四十四の二 吹きさらしの五人

文字数 3,039文字

 
(俺は無力感を振りはらえないまま、護布がはだけた月神の剣をひろう。剣に怖さを感じない。師傅が持たねば剣に威圧がないからだ)
峻計!

(こんなのが破邪の剣であるはずない。それでも俺はあいつの声へと剣先を向ける)

そういうことはいいから、はやく人になってみな。見届けてやる
 出入り口の上から、峻計が姿を見せずに笑う。
松本、かまうな。先に進むしかないのだろ

 川田が見えない目で俺を見つめる。

(そうかな……最初から進退窮まっていた……そんなこと考えるな……)
お願いだから、はやく箱を開けて!
(桜井が怯える)
あいつを食べたがっている
……分かった
瑞希ちゃん、これをかけて。気休めだけど、けっこう効くぜ。俺はもういらねーし
 
 ドーンが護布をくちばしで引きずる。
あ、ありがと
(青ざめた横根が緋色のサテンを体にかける。俺は箱の前にしゃがむ。木の箱をひらき、金属の箱をとりだす。そのふたも開ける――)
(かすかな黒色は弱っていた。かすかなブルーはみずから動かない。かぎりなく透明な三つの玉をはべらして、白い玉だけが煌々と輝いていた)
もうやだ!
始まるぞ!

(横根が目をかばう。

 俺は剣を持ち、思玲に言われたように箱を切りつける)

タンッ、タンッ
ふふ。そんなやさしく叩いても、なにも起きないよ
(あいつの声を無視したい。もっと強く切りつける)

タンッ!

タンッ!

玉よりあんたが怯えているよ。

ふふ。瑞希ちゃんが帰ってきたから、男どもは人に戻っていいのにね

チラッ

(彼女の名を呼ばないでくれ。俺は横根を見る)
…オネーチャン、モウヤダヨ
(緋色の布をかぶった白色の猫がへたりこんでいた。一撃で決めなければいけなかった……)
まだ大丈夫。はやく箱を壊して
 桜井の言うとおりかもしれないけど、横根が再び人に戻ったとして記憶が残っているだろうか。思玲もいない。あいつだけがいる。
怯えろ!
 
 俺は箱を突き刺そうとする。鋭利な刃先が錆びた表面にはじき返される。
(腕から流れ続ける血が剣をつたう)
戻るのやめよ
戦うしかな、ゴホゴホッ、オエー
違うよ。人になれば和戸君も治るんだよ。戻るしかないよ
(横根は気を取りなおしているけど)
どうせなら人になって……
(観念しかけてもいる)
今のままで戦うほうが、まだ可能性があるじゃん。哲人、はやく寄こせ
 ドーンが羽根でくちばしをぬぐおうとする。
(ドーンがなにを求めているかは分かる。ドーンはもう戦わせない)

!!

俺は瑞希ちゃんに賛成だ。俺が狼だったときは託された。柴犬になろうがやってやる

ガブッ

(川田が箱に飛びかかる。でも子犬が噛んでも金属の箱が傷つくはずない。

……狼の牙よりも師傅の剣が強いに決まっている。なのに四玉は怯えない。剣の持ち手のせいだ)

……。

玄武くずれは最後まで粗暴だね。蒼玉が割れたらどうする

キャン!

ガシッ
 軽快な羽音が舞いおりる。すらりとした大カラスが子犬に爪をかける。
ふふふ
 真っ黒な目が俺をあざ笑う。
(こいつは峻計だ。みずからの羽根を扇にささげる前の姿)
老祖師が早々に呼び戻してくれたのよ。みずからのどを突かれてね
バサッ
 大カラスが川田を足にして飛びたつ。黒色の子犬が足をばたつかせ上空に消える。
川田君!
 白猫が緋色の布から飛びだす。首にぶら下がる赤い珊瑚が揺れる。
俺よりも、もう一羽来るぞ!
 
(子犬は叫び声を残して闇空に見えなくなる……)
ガハハハ……
(なぜだか滝つぼの笑いを思いだす。

……そうだった。俺も大カラスどもと一緒だ。一度死んで生きかえった。こんなことを見せられるために……。

仲間を巻き添えに……)

(すべて許せない!)
ドクン!


ヤメテヨ…

川田を助けろ




 

……。
カカカッゴホ
(瀕死の迦楼羅が待ちかねたように飛びたつ。死力を絞れ!)
怒らないで。私まで呼ばれちゃうよ
ムリダヨ…

スタッ

(明けはじめた空が鳴り響く。俺は剣を持ち立ちあがる)


辛うじて復活だ。俺なんぞのために、老祖師がお一人犠牲になられてな
 入口から大声がした。
……。
お前ら、あの扇には気をつけ……んだ? 四神くずれだけかよ
(川田が告げたとおり、焔暁が戻ってきた。俺は師傅の亡骸を踏みつけた大カラスをにらむ。


 こいつは終わりだ)

……まだ生きていたのか。護符の代わりに剣か? おもしれえ
(俺を見て、俺の剣を見て、焔暁が笑う。戦いへのうずきをこらえきれぬように、階段口から飛びたつ)
明王の端くれから燃やしてやるぜ
……。

(燃える足を俺に向ける。

 俺は師傅がかかげた剣からほとばしった光を思いだす。俺も剣を天にかざす)

楊偉天の醜悪なるしもべめ!
 
(おのれさえも眩しい。


 月神の剣から光があふれる。光が屋上を蒼天と照らす。上空の雷雲さえもかき消そうとする。

 ……こんなにも、剣は俺を待っていた)
くそっ
逃げるな!
 俺の目前で対の炎が逃れる。俺は剣を右手に跳躍する。心と剣が一体だ。中空を薙ぎ、地へと降りる。
くそう……
 焔暁がよたよたと落ちかけ、かろうじて浮かぶ。
 剣の光がおさまった屋上に、燃える足がふたつ、くすぶりながら転がる。
ま、松本君、それだよ
それで箱を壊せばよかったんだ
……。

(どのみち怯えた俺では無理だったよ。箱へと剣を向ける)

 かかげただけだ。
 それだけで透明の四つの玉が怯えだす。
おいおい!
 俺は箱に飛びつき、あわててふたをする。
(四玉の怯えはなおもやまない。おそらく開けると同時に俺達は人に戻る)
なんで閉じるんだよ!
 桜井が怒声をあげる。彼女が俺から飛びでようとする。
まだだろ。川田もドーンもいないだろ。五人で囲むのだろ!
……?
ああ
 白猫が黒雲を見上げる。
ドサ
ドサ
ドサ
 峻計が落ちてくる。続いて川田とドーンも。
ドーン、どこだ?
(子犬だけがよろよろと立ちあがる。後ろ足が砕けたのか腰から崩れる)
俺を助けても意味がないだろ!
(それでもなおも吠える)
哲人…
はやくしないと!
 横根が緋色の布をくわえて引きずる。
はやくだせ!
よ、よせ

(桜井が暴れる。俺は抑えることしかできない。俺は確信している。桜井が俺の力を破ったときに、青龍が具現する)

ドーンはどこだ!

?! キャン

 
 川田がふいに低くかまえ、一陣の風に飛ばされる。
また大老師が死なれちまったぞ
……流範
お前への預かりものだ!
(大カラスが目前に現れて、くちばしを開く。朱色の光が見える。とっさに腹だけを守る。馬鹿、青龍は狙わないだろ――
ズドウン
 すべてが朱赤に染まる。








(俺の顔、焼けただれたかも……)
(俺は妖怪だ。まだ耐える。残った目で大カラスを探す。むき出しの屋上はこいつらに利がある)
風はどこだ? どこから吹く?
(加減されたような背後からの一撃。……それでも背骨、砕けたよな。意識がうすれ、腹をかばう手が垂れかける――









 

叫ぶな。お前がどれだけ好きか、誘って断られたのも分かった。だから静かにしろ
 川田はうんざりしていた。
近所迷惑だ。……でも、あれはそこまでかな

(うるさい。お前だって酔っぱらいだ。どうせ彼女を調子よくてサークルに半分も顔をださない適当女と思っていて、几帳面で女好きな俺では釣り合わないと思っているのだろ。

 でも二人だけの小さな思い出があるんだよ。テラスから覗きこんでいた桜井、真顔で言いかえしてきた桜井、ハイタッチをやり直した桜井……)

”さようなら”







 

桜井!
……。

(……まだ終わってないだろ。人だった友を思いだすなよ。好きだった子を思いだすなよ。

 今だけに、この屋上だけに意識を向けろよ、俺)


お、俺が守るから、もうちょっとだけ我慢してて



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