二十一 雨あがりの旧街道

文字数 3,816文字

……。
 どん詰まりでやるべきこともないから、俺達が出会ったときを思いだしたりしてしまう。雨の去った町はすがすがしいが、男三人を囲む状況はさほど変わらない。
八方ふさがりだな
(分かりきった現状を、また口にする)

 狼は、マンション前駐車スペースの大型四駆の下にひそんでいる。車上には、カラスと妖怪がまとわりついている。

 国道にはパトカーがこちら側に一台、向こう側には大型車両まで停まる。ここまでなんとか来れたけど、さすがに川田も突っ切るとは言わなくなった。


機動隊までいればね
(あれが機動隊の車両なのか。こういうことはドーンのが物知りだ、などと感心している場合ではない)


何人か川田にスマホを向けていた

 注目の的だと、みなまで言わない。一部のツイッターあたりでは、かなり話題だろう。放し飼いの大型犬がカラスを乗せて走れば仕方ないが、暇人が探しに来るかも。
夜まで待つしかね? 俺が思玲のところに飛んでくよ。状況説明して、すぐに戻る
 そのくせ飛びたたない。
怪我をしていなければ、迎えに来てもらうのにね

(さらには、飼い犬の真似をできないのでリードをまた買ってきてください、なんて頼めるはずない)

 片側二車線の国道は渋滞気味だ。ここで待っているなんて言ったミカヅキは現れやしない。こうも不憫な身の上ならば、カラスであろうが頼りたいのに……。

モゾモゾ…
 見えない服に手を突っこみ、中身を確認する。大事な木箱はちゃんとある。
(しかし腹にも当たらず、外にも落ちず、俺の服というか体はどういう構造だろう……)
俺へのあてつけか?
ビク
ビク

 いきなり声がして、俺とドーンは飛びあがるほどにびくりとする。……ミカヅキのからりとした声色と正反対の、地中からうめくような声。


ウー

臭い匂いがしていたが、お前かよ
 
 狭い側道を挟んだビルの隙間で、わずかな闇に伏せるように、大きな黄土色の犬がにらんでいた。
(……ただの犬だ。俺達と同類ではない。なのに人の世界に属さぬ気配が漂う)
そのカラスを背中に乗せていたな。ミカヅキもからんでいるのか?

ケイダイの騒ぎもお前達だろ? あのババアと一緒に、俺を追いつめるためにな。

ツチカベめ、はやく捕まれと笑っていたのだろ

(この犬の声は猜疑で凝りかたまっている)

ウー

わけの分からないことを言うな。俺達はたまたまここにいるだけだ

ウー

 川田のうなり声が強まる。人に養われていない、おのれの力だけで生きる犬を前にして、虚勢を張っているようにも聞こえる。

そうやって吠えていろ。そして貴様が人に捕まり、ホケンジョでもだえて死ね。

ここは俺の縄張りだ。野犬は俺しか生きていけない。まだ荒らすのならば、夜に現れる

 ツチカベという名前らしい野良犬は狭い奥へと消えていく。雨で湿った土色の背中は、皮膚病のためか短毛があちこちはげ落ちていた。
フワフワ

無視しろよ。あの犬はヤバいぞ

人だらけの町で生きのびているのだ。ろくな奴じゃない
(まともな犬であるはずがない)
プル…
 異形でもないただの犬なのに、服の中で木札がちょっとだけ存在感を示した。
待たせて悪かったな。俺もあの犬だけは苦手でな
わあ
わあ
 またもやどきりとさせられる。ミカヅキはマンションのエントランスの上にとまり、俺達を見おろす。
ハシボソのドーンは先に桜井夏奈のところに飛べ。『私は外で待っているよ』だと
……いきなりすぎって言うか、なんで俺が飛べると分かるんだよ

今朝と顔つきが違うからな。

飛んだら飛んだまま、こいつらを迎えに来るな。俺の道しるべがずれるからな

ガガガ

俺もカラスだからか知らないけど、こいつの言葉に逆らえね

バサリ

カッ、赤色かよ。珍しいな

チラ、ジロ

……。
 ミカヅキはハシボソガラスを見おくると、ツチカベのいたところを一瞥し、俺に目を向ける。
言付けだ。えーと、『瑞希ちゃんと思玲さんは結界にいる』だな。

雨がやんだから、俺は別の縄張りを見まわって、ねぐらに帰って寝る。

ゆっくり行けよ。人に戻れなかったら、また会おうな

バサ

待てよ!

俺と川田も神社に行きたいけど、警察だらけなんだよ。……カラスで言えば、鷲や鷹だらけの状況かも


(ドーンを先に行かせたうえに簡単な伝言だけで済ませるな。今朝もだけど、こいつは喋るだけか?)

今しがた導いてやっただろ。とりあえずはミツアシと呼ばれている俺がな
……。(こいつの回答は答えになっていない)

マッタク

道しるべはあるのだから、案ずるなってことだ。

哲人は川田を信じて、川田は哲人を信じて、自分も信じていけば、ゴンゲン様はすぐそこだ。

……お前らはよそ者かつ異形だから長居はやめてやれよ

 ミカヅキは飛びたつ。雲が消えさった空に、漆黒を鉄紺色に光らせながら小さくなる。狼も車の下からカラスを見おくる。

どうするんだよ
たぶんだけど……
 ミカヅキが残した言葉は謎めいてみえるが、おそらく単純なものだろう。でも続きの言葉をだせない。
たぶんなんだよ
たぶんはたぶんだよ
……。
……。
ブンブンブブン、ブブブンブブン
 会話が詰まる。二人乗りバイクがエンジンをふかしてあおるのに、パトカーは停車したままだ。

たぶんたぶんしか言わないなら、俺もたぶんを言うぞ。


たぶん俺は七実と終わりかけている。それに瑞希ちゃんは、たぶん松本のことが好きだろうな

(このタイミングで持ちだすかよ……)
松本が桜井を好きなんて、たぶん瑞希ちゃんも知っているよな。……みなそれぞれ、たぶんこれが青春って奴かな
ぷっ
 吹きだしてしまう。川田がまた名言を吐いたって、ドーンに教えてやりたい……。こいつには救われる。
ウー

狼でいるときぐらい言わせろ


悪かった

 川田が俺に牙を向けて、悪かったと謝る。

 俺は笑いを飲みこむ。たぶんの続きを口にする。

並んで歩けば大丈夫かも。自分を信じて
 言ってから後悔する。こんな思いつきを口にだすんじゃなかった。
……それなら行くか

ノソノソ

 川田がのそのそと車の下からでる。体がなおさら固くなったと伸びをする。
や、やっぱりやめよう

…クソ

 車の下に戻そうと、川田の前に浮かぶ。また鼻さきで押しかえされる。
うまくいきそうな気がする。あのカラスは言っていたよな。おたがいを信じろと


おっと

ぎゃー!
 片目の狼が歩道にでる。でくわした自転車のおばさんが転びそうになる。……おばさんが前方のパトカーに目を向けた。
俺は松本を信じているから大丈夫だ。感謝してるぐらいだ。町田だかでチンピラにからまれたときからずっとな
 川田はパトカーの先にある信号へと歩きだす。
……。
だから、あのときと同じく横にいてくれ
 感謝されることなんてしていない。アパートに入りびさせてもらって、自習に机を貸してもらい、歯磨きセットまで置かせてもらって、俺のが感謝すべきだ。

 あのときだって、俺はなにもしていない。連中は居酒屋で因縁をつけたうえに、店の外で執念深く待っていた。俺は囲まれた川田へと駆けよって、こいつの横でびびっていただけだ(ドーンはバスケの試合で欠席だった)。

“ビクビク、弱そうな連中は群れるから相手にしちゃ駄目だよ”
“でかい声で言うな。よけいに怒りだしたじゃないか”
 でも、そう言ってくれるのならば、
突っ切らずにゆっくりとな

フワフワ

 覚悟を決めて、川田の横へふわふわと浮かぶ……。
違うだろ!
 俺は地面へと足をおろす。妖怪になってから大嫌いなアスファルトには水たまりが残り、太陽に照らされた水蒸気がこそばゆい。

 川田と同じ地面に足をつける。俺も川田を信じている。こいつの頑固さもやさしい正義感も大好きだ。

ドンドン
 さきほどのおばさんがガードレールに自転車をもたげて、パトカーの窓を叩く。川田を指さす。警官がでてくる。助手席からも。
……。
……。

 どちらも片目の黒い狼を見つめる。

自分も信じろよ
ああ
 俺だって、信じられるに決まっている。たとえ人に戻れなかったとしても、この二十年もの人生に誇りをもってやる。だから川田の横をゆっくりと歩く。人間どもには見えないだろうけど、大型犬と歩む人として。ただの飼い主と犬ではない。犬は飼い主をパートナーと信頼し、飼い主は犬をかけがえなきものと信頼する。
 
 
 ありふれていようが、深い絆に結ばれた一人と一匹として。
 
 
 一人と一人として。
……アレ?

 ハシブトガラスの長に導かれたままに、狼が警官達の横を通り過ぎる。それでもまだ目で追われるのを感じる。

 ふと思う。路地で待っていろと、でかい狼を見かぎりドーンと一緒に思玲達のもとに行くのもありだったなと。

ふっ
 そんな思いが浮かばなかったことに、小さく笑みをこぼす。
なにを笑っていやがる

 川田が俺を見上げる。子どもの背丈の妖怪へでなく、もっと高い位置にある俺の目線へと。

 警官達の視線はもう追ってこない。彼らに俺は見えなくても、信頼できる人間と歩く犬としか川田も見えていない。

(若い連中二人と見えていたら、このうえないけどな)
お前なんかが友人になってくれてありがとうな
そのまま返すよ
 二人とも信号で立ちどまる。横根も七実ちゃんも今は関係ないだろ。続きはアパートでやろう。……人間に戻れたのなら。
さっそく暑いな
うん
 信号が青になり、また並んで歩きだす。

 長い横断歩道を渡りきれば、じきにあいつらと合流できる。なにひとつ好転していないけど、とりあえずはみんなでひとつになる。

 時間はまだある。





次章「2.5-tune」

次回「権現様の檜舞台」

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