ドーンもそっぽを向いて羽づくろいを始める。
カラスの死骸は重かった。俺は校庭の反対側から正門そばの石碑の裏まで二往復した。異形の身だと夏の太陽もきつかった。その間、桜井はキンモクセイの枝で傷に苦しみ、ドーンが彼女を見守った。
あいつらは、私も和戸君も殺すつもりだった。今はこっちの世界だし……松本君ありがとう
浮かぶこともできなかった桜井は、合流したら回復していた。ねじれていた羽根はもとに戻り、こびりついた血のりも消えうせ、ラピスラズリの光沢も蘇っていた。治るのが早すぎだ。これも青龍の資質ゆえか。
俺は彼女(インコでなく)の顔を見つめる。桜井もまっすぐに見つめかえし、すこしはにかむ……。
彼女が人である姿に感じられるのは二人きりのときだ。今だってチノパンをはいた桜井が木の枝に座り、足をぶらぶらさせながら笑みを浮かべている。実際は小鳥が羽ばたきもせず浮かんでいるだけなのに。ドーンと二人でいようがカラスにしか見えないのに……。
(青い光を分けあったからかな? 俺に分かるはずない。幻でない笑顔を見たいだけ。その為に、カラスだろうと魔物だろうと人だろうと邪魔をさせない)
そういえば桜井には俺がどう見えるのだろう。今は俺も人として接していると感じるけど。
それを彼女に聞こうとするけど、ハシボソガラスが下を向きやがる。
二人だけの瞬間が終わり小鳥の姿だけになる。
俺は鳴らない草鈴を再びくわえる。
駅前の時計は九時二十五分で気温は二十九度オーバー。お寺にはテレビ局の中継車が来てた。大学の壊れた門でもリポートしてた
飛ぶことを覚えたドーンは本来のフットワークを発揮する。喜んであちこちへと飛んでくれる。草鈴が壊れて連絡が取れない思玲達を探してもらったが、見つけられなかった(遠出はするなとも言っておいた)。
思玲もまだ笛を鳴らしていない。みんなはどこにいるのだろう。別れてから三時間以上になるのに音信不通だ。
心配なら笛を鳴らすよな。
それよか気になることがある。
バサッ
ドーンが俺達のいる枝までばさりと降りる。桜井がびくりと俺の肩に飛ぶ。あたたかい羽毛が頬をくすぐる。
急に来ないでよ。和戸君でもびっくりするだろ。
気になるって、どうせ笑えることじゃね
俺のを探すとかじゃねーし。
ラインとかに俺らの記録が残ってるだろ。こんな生きものになろうと、それが消えるとは思えなくね?
(それは俺もちょっと考えたけど……)それがどうした?
そりゃ古くさい術だかで、二十一世紀の技術を消せるわけないしね。私のインスタだってパスワードを知らなきゃ削除できないし。
……つまり
そしたら私が画面をタッチする! 今の視力ならパスワードだって盗み見できるし
人に戻れば証拠隠滅だしね。哲人はどうする? まだまだ緑にひたりたい?
(妖怪になってからの俺の行動パターンを観察してやがる)
笛が聞こえるまで付き合うよ。あまり期待するなよ。残念な結果だと思うから
カラスが触れもせず死ぬ世界だ。ネットよりもドライに決まっている。
フワ
いやいや。これを足がかりに人に戻れたりして。
スイスイ
二人は駅前広場のベンチを探りながら、さきほどのカラス達を彷彿させるやり取りをくり返す。俺はすこし離れて桜の枝にぽつんと座るだけだ。
人の注目を浴びるのに慣れている駅前の桜は、物の怪に対してあまりフレンドリーに感じられない。
草鈴はまだ聞こえない。駅前のデジタルの時計表示を見るとちかちかするが、もう10:47だ。この時間で気温は34.8℃。
駅ビルの上空には雲ひとつない。俺は暑くないけど、ドーンはだらしなくくちばしを開けている。
やだ
(桜井の頼みでも、スマホなんて人の光のまき散らしには近寄りたくない。それよりも、思玲になにかあったから笛が聞こえないのかも。川田と横根は吹けそうにないし。草鈴を壊されたのが悔しい。
……みんなを探しにいくべきだよな)
七実ちゃん? よく知らね。一年のときに余計なこと言っちゃって、写真も見せてくれね
新宿で見かけたよ。姉妹って聞いたら違うって。母親だったら引くし。ハハハ
俺は会わずじまいになるかも。なんか疎遠っぽいし。……かわいかった?
まじめそうで利口そうだったよ。
それよりさあ、親父君は横根に気があるんじゃね? けっこうマジで。だから疎遠じゃね?
人間からは死角の軒さきから、ドーンが噴水脇のベンチへと滑空する。起動したままのスマホに着地する。つかんで飛ぼうとするが、やはりというか爪から滑る。くちばしで挟もうとして、それも滑る。
ハハハッ。三度目のチャレンジも失敗。松本君の言ったとおりだったね
でも面白かった。スプラッシュの先っぽにとまったときと同じくらい。言いすぎかな
へこたれず前向きな小鳥が笑みを浮かべる。二人きりの時間だから、人である桜井が俺の肩に頭を乗せている。幻覚であろうと心が救われる。
桜井が真顔になる。ドーンが戻ってきた。枝葉を揺らして真横で羽根をたたむ。小鳥がまたびくりとする。
隣町の公園あたりかよ。でも俺の羽根なら電車より早い
ブワサッ
カラスとコザクラインコが競りあうように飛んでいく。ふわふわと飛ぼうが追いつけない。蒼天の空にも消えない紺色を帯びた小鳥と、漆黒に褐色をまとったカラスが、あっという間に小さくなる。
すぐに桜井は戻ってきて、俺の速度にあわせてくれる。
(人である桜井が横向きで空を飛んでいる。すごい幻影だ)
俺は木箱を抱えているから遅いんだよ。ドーンに持たせようかな
和戸君だと速攻で落とすよ。さっきの二回目だって、くちばしでくわえて落として、足でキャッチしようとして全然駄目で、お爺さんがまさかのスーパーキャッチだったし。あれはヤバかったね
人である桜井と他愛もない話を交わしていると、思えなくもない。告白しかけてぎくしゃくした関係だったから、こんな時間がかけがえない。俺達は必ず人に戻ってやるけど、そしたら俺達の関係もまた振りだしに戻るのか……。
……。
(喜びにあふれた笑顔を思いだしてしまう。
そいつが誰だか知らないけど、今の記憶はなにもない明日か明後日の俺に、わき目などしないで、もう一度彼女に告白してもらいたい)
空からだと巨大な都市のほんの一角だ。
酷暑にさらされた町の上空を進む。空のはずれでは、午前だというのに雲が湧きあがり積みあがっている。ミカヅキが言ったとおりに、じきに大暴れしそうな図体になりつつある。
線路に沿って進むと、隣駅に接した緑地公園が見えてきた。そこからカラスが一羽浮かぶ。俺達を見つけて一直線に向かってくる。
若鳥のように必死な羽ばたきはドーンだった。
すれ違いざまに声をかける。背後でUターンし、もどかしげに俺に速度を合わせる。
一人で流範を追ったらしい。哲人達は思玲のとこへ行ってやれ。俺は川田を連れかえる。あいつまでやられたくない
人である桜井が蒼ざめて俺の顔を覗く。俺の返事を待たず、小鳥となり一直線に飛んでいく。
仲間になにが起きようが呑気にしか飛べない俺を、入道雲が笑っている。
次回「誰もがピンボール」