どん詰まりでやるべきこともないから、俺達が出会ったときを思いだしたりしてしまう。雨の去った町はすがすがしいが、男三人を囲む状況はさほど変わらない。
狼は、マンション前駐車スペースの大型四駆の下にひそんでいる。車上には、カラスと妖怪がまとわりついている。
国道にはパトカーがこちら側に一台、向こう側には大型車両まで停まる。ここまでなんとか来れたけど、さすがに川田も突っ切るとは言わなくなった。
(あれが機動隊の車両なのか。こういうことはドーンのが物知りだ、などと感心している場合ではない)
何人か川田にスマホを向けていた
注目の的だと、みなまで言わない。一部のツイッターあたりでは、かなり話題だろう。放し飼いの大型犬がカラスを乗せて走れば仕方ないが、暇人が探しに来るかも。
夜まで待つしかね? 俺が思玲のところに飛んでくよ。状況説明して、すぐに戻る
怪我をしていなければ、迎えに来てもらうのにね
(さらには、飼い犬の真似をできないのでリードをまた買ってきてください、なんて頼めるはずない)
片側二車線の国道は渋滞気味だ。ここで待っているなんて言ったミカヅキは現れやしない。こうも不憫な身の上ならば、カラスであろうが頼りたいのに……。
見えない服に手を突っこみ、中身を確認する。大事な木箱はちゃんとある。
(しかし腹にも当たらず、外にも落ちず、俺の服というか体はどういう構造だろう……)
いきなり声がして、俺とドーンは飛びあがるほどにびくりとする。……ミカヅキのからりとした声色と正反対の、地中からうめくような声。
狭い側道を挟んだビルの隙間で、わずかな闇に伏せるように、大きな黄土色の犬がにらんでいた。
(……ただの犬だ。俺達と同類ではない。なのに人の世界に属さぬ気配が漂う)
そのカラスを背中に乗せていたな。ミカヅキもからんでいるのか?
ケイダイの騒ぎもお前達だろ? あのババアと一緒に、俺を追いつめるためにな。
ツチカベめ、はやく捕まれと笑っていたのだろ
ウー
わけの分からないことを言うな。俺達はたまたまここにいるだけだ
ウー
川田のうなり声が強まる。人に養われていない、おのれの力だけで生きる犬を前にして、虚勢を張っているようにも聞こえる。
そうやって吠えていろ。そして貴様が人に捕まり、ホケンジョでもだえて死ね。
ここは俺の縄張りだ。野犬は俺しか生きていけない。まだ荒らすのならば、夜に現れる
ツチカベという名前らしい野良犬は狭い奥へと消えていく。雨で湿った土色の背中は、皮膚病のためか短毛があちこちはげ落ちていた。
人だらけの町で生きのびているのだ。ろくな奴じゃない
異形でもないただの犬なのに、服の中で木札がちょっとだけ存在感を示した。
またもやどきりとさせられる。ミカヅキはマンションのエントランスの上にとまり、俺達を見おろす。
ハシボソのドーンは先に桜井夏奈のところに飛べ。『私は外で待っているよ』だと
……いきなりすぎって言うか、なんで俺が飛べると分かるんだよ
今朝と顔つきが違うからな。
飛んだら飛んだまま、こいつらを迎えに来るな。俺の道しるべがずれるからな
ガガガ
俺もカラスだからか知らないけど、こいつの言葉に逆らえね
バサリ
ミカヅキはハシボソガラスを見おくると、ツチカベのいたところを一瞥し、俺に目を向ける。
言付けだ。えーと、『瑞希ちゃんと思玲さんは結界にいる』だな。
雨がやんだから、俺は別の縄張りを見まわって、ねぐらに帰って寝る。
ゆっくり行けよ。人に戻れなかったら、また会おうな
バサ
待てよ!
俺と川田も神社に行きたいけど、警察だらけなんだよ。……カラスで言えば、鷲や鷹だらけの状況かも
(ドーンを先に行かせたうえに簡単な伝言だけで済ませるな。今朝もだけど、こいつは喋るだけか?)
今しがた導いてやっただろ。とりあえずはミツアシと呼ばれている俺がな
マッタク
道しるべはあるのだから、案ずるなってことだ。
哲人は川田を信じて、川田は哲人を信じて、自分も信じていけば、ゴンゲン様はすぐそこだ。
……お前らはよそ者かつ異形だから長居はやめてやれよ
ミカヅキは飛びたつ。雲が消えさった空に、漆黒を鉄紺色に光らせながら小さくなる。狼も車の下からカラスを見おくる。
ミカヅキが残した言葉は謎めいてみえるが、おそらく単純なものだろう。でも続きの言葉をだせない。
会話が詰まる。二人乗りバイクがエンジンをふかしてあおるのに、パトカーは停車したままだ。
たぶんたぶんしか言わないなら、俺もたぶんを言うぞ。
たぶん俺は七実と終わりかけている。それに瑞希ちゃんは、たぶん松本のことが好きだろうな
松本が桜井を好きなんて、たぶん瑞希ちゃんも知っているよな。……みなそれぞれ、たぶんこれが青春って奴かな
吹きだしてしまう。川田がまた名言を吐いたって、ドーンに教えてやりたい……。こいつには救われる。
川田が俺に牙を向けて、悪かったと謝る。
俺は笑いを飲みこむ。たぶんの続きを口にする。
言ってから後悔する。こんな思いつきを口にだすんじゃなかった。
川田がのそのそと車の下からでる。体がなおさら固くなったと伸びをする。
車の下に戻そうと、川田の前に浮かぶ。また鼻さきで押しかえされる。
うまくいきそうな気がする。あのカラスは言っていたよな。おたがいを信じろと
おっと
片目の狼が歩道にでる。でくわした自転車のおばさんが転びそうになる。……おばさんが前方のパトカーに目を向けた。
俺は松本を信じているから大丈夫だ。感謝してるぐらいだ。町田だかでチンピラにからまれたときからずっとな
感謝されることなんてしていない。アパートに入りびさせてもらって、自習に机を貸してもらい、歯磨きセットまで置かせてもらって、俺のが感謝すべきだ。 あのときだって、俺はなにもしていない。連中は居酒屋で因縁をつけたうえに、店の外で執念深く待っていた。俺は囲まれた川田へと駆けよって、こいつの横でびびっていただけだ(ドーンはバスケの試合で欠席だった)。
“ビクビク、弱そうな連中は群れるから相手にしちゃ駄目だよ”
“でかい声で言うな。よけいに怒りだしたじゃないか”
俺は地面へと足をおろす。妖怪になってから大嫌いなアスファルトには水たまりが残り、太陽に照らされた水蒸気がこそばゆい。 川田と同じ地面に足をつける。俺も川田を信じている。こいつの頑固さもやさしい正義感も大好きだ。
さきほどのおばさんがガードレールに自転車をもたげて、パトカーの窓を叩く。川田を指さす。警官がでてくる。助手席からも。
俺だって、信じられるに決まっている。たとえ人に戻れなかったとしても、この二十年もの人生に誇りをもってやる。だから川田の横をゆっくりと歩く。人間どもには見えないだろうけど、大型犬と歩む人として。ただの飼い主と犬ではない。犬は飼い主をパートナーと信頼し、飼い主は犬をかけがえなきものと信頼する。
ありふれていようが、深い絆に結ばれた一人と一匹として。
ハシブトガラスの長に導かれたままに、狼が警官達の横を通り過ぎる。それでもまだ目で追われるのを感じる。
ふと思う。路地で待っていろと、でかい狼を見かぎりドーンと一緒に思玲達のもとに行くのもありだったなと。
そんな思いが浮かばなかったことに、小さく笑みをこぼす。
川田が俺を見上げる。子どもの背丈の妖怪へでなく、もっと高い位置にある俺の目線へと。
警官達の視線はもう追ってこない。彼らに俺は見えなくても、信頼できる人間と歩く犬としか川田も見えていない。
(若い連中二人と見えていたら、このうえないけどな)
二人とも信号で立ちどまる。横根も七実ちゃんも今は関係ないだろ。続きはアパートでやろう。……人間に戻れたのなら。
長い横断歩道を渡りきれば、じきにあいつらと合流できる。なにひとつ好転していないけど、とりあえずはみんなでひとつになる。
時間はまだある。
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次回「権現様の檜舞台」