(俺は現時点で勝てそうな相手である、がんじがらめの狼を見おろす)
この声は毒だな……。俺は人なのに……
(背後で土壁が騒いでいる)
俺は人になった!

ドクで殺されるのはお前達だ!

(奴からあふれでる憎しみに振り向いてしまう)
グサッ
 土壁がよろめきながら槍を地に刺した。人の手をした槍先が、握りつぶすようにスマホを微塵にする。呪文が途絶える。
 
 
(土壁が槍を俺へと向ける。紫色の玉が俺へと向かってくる。俺が避ければ狼に当たる)
“へへ……”

(俺の言葉に安堵したドロシーの顔が浮かぶ。約束を完膚なきまでに果たせなくなる。

 でも逃げないと。ここで死んだら、夏奈は――)

“まじめ君が?”

“桜井は俺に期待の目を向けてくれなかった。だから俺は馬鹿な真似をした。そして『松本君こそ』と涙目で笑った。馬鹿同士と受け入れたからだな。いまごろ気づいた――”

俺との戦いは、二日後にしろ!
 俺は雅へと命じる。同時に背中に毒のかたまりを受ける。
そ、そ、そして、絶対にシノを襲うな
……。

(雅へと破邪の剣を向ける。ちがった、破邪の木札、天宮の護符)

お、俺に従え!

あん?
(扱いにくい護符に命じる。護符がぽわっと光る。なのに、おのれの力が衰えていく。毒を受けた背中がしびれだす。血が紫色に冒されていくのを感じる。えぐられた首も、食いちぎられた腕も痛みだす)

 歯をかみしめ、護符を狼へと振りかざす。縛りつけていた光の鞭を切り裂く。雅を開放する。護符の光が消える。

なんてことを。あと少しだった……。土壁、化け猫をどかせ!
皆殺しにしろ!
(静かであった麗豪が怒鳴る。

 土壁が笑う)

麗豪さんに言われる必要はない
あばよ、化け猫ババア
うっ
 
(人の手をした槍先が、フサフサであった人に刺さるのが見えた。野良猫であった人がよろめき落ちる)
くそ……
 麗豪が傷を受けた背中を手でさすろうとしながら岩に手をつく。
百鬼の時間は峠を過ぎた。フサフサも松本も、なんで躊躇した
(地面のどこかの闇から、露泥無の醒めた声がする)
二度と機会はない。死んで穢れるまえに天珠を返してくれ
……。
サッ
(解放された狼が俺をにらむ。真っ暗な森へときびすを返す)
……。
(麗豪が立ちあがった。雨はさらに強く打ちつけてくる。空のうなりは高まっていく)
 

 フサフサを貫いた槍が消える。

 俺を見おろす土壁の手に槍が現れる。

峻計さんの言ったとおりだ。弱く見えようが、舐めてはいけない奴だったな
 空はなおもどよめく。

夏奈……

(その空へと俺はつぶやく。毒はじわじわとぼろぼろの体にひろがっていく。さすがはドーンだったな。この状態でも弱音を吐かなかった)

化け物め、苦しめ
ビュン
う……
(フサフサがなおも立ちあがろうとして、麗豪の術の鞭がその首に巻きつく)
!?

――森の女あるじを救ったな

――助けを求める声に応じてやろう

これは……
(木霊の声が聞こえた)

――お前はさらに強くなるがいい

――なるがいい

――なるがいい……

(こだまは輪唱になっていく)



次章「2.5-tune」

次回「座敷わらしと天宮の護符」

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