二十二の三 記念館の大欅

文字数 2,855文字

もう結界はいらないだろ。はやくどかしてくれ

ハラリ

情けない
 汗だくの思玲が姿を現す。俺もそこへと降りていく。
この薄さなら自分で消せるだろ

キック!

ピキ
ヤレヤレ
 思玲が中空を足蹴する。現れた狼が伸びをする。
『坊や、また来たね』
『ロタマモ、こう見えても毛がはえた大人だろ。キキキ』
(図書館方面から下卑な声が聞こえる……。大学にはこいつらがいた)
お前、憑りつかれたのか?

あいつらの甘言に乗ったら最後、私の力ではどうにもならぬからな。気を張っていろ。護符でも握っていろ

コクリ
 言われたとおりに、横根の体の下にある木札を取りだす。
そわそわ、そわそわ
(……はやく逃げろと告げている。俺だけどこに逃げろと言うのだ)
フワフワ
 広い敷地の裏側を奥へと進む。人間数人とすれ違ったが、俺が先行してサインを送り問題なく通過していく。
 大学内でも古びた建物である記念館の裏に行けば、大ケヤキが枝をひろげていた。
スイスイ、ポト
ヒュ~
ガシッ
 桜井が飛んでくる。上空で草鈴を落とし、思玲が片手で握るようにキャッチする。
フワフワ

 俺は横根を抱いたままケヤキへと浮いていく。


 やさしくも気難しくもないけど、この木は泰然としているな。枝葉の中に入っていけば、スズメの一団が昼寝していた。俺だって呑気に過ごしたい……。ここは清らかどころか荘厳な空気が漂う。

みんないるよ
 横根を服からだす。
そこがよくね? 葉っぱを敷いといた
 ドーンが上の枝から言う。
ハア…オカアサン…
 勧められた枝の股に、浅い息の白猫を横たえる。
一人で抱えてきたんだな。俺、さらに哲人を尊敬しそう。はやく休めよ
(そんなこと言われると余計に疲れてくる)
 横根の脇に腰かける。……この大木は横根を受けいれてくれたな。妖怪である俺も受けいれた。使い魔達の呼ぶ声も、老木はかすめてくれる。

 思玲の声が下から聞こえる。

たしかによき木かもしれぬな。

木霊を持とうともしなかったのか……。この木のもとなら、川田も人と寄り添っていれば誰も不審に思わぬだろう

 ケヤキは柵に囲まれているけど、思玲達は中に入るつもりか。……雨あがりのひと時なのだから、魔道士と狼がケヤキの下で昼寝しようが誰も(とが)めないだろう。
スイスイ
ピタ
 桜井が無言で飛んできて、俺の肩で羽づくろいを始める。
スー…

 横根の息が静かになる。苦しんではないよな……。


 隕石が衝突するまでに残された、あきらめを受けいれた人類の最後の安らぎ。そんなシチュエーションに感じてしまう。

(どうすれば、あきらめずに済むのだろう)

 知らぬまま終わりそうなことが多すぎる。


 なぜ異形でもないカラスが、俺を本来の人間として見えるのか。

 同じように、図書館の魔物達やツチカベという野良犬だって気になる。

 俺が受けたであろう透明無垢な光のことも知りたい。

 異形になって消えたカラスが言っていた、ミョウオウ様ってなんだ?

 そして流範が消える間際に残した、劉師傅が死んでも思玲は悲しまないみたいな言い分……。

ナデナデ
…オオトウゲ、カミサマ

(なんだか本当に疲れたな。横根の体に入れられた珊瑚だって気になるが、彼女がまた目を開けてくれるか、それだけが気にかかる。でも、猫の姿で元気になったところでどんな意味があるのだろう。

珊瑚の力で横根だけ人に戻ったりして。そして俺達を助けてくれる……。

あり得そうもないことを夢想してしまう)


ふわああ……

 お札を懐にしまいあくびをする。人だったときも含めれば、三十時間はほぼ寝ていない。川田の部屋での数時間の仮眠の前は遅番だったし。
スヤスヤ…
……。

 幻影の桜井は俺の肩を枕にうたた寝だ。今朝がたカラス達にひどい目にあわされたのだから、ゆっくり休んでもらいたい……。

 こんな状況なのにマジで眠い。大ケヤキのせいだ。

“哲人”
“おばあちゃん!”

 この老木は祖母を思いださせる。ひろがる枝の向こうの空は、はるか昔の夏休み、縁台でお婆ちゃんの膝に頭を乗せて見上げた空に似ている。

 目を覚ましたら人間に戻っていないかな――。

“松本ってダブルスのが得意じゃね?”
“一緒に戦うって好きかも”
“松本君、起きてよ”
はっ

 高校のテニスコートのベンチに座っていた夢の中で(大会でダブルスを組んだ奴が横にいたような)、横根の声が聞こえた。

 まどろみの時間が消える。

瑞希ちゃん、目を覚ましたんだ! 具合は大丈夫? 水飲む? なんか食べたい?
ウワ
 桜井が耳もとで鳴き声と感情を爆発させる。おかげで一気に目が覚める。
夏奈ちゃん、ごめんね。でも、まだつらいし、胸がすごく熱いよ……。心臓がかってに動いているみたい
(横根は珊瑚が体内にあることを知らないのかもしれない)
それより、なにか来るよ。逃げようよ
ぷるぷる、びくびく、ぷるぷる、びくびく
 ……猫の六感。俺もあふれるばかりに緊張した木札に気づく。
(俺達以外に異形がいる)
哲人、降りてこい。桜井は瑞希を守れ。和戸も上にいろ
スタ
フワフワ

 小鳥が枝に飛びおりる。俺は下へと向かう。

 なにかがいる……。異形ではない。ただの宅配便のお兄さんだ。

スミマセン、……デモ助ケテクダサイ
ウー
……?
 お兄さんは目の前に降りた俺に気づくこともない。抱えられない大きさの段ボールを乗せた台車を前にして、放し飼いで牙を向ける狼を恐れつつ、汗だくで思玲に懇願している。
(この段ボールが気配の根源だ)
アナタシカ人ハイナイノデス。アナタニ渡セバ終ワレマスヨネ。ダカラ、コチラニサインヲオ願イシマス
……。

こいつはなんと言っている?

荷物を受けとれと。

そういう手はずがあったのですか?

 俺は護符を取りだす。……うずいている。発動しかけている。
そんなものはない
じー

ビクビク

アッ

 お兄さんが俺の手もとを凝視する……。木札が浮かんで見えるのだよな。
ワ、私ガサインシテオキマス。関税トカモケッコウデス。……何ガナンダカ分カラナイ
 怯えた顔のお兄さんが端末を指でなぞり、荷物を台車ごとおいたまま正門へと走り去る。
傀儡の術ではない……。その箱に術がかかっているな。青龍を探し求めている
 思玲が扇を口にくわえて、バッグから小刀をとりだす。それぞれを両手に持ち、亮相にかまえる。
…モシカシテ、イキナリ
あれだけ気配を垂れ流せば、たやすく見つけられるわな。お前らは下がれ

 段ボールが膨らみだす……。


 思玲が扇と小刀を交差させる。

 
 
 金色と銀色の光が螺旋をえがき、段ボールに吸いこまれる。光が目前で爆発する。
パシッ
 思玲がさらに両手を交差させる。また螺旋が放たれる。さらにもう一発……。
……。
 黒い煙が霧散した術と混ざりたちこめる。彼女は小刀を持ったままの手で、ひたいの汗をぬぐう。黒煙の先に、人ではない気配をいくつか感じる。
グフフ、穴熊め。箱ごと老祖師の術を消しやがったな。ついでに(ツアン)が溶けちまったぞ
……。

 野太い声。煙は静まっていく。異様にでかい人間三人が露わになる。もちろん人間であるはずない……。





次回「ユニット名は十二磈」

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