十三の三 開封

文字数 2,900文字

ヒッソリ、ヒッソリ、トニカクヒッソリ
は、箱をですか?
 声がうわずってしまった。思玲へ目を向ける。
……。
(……蒼白な顔と化した少女は俺へとちいさく首を振る)
……。
香港の娘は、仲間や式神の死を目前にして動揺しております。ご容赦ください

ペコリ

余計な話は不要だ

チョット、ムカッ

私はあなたを信じています。その証に――、哲人、箱を見せてやれ
マジ?

(あきらめの首振りだったのか……。沈を信じていいのか俺には分からない)

…興味なし
…丸投げ
(……横にはべるリクトは護符をくわえて静かなままだ。ドーンも不平をこぼさない)

コクリ

(俺は思玲へとうなずく。リュックをおろし、手を差しこむ)
駄目!
わあ

(そうだった。罠が……。なにも起きない)

……なんで?
さあ?

(彼女と目を見あわせる)

術をかけた者と判断されただけだ。はやくしろ
(沈に急かされて、緋色の布に覆われた箱を取りだす)
わあ

(リュックからだした瞬間、ずしりと重みが復活した。手で支えきれず腹の上に箱が落ちる。みぞおちにエルボーを喰らったみたいだ)

♪♪
(弦楽器の音がひとすじ聞こえた。俺の上で緋色のサテンがほどけていく。木箱が見える)
魔滅の術か。


誰にも敬われぬ老人がやりそうなことだ

 黒猫も箱を遠巻きに覗く。
思玲は術の存在を知っていながら箱に触れました。異形になった者どもを救うため――
露泥無は黙れ。

松本は箱も開けな

(俺は沈に命じられるまま木箱のふたをどかす。体を箱からずらして、重みから解放される)
ははは。王思玲。あんたの体は内箱にある
上手に壊せば大人に戻れるが、四つの卵はただのガラス玉になる。知っていたのだろ?
おお
思玲が手を叩く。そんな単純なことだったのか。

つまり俺達全員が人に戻るまで、思玲は大人に戻れない。術も使えない

 
(もしくは思玲だけが……)
内箱のふたもどかせ。重いだろ。木箱からだす必要はない
……。
……。
 沈がさらに命じる。俺は思玲を見る。彼女も俺を見ていた。互いに戸惑う。
なんのためですか?

(この中には俺達の命に相応した玉がある。命をさらけだせるだろうか)

玄武の光が残っているはずだ。それを見たい
大姐、ならば従えません

チラッ

こいつが完全な異形となるかもしれません
……チラッ
ウー
もう立派な異形だ
…ダヨネ
どうなるかなんて楊でも分からない。

松本、開けろ

(抗えるはずない。俺は青錆びた箱も開ける――)
バサッ

ノゾキニキマシタ

(想像していたとおりだ。深夜の森を赤く染める光にも負けずに、かすかに黒い玉とかすかなコバルトブルーの玉だけが光っていた)
フワフワ

わあ

(……弱った黒い光がふわふわと、リクトでなく俺に向かってきた。

 近すぎる。避けようもなく眉間に当たる)

思ったとおりだ。松本こそが玄武だ。


どうだ? 蘇ったか?

(蘇るってなにが? なにも起きてないよな)


いいえ


(大姐へと首を横に振る)

拍子抜けだ

ニクニクシゲ

私は草津の宿に帰る。あそこはよい湯だ。――露泥無はこいつらを見張れ

え、フサフサ達に同行しろというのですか?
二度も言わせるな。……松本、もう一個玉が輝いていたな

はい?

(沈大姐が夜空を見あげる)
妖魔どもは欲していたのだろ。


殲、待たせたな。帰るよ


トオ!

 
…ヘナヘナ
(大姐が跳躍する。闇に消える。緊張の糸が切れたように、思玲が地面に倒れこむ)
そういうわけで僕もご一緒する。よろしくな

(かすれていく赤い光のなかに、濃紺のつなぎのデニムをはいた見知らぬ女性が立っていた。黒髪をうしろに結んで眼鏡をかけた、地味めで華奢な同年代の女の子だ)

魔道士? ……違うよな
ホールドアップ!
気付けないのか
(この子は心への声を放つが、いつのまに?)
ハラペコ、なんにでも変身できるのか? 本物の妖怪変化だ

(フサフサの驚嘆の声がする

 この女の子は黒猫だったというのか? そんなはずない。ただの人間だ。妖怪である俺には分かる)

だから露泥無と呼べよ
(女の子がハスキーボイスで言う)
リーダーは思玲だろ。次はどこをめざすんだ?

シノとドロシー、このたびは無念だったな。気をつけて帰れよ

タンタン&テキパキ

……。
(この女の子は、お寺にいたおばさんであり、ヨタカでもあり、黒猫だったというのか。どいつからも異形を感じたことはなかった)
途中まで送るに決まっているだろ
(ドーンが頭上で言う)
シノさん、ドロシーちゃん。

俺達はもっと悲惨な目にあったぜ。でも耐えたから五人はまだ存在する。だから、もう少しだけ頑張るじゃん

キッ

……シノ

 カラスをにらみながら、ドロシーがシノを支えて立ちあがる。
松本。俺は腹が減った

ハグハグ

(手負いの獣がマイペースに声を発する)
体がでかくなったから、餌もでかいのが欲しい。

ハグハグ

……あのタコうまかったな。足が一本ぐらい残っていないか?

…………。
(なんだか護符をしゃぶっているような……。こいつに人の心があるはずない。シノがまた座りこむ。もはや彼女の目に覇気も生気もない)
……?
(ドロシーの目は怒りに燃えていた。……俺とも目が合い、凝視して、こらえきれぬ笑みが生まれる)
君はいまのがずっとかわいいよ
え?

(黒い光でなにか変わった? ……手の甲から腕へと鱗がびっしりと生えていた。頬をさする。鱗の感触だ……)

……!
ガッ
(ドーンが前から覗きこみ、ガッと嫌悪の声を残して飛んでいく)
私は前のがいいな

スタッ

(大の字だった思玲が起きあがる)

パッパッ

ハラペコ、次はいよいよお天狗さんだ。土着の火伏せを手にする。邪魔をせぬなら勝手に付いてこい。

……ドロシー、麓まで一緒に行ってやるから、道すがら知っていることを教えてくれ

……分かった。シノ立とう
……アンディを置いていけない
(ドロシーがうなずき、シノの手を握る。シノは立ちあがらない。彼女達がリタイアしても、俺達は先に進むのだろう。なにも分からぬまま……)

チラッ

 
(俺は開けっ放しの箱を見る。フサフサに頼んで持ちあげないと(ドロシーの指揮棒よりはまだ安全だ)。

 リュックサックを返すのならば、今後は直接おなかに隠すしか――)

(沈大姐の言葉とおりに、なおも青い光だけが光っている。このかすかなブルーは、誰のもとにも飛ぼうとしない。龍を待ちかまえているのか?

 それとも……)

ハラペコはどこから俺達を見ていたんだ?

ハラペコじゃないって。


今回はほぼ全部。前回は、思玲と哲人が使い魔を開放したあたりから――空が白むあたりまで。

使い魔どもが完全復活したから、報告のためにいったん上海に戻った。この姿のパスポートがあるからね

(沈大姐の使い魔が答える。

 俺はなにも覚えていない。でもこの青色を見ていると)

 ドロシーがまた明かりを灯す。かすれていく赤い光と混ざりあう。
 

(その下で、俺は玉に手を伸ばす。かざしてもコバルトブルーは揺らぎもしない。でも呼んでいる。

 ……。

 ……。)

 






 

(おそるおそる触れてみる)

サッ
わあああ!

(かすかなブルーが飛びだしてきた。指をつたい胸に飛びこみ、破裂する。玄武の光が押しだされたのを感じる)

哲人!
 
(蒼光は俺の頭を目ざす。たどりつき、脳みそを青色にかき乱す)
“ははは”

 あらゆる記憶が蘇る。





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