三十八の二 木霊

文字数 3,082文字

相変わらず賑やかな連中だな
(俺と思玲だけになる)


手負いの獣いなくていいの?


(昨夜は防波堤のように子犬を抱えていた)

私にはこれがある
わあ

(俺へとお天宮さんの木札を向けるから、のけぞってしまう)

(この雷木札はみなを守るために持つ。すぐに返してやる)

(みんなを守るための護符。俺が持っていたときよりアグレッシヴになっている。

 時間を確認する。あっという間だ。十八時三十九分。スマホをリュックの内側に入れる。……箱がむきだしだ。護布で包みたいけど彼女を守ってもらわないと)

残る以上は、ぼさっとするな
(女の子に叱られる)
おでましだ
……。

(マジで早すぎる。先ほどまで川田がいた場所に、青い毛並みの狼が立っていた。

 大人に戻った状態で見ても大きい。サファリパークで餌やりした雄ライオンより、きっと一回り以上でかい。痛覚が戻らないのに、昨夜を思いだして首の後ろが痛くなる)

貴様を成敗にきた

あおるな

(思玲が天宮の護符で自分の肩を叩く。彼女より雅の背丈が高い。体長は彼女二人分ゆうにある)
私はお前を殺しに来た
(雅が山道を降りてくる)
(前の主をここまで愚弄されたら、骨すらも残せない。その座敷わらしよりさきに片づける)
(やはり俺の正体はバレバレだ。俺は思玲の前に立つ)
チッ

(思玲が舌を打ち俺の前にでる。しかたないので横にならぶ。……この狼はじきに飛びかかる。思玲の生死は一瞬で決まる。いや終わる。

 やっぱり彼女の前にでようとするけど、

これから起きることを他言するな
(思玲が言う。そして森へと告げる)
木霊よ。お前達こそ私を食べたいのだろ?
サワサワ……
(林の枝葉が揺れだす。雅も林を見る)
サワサワサワサワ
(……木霊が興奮しだした。俺の中に恐怖がにじんでくる)
川田、待て!
川田君、逃げちゃ駄目!

(遠くからドーンの声。横根の声も)

ザワザワザワ
ウウ…
(樹木達がさらに揺れて鳥も虫も鳴けるはずない。雅だけがうなり声をもらす)

さすがは手負いの獣だな。よくぞ気づいた。和戸達は逃げられる。


昼と夜の境。逢魔が刻。

魔である雅。貴様も囚われた

(林すべてが少女を愛でている。山そのものが、思玲をおのれのものにしようとしている)
神隠しの巻き添えにするつもりか……。その座敷わらしも

 雅が低くうなる。

 空はなおも明るい。林に比べてだ。なにかが起きようとしている。足が震える。

夏奈……

(俺は名前を呼ぶ)

夏奈!

(生きているうちに呼んでやる!)

うるさい、泣くな! もはや誰も来ない
ウオオオオフ
ザワザワ

  ザワザワ

(蒼き狼も林へと吠える。……木霊は森の女王に従わず、少女だけを見つめている。真っ暗な夜だけが近づいている。

 少女が笑う)

雅、お前が決めろ。負けを認めるか、それとも――
黙れ! その前に、お前を食い殺す

ザワザワザワ、ザワザワザワ

ザワザワザワザワザワザワザワ……

……。
(山がさらに落ち着きを失う。もうそこまでいる)
餌を奪われると、お怒りのようだな
……。
サッ
(少女が巨大な狼を笑う。狼はきびすを返す)
逃げるのならお前の負けだ。

金輪際私達に関わるな。すべての人に関わるな

…………。
(狼が憎しみの目で振りかえる。……こいつらは逃げようとしない。俺は走り去りたい。

 遠吠えが聞こえる)

蛮勇の獣め。頼まれようが、座敷わらしなど救わない

川田のこと?


思玲、帰ろう。帰らせてください

 なのに思玲は雅へと不敵に笑うだけだ。
時間切れだ。逃げぬのならば私にひれ伏せ
ひええ

(腰が抜けそうだ。もうあおるのはやめてくれ)

クルッ

私がお前に屈するはずない。道連れとなるのを選ぶ

サワ
ひいいい!


(木霊が俺の頬をなでた……。触れられて、その正体を知る。幾多の歳月をかけて弱さを憎しみへと育くんだ、樹木の精霊のなれの果てだ。さらされるだけだった奴らは、動けるものすべてをうらやみ憎んでいる。

 何十年、何千年、樹木の感覚の時空へと連れていかれる)

そうか。だが私だけは死なない。

ズン

蒼き狼が森に沈むのを見届けてやるか

マジでやめて。俺まで森の闇に飲まれる

もはや誰も木霊から逃れられるはずない。その前にお前を……


お前の力を見せてみろ。お前の声に従わせたいのならば、木霊達を屈服させろ

サワサワ

 サワサワ

(空が暗くなっていく。林中の枝葉だけが揺れている)
たやすい
とお!
…………。
(思玲が手にする護符をかかげる。……なにも起きない。少女がぎょっとする)
……哲人、輝かぬぞ
サワサワ

  サワサワ

サワサワ

  サワサワ

(天宮の護符は思玲を守らない。木霊がサワサワと集ってくる)
来ないでくれ!

小娘だけを連れていけ!

光れ! 光れ! 光ってよ!
(森の女あるじの声も木霊達に届かない。思玲はさっきまでの余裕が嘘のように、必死に光らぬ木札を振る)
逃げよう
 俺は少女の手を引く。雅に背を向けようが、食い殺されるほうがましだ。
やめろ! 怒らすな!

逃げる!


(思玲が払おうとした手をさらに握りしめる)
精霊だった人間よ。その子を奪うはゆるさない
ならば、お前から連れていこう
(木霊達が俺へと寄ってくる)
(……腐葉土が俺の体に這いあがる。枯れ葉がまとわりつく)
お前らの餌は私だろ!
(俺は樹木達の時空観念で、彼らの滋養となる……)
哲人だけは渡さぬ!
(少女が護符をかかげる。林が煌々と照らされる。……俺にまとう木霊達が溶ける。蒼き狼は呆然と見ている)
……危なかった。哲人みたいな札だな
(思玲から安堵の声がもれる。再びかかげる)
木霊ども。貴様達にこの男の魂は渡せぬ。我が命もだ!

(少女の高らかな宣言とともに、林が失望したように静まっていく。

 ……修羅場をくぐり抜けてきたつもりの俺は小便を漏らしていた。助かったと涙がでてくる。目をぬぐうと――

ぬっ
わあ

(尻持ちしてしまう。雅が目の前にいた)

座敷わらしだった者よ。貴様との勝負に許しが必要になった
(雅が憎々しげに俺を見おろす)
私は今から、このお方の式神だ
うむ
はあ?

(解するのにちょっとだけ時間がかかった。雅はもう俺など見ていない)

あなた様の力に服従させていただきます。手負いの獣も私を受けいれてくれるでしょう。手始めに、この男と戦うことを命じてください

ペコリ

(張麗豪に屈しなかった狼がこれだけのことで……。

 目撃していた俺には分かる。あの男よりはるかに、思玲には奥深い怖さがある。お天宮さんの護符をつかんだ少女には)

未来永劫、なにがあろうが認めぬ。肝に銘じておけ

しかと刻みました
私の名前は王思玲。お前の名は雅のままでいこう。よろしくな
キャッ
 思玲が手を伸ばし、蒼き狼の頭をさする。雅が少女の頬を舐める。空を見上げる。
お仲間が焦っているようです
(空に暗い影が飛んできた)
哲人、思玲、ヤバいかも

オロオロ

(カラスの影がドーンの声でうろたえる)
張麗豪に逃げられた。……て言うか、その狼は?
ドクン
“君を名前で呼びたい”
タッ

(鼓動がうめいた。なによりドロシーの顔を思い浮かべる。俺は山道を駆けおりる)

雅、しゃがめ
哲人、夜までに戻れ。必ずだぞ
(少女を乗せた狼にあっという間に追い越される。ドーンも空を去っていく。俺はドロシーだけを思いだす。……誰が助けにきた。峻計? 法董? 鏡を持つ楊偉天?)


ドロシー……

バシリ!
え?

(肩に衝撃を受けて、山道から林へと転がり落ちる。

 ……痛くはない。でも肩を深くえぐられた。リュックサックの肩ひもが切れて、反対側の腕にぶら下がる)

『ギギギ、フライングでフライングだ』
(……地獄へと誘う声)

『そんでお前は、俺達が殺す切りよい五百人目だ』

(羽根をはやした巨大な黒い魔物が、木をへし折りながら俺の前に降りる)



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