十六 本心は一羽邪魔だ

文字数 3,641文字

(……感情に任せて生き物を殺した)
 中庭のキンモクセイの木陰に(たたず)む。
いつまでも落ちこむなって
プイ
アア、そうっすか

 ドーンもそっぽを向いて羽づくろいを始める。


 カラスの死骸は重かった。俺は校庭の反対側から正門そばの石碑の裏まで二往復した。異形の身だと夏の太陽もきつかった。その間、桜井はキンモクセイの枝で傷に苦しみ、ドーンが彼女を見守った。

元気だそう
ドキ
あいつらは、私も和戸君も殺すつもりだった。今はこっちの世界だし……松本君ありがとう
 浮かぶこともできなかった桜井は、合流したら回復していた。ねじれていた羽根はもとに戻り、こびりついた血のりも消えうせ、ラピスラズリの光沢も蘇っていた。治るのが早すぎだ。これも青龍の資質ゆえか。
…カワイイ

 俺は彼女(インコでなく)の顔を見つめる。桜井もまっすぐに見つめかえし、すこしはにかむ……。


 彼女が人である姿に感じられるのは二人きりのときだ。今だってチノパンをはいた桜井が木の枝に座り、足をぶらぶらさせながら笑みを浮かべている。実際は小鳥が羽ばたきもせず浮かんでいるだけなのに。ドーンと二人でいようがカラスにしか見えないのに……。

(青い光を分けあったからかな? 俺に分かるはずない。幻でない笑顔を見たいだけ。その為に、カラスだろうと魔物だろうと人だろうと邪魔をさせない)
 そういえば桜井には俺がどう見えるのだろう。今は俺も人として接していると感じるけど。
桜井さあ、いまの俺って
しかし暑くね? 俺だけ?
 それを彼女に聞こうとするけど、ハシボソガラスが下を向きやがる。
まだ平気。

松本君なにか言いかけた?

……やっぱいい。

 二人だけの瞬間が終わり小鳥の姿だけになる。


 俺は鳴らない草鈴を再びくわえる。

シーン
クソ

何時だった?

駅前の時計は九時二十五分で気温は二十九度オーバー。お寺にはテレビ局の中継車が来てた。大学の壊れた門でもリポートしてた

 飛ぶことを覚えたドーンは本来のフットワークを発揮する。喜んであちこちへと飛んでくれる。草鈴が壊れて連絡が取れない思玲達を探してもらったが、見つけられなかった(遠出はするなとも言っておいた)。

 思玲もまだ笛を鳴らしていない。みんなはどこにいるのだろう。別れてから三時間以上になるのに音信不通だ。

探しにいく?
どこにいるか分かんなくて?
(たしかに動きまわるべきではないかも)

心配なら笛を鳴らすよな。

それよか気になることがある。


バサッ

ビクッ
 ドーンが俺達のいる枝までばさりと降りる。桜井がびくりと俺の肩に飛ぶ。あたたかい羽毛が頬をくすぐる。
急に来ないでよ。和戸君でもびっくりするだろ。

気になるって、どうせ笑えることじゃね

スマホだよ
……まだそんなことを言っているのか
俺のを探すとかじゃねーし。

ラインとかに俺らの記録が残ってるだろ。こんな生きものになろうと、それが消えるとは思えなくね?

(それは俺もちょっと考えたけど……)それがどうした?
あるかも!
キーン…

(耳が痛くなる)

そりゃ古くさい術だかで、二十一世紀の技術を消せるわけないしね。私のインスタだってパスワードを知らなきゃ削除できないし。

……つまり

俺達と本来の世界の接点は消せない?
だね!
……。
どうせカラスは悪役だから、人のを借りようかな
そしたら私が画面をタッチする! 今の視力ならパスワードだって盗み見できるし
人に戻れば証拠隠滅だしね。哲人はどうする? まだまだ緑にひたりたい?
(妖怪になってからの俺の行動パターンを観察してやがる)


笛が聞こえるまで付き合うよ。あまり期待するなよ。残念な結果だと思うから

 カラスが触れもせず死ぬ世界だ。ネットよりもドライに決まっている。
フワ

いやいや。これを足がかりに人に戻れたりして。

スイスイ

カカッ、まずは駅前に行こ
 カラスも飛びたつ。小鳥のあとを追う。
人だらけのところかよ。

フワフワ

ワラワラ
ワラワラ
みんな肌身離さずだな。隙なくね?
ワンチャン待つしかないし
お、横に置いた
ちゃんと見なよ。顔認証だし
……。
 二人は駅前広場のベンチを探りながら、さきほどのカラス達を彷彿させるやり取りをくり返す。俺はすこし離れて桜の枝にぽつんと座るだけだ。

 人の注目を浴びるのに慣れている駅前の桜は、物の怪に対してあまりフレンドリーに感じられない。

キノウノ夜、アソコノオ寺ガ云々
テレビデモシテタワヨ。大学ノ門モ壊サレテ云々
(なにが治外法権だ。充分すぎるほど大騒ぎだ。)

 草鈴はまだ聞こえない。駅前のデジタルの時計表示を見るとちかちかするが、もう10:47だ。この時間で気温は34.8℃。

 駅ビルの上空には雲ひとつない。俺は暑くないけど、ドーンはだらしなくくちばしを開けている。

松本君も手伝いなよ
やだ

(桜井の頼みでも、スマホなんて人の光のまき散らしには近寄りたくない。それよりも、思玲になにかあったから笛が聞こえないのかも。川田と横根は吹けそうにないし。草鈴を壊されたのが悔しい。

……みんなを探しにいくべきだよな)

そういやさ、川田君って彼女と続いているの?
七実ちゃん? よく知らね。一年のときに余計なこと言っちゃって、写真も見せてくれね
新宿で見かけたよ。姉妹って聞いたら違うって。母親だったら引くし。ハハハ
俺は会わずじまいになるかも。なんか疎遠っぽいし。……かわいかった?
まじめそうで利口そうだったよ。

それよりさあ、親父君は横根に気があるんじゃね? けっこうマジで。だから疎遠じゃね?

(この状況で、そんな話題で盛り上がれるな)

チャンス!
行くぞ!
 人間からは死角の軒さきから、ドーンが噴水脇のベンチへと滑空する。起動したままのスマホに着地する。つかんで飛ぼうとするが、やはりというか爪から滑る。くちばしで挟もうとして、それも滑る。
キャアア!
クソカラス!
リアかよ
 ドーンが空へと逃げていく。
ハハハッ。三度目のチャレンジも失敗。松本君の言ったとおりだったね
 桜井が俺の肩に飛んでくる。
でも面白かった。スプラッシュの先っぽにとまったときと同じくらい。言いすぎかな
 へこたれず前向きな小鳥が笑みを浮かべる。二人きりの時間だから、人である桜井が俺の肩に頭を乗せている。幻覚であろうと心が救われる。
聞こえた?
 桜井が真顔になる。ドーンが戻ってきた。枝葉を揺らして真横で羽根をたたむ。小鳥がまたびくりとする。
今、笛だか鈴が鳴らなかった?
(俺には聞こえなかった)
 耳へと意識を集中する。じきに、
チリチリチリ……
(かすかに聞こえた)
遠いね。頑張ったんだ。

スイスイ

隣町の公園あたりかよ。でも俺の羽根なら電車より早い

ブワサッ

急ごう

フワフワ…

 カラスとコザクラインコが競りあうように飛んでいく。ふわふわと飛ぼうが追いつけない。蒼天の空にも消えない紺色を帯びた小鳥と、漆黒に褐色をまとったカラスが、あっという間に小さくなる。
…………。
 見た目とおりに、俺はみそっかすになってしまった。
子どものときの松本君が必死に浮かぶのかわいい
 すぐに桜井は戻ってきて、俺の速度にあわせてくれる。
(人である桜井が横向きで空を飛んでいる。すごい幻影だ)


俺は木箱を抱えているから遅いんだよ。ドーンに持たせようかな

和戸君だと速攻で落とすよ。さっきの二回目だって、くちばしでくわえて落として、足でキャッチしようとして全然駄目で、お爺さんがまさかのスーパーキャッチだったし。あれはヤバかったね
だね
 人である桜井と他愛もない話を交わしていると、思えなくもない。告白しかけてぎくしゃくした関係だったから、こんな時間がかけがえない。俺達は必ず人に戻ってやるけど、そしたら俺達の関係もまた振りだしに戻るのか……。
“たくみ君?”
……。

(喜びにあふれた笑顔を思いだしてしまう。

そいつが誰だか知らないけど、今の記憶はなにもない明日か明後日の俺に、わき目などしないで、もう一度彼女に告白してもらいたい)

 空からだと巨大な都市のほんの一角だ。

 酷暑にさらされた町の上空を進む。空のはずれでは、午前だというのに雲が湧きあがり積みあがっている。ミカヅキが言ったとおりに、じきに大暴れしそうな図体になりつつある。

 線路に沿って進むと、隣駅に接した緑地公園が見えてきた。そこからカラスが一羽浮かぶ。俺達を見つけて一直線に向かってくる。

 若鳥のように必死な羽ばたきはドーンだった。

川田を見かけたか?
え? フワフワ
 すれ違いざまに声をかける。背後でUターンし、もどかしげに俺に速度を合わせる。
一人で流範を追ったらしい。哲人達は思玲のとこへ行ってやれ。俺は川田を連れかえる。あいつまでやられたくない
……川田まで?
待ちなさいよ。なにがあったの?
瑞希ちゃんがやられたんだよ。流範に!
 ドーンが飛び去っていく。
傷なんて、私達は簡単に治るんだよね?
 人である桜井が蒼ざめて俺の顔を覗く。俺の返事を待たず、小鳥となり一直線に飛んでいく。
……フワフワ

 仲間になにが起きようが呑気にしか飛べない俺を、入道雲が笑っている。





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