四十三の二 朝空遠からず

文字数 4,218文字

どうしてでられないの?
(桜井が手から顔だけだして困惑する)
瑞希ちゃキャイン
……。
(横根がまとわりつく子犬を蹴とばし歩きだす)
その娘は妖術にまみれている。白虎の娘は、青龍への罠であり籠であった。

さすがは我が老師。幾重もの策だ

(なにを感嘆していやがる)


だったら、あなたが横根の術を解いてください!

 叫んでしまう。護符を持つ俺が手をだしたら、横根はおそらく死ぬ。

 振り向くと、師傅は楊偉天を抱き寄せていた。

我が力は尽きる
……。
ひい……
 月神の剣が楊偉天を眉間から刺し抜いていた。楊偉天の杖は、師傅の胸に押しあてられていた……。
 
 
これより先は思玲を頼れ
バタ
(楊偉天が消えゆくままに、劉師傅の体は前へと崩れる……)
カカカ
ガツン
 生暖かい風が俺の横を過ぎる。風が師傅の頭を飛び蹴りする。数メートルもはじかれ、そのまま動かない。
ざまないな
……焔暁が地面を歩き、師傅を見おろし笑う。燃える足で踏みつけようとする。
やめろ

ビクッ


やべっ、札つきの明王もどきが怒りだした

バタバタ

 羽根をばたつかせて歩いて逃げる。
哲人、俺をだせよ

ざけんなよ

(ドーンの声が腹から聞こえた。こいつまで飛びでないように服を押さえる)

がしっ

ぐえっ
(カラスがグエッと悲鳴をあげる。……なにをやっているんだ。落ち着けよ)
カッカッ、焔暁がいつもの朱雀くずれみたいだった
(すぐ上で竹林が笑う)
こけこっこー
落ち着いていられるか!
 拳をかかげて上空へと跳ねる。
かくれんぼと追いかけっこ
くそ……

 たやすく逃れた竹林の声を聞きながら着地する。

瑞希ちゃん……
 

桜井!

横根!

(見えない敵にかまっていられるか。次の楊偉天が来る前に、桜井を助けないと。俺は横根へと向かう)
松本、こっちに来るな! お前は思玲だ!
  
(なにも見えない川田が、横根の前で立ちふさがる


 そうだよ、思玲を助けるんだろ。彼女に頼るために……。

 俺は振りかえる。地面にはりつけになったままの思玲を見おろす)
み、な、を、救、え
(夜空しか見えない彼女が、結界越しに必死に伝える)
師、傅、は、健、在、か?
(俺達を助けるために苦しみを背負った思玲……)
思玲!

こんなもの!!!

パン!
畜生
思玲! 思玲! 思玲!
 俺は結界に飛び乗り、はじき返される。すぐに起き上がり、護符を握った手で結界をぶん殴る。はじき返されても、なおも殴りつける。……拳の骨が砕けそうだ。それでも殴り続ける。
劉昇も虫の息か。焔暁、こいつらの処遇は老祖師にお決めいただくぞ
あいよ
見て。白虎の娘が行き場がなくておろおろ。カッカッカッ
思玲! 思玲! 思玲!

(竹林も姿を現し、大カラスが三羽ならんで俺達を嘲笑する。俺はひたすらぶん殴る)

哲人、我が師傅は
 思玲の声が聞こえた。結界がついに割れる。
 
 答えるよりはやく、結界が再生される。あやうく手が挟まりかける。閉ざされた結界を俺はまた殴る。
思玲!
 
瑞希ちゃん……
思玲!

(夜より深い闇に閉ざされても、川田はなおも人のために嘆く)

 
瑞希ちゃん。川田君が呼んでいるよ。お願いだから帰ろうよ
(空は低くどよめいている)

思玲! 思玲!

すまぬ
 
思玲の結界をひっくり返したうえに、はね返しをかけられたんだぜ。

あいつが闇を落とそうが、消せるはずないだろうのにな

……。
 焔暁がまた俺を笑う。俺は殴るのをやめる。
“ゆえに闇を求むる!”
“我、人を救うために差しだすものあり――”
(大ケヤキの下で、暗黒を降らす峻計へと向かった扇の破片……。

俺は握りこぶしをほどいて、大人の手には小さすぎる木札を見つめる)

 
ありがとうございました
 焦げた護符に礼を述べる。思玲を閉じこめる結界に押しつける。奴らへの怒りをこめる。
消し去れ!

は、発動!


給受・九天応元雷声普化天尊
急げ!
ぬおおお!
 空間にひびが入るなり割れていく――。すぐに再生しようとする結界を、両手で無理やりひろげる。
思玲!
哲人!
 思玲を抱きあげる。閉ざされていく結界から引きずりだす。
し、昇様は?
 黒目がちな瞳で、師傅の名を聞いてくる。
……。
がしっ
 俺は彼女を抱きしめながら、手のひらを開ける。
 

(木札は不均等に四片へと割れていた。

 最後まで異なる役目をさせてしまった……。黒ずんだ木っ端をポケットへとしまう)

やった。護符が割れた。

誰が試す?

(真上から竹林の声がする。こいつらは抜け目なさすぎる……)
俺がやりなおす。四玉を割らぬように頭だけ吹っ飛ばす
ブワサッ

 視界の隅で、流範が舞いあがる。


(東の空の縁がかすかに青い。そのはるか上空から、奴が起こす風切音が近づく。俺は思玲をさらに抱き寄せる)


 
 剣が風へと向かう――
うおお
いたーい
 二羽の大カラスがフェンスを突き破り、闇へと消える。
(俺達の前に剣が落ちてきた。流範と竹林をはじき飛ばした月神の剣は、コンクリートに浅く刺さり、横へと倒れる)
思玲、すまぬな
(劉師傅は立ちあがっていた。俺が抱えた彼女へと、償いのような笑みを向ける)
……。
すまなかった、玲玲(リンリン)……
 
 師傅はうつぶすように力が絶える。
松本君、師傅さんが……
松本、あの人は
 
(桜井と川田が感づく。横根は無表情のままだ)
この野郎! 竹林まで吹っ飛ばしやがったな
……。
(焔暁が師傅の亡骸を足蹴にするのを、思玲が俺の肩ごしに見る)
……。
……どけ
 思玲が俺の腕をはらいのける。
 
 
あん?
 立ちあがり扇をひろげる。焔暁へと亮相にかまえる。
 
(円状の扇から、幾重もの孔雀色の光(おそらくは七重)が螺旋を描き飛びだす)
ズドン

 直撃を受けた焔暁が、ドアを突き破り屋内に飛ばされる。ガタガタと音をたて、階下に転がっていく。

 思玲は割れた眼鏡を投げ捨て、俺へと振り向く。

状況は?
じ、状況って、師傅が亡くなっちまったら! た、魂が――
見るではない!
パシン
(頬をおもいきりはたかれる)
私達みたいなものは死者に寄り添ってはいけない。

惑わせるつもりか? 悲しんでもいけぬのだ

(俺は頬に手をあてながら、思玲を見る。彼女の目から涙がとめどなく流れていた。……くそ。思玲が耐えるのならば、俺も師傅から顔をそむける)
横根は傀儡になって桜井を捕らえています
うむ
ドーンは羽根を折られて俺が守っています。川田は両目も鼻もやられました。護符は割れました。


……琥珀は生きています

よい話がひとつでもあって幸いだ。……このような剣で戦われていたのか

ズズ…ゴシゴシ

 思玲がおおぶりな剣を片手に持ち、
瑞希と桜井を救う

そして、瑞希に私達を救わせる

スタスタ

はい
 俺は彼女の背にうなずく。俺達に師傅の死に寄り添う時間はない。
 










 

瑞希ちゃん……
 
(横根は小鳥を両手で握ったまま、屋上の真ん中で棒立ちしていた。足もとにまとわりつく子犬を足で追いはらい、次なる楊偉天の登場だけを待っている)
 思玲が扇をたたみ、横根へと向ける。
奴の妖術だろうが消してやる

ピシッ

 
 亮相にかまえる。術を受けた横根がのけぞる。
無駄ダヨ、スーリン

(横根が能面の顔で棒読みに話しだす)

カンゼンナ傀儡ダ。オマエデハ消セナイ
これならどうだ
 
 思玲が破邪の剣で亮相にかまえる。見えない光を浴びて、横根がまたのけぞる。
ムダダヨ、昇
(また喋りだす)
ツルギガ弱イ。ツカレテイルノカ
(……あの老人は思玲や師傅の行動を見越して、横根に言葉をインプットしやがったんだ)
桜井をだせ!
 俺は横根の手を包み、無理やりこじ開けようとする。
やめて、瑞希ちゃんの手が引きちぎれる!
(桜井が悲鳴をあげる。……護符がなくても同じだ。俺は思玲に押しのけられる)
瑞希
 思玲がやさしく抱きしめる。
心は苦しんでいるのだろ? だから、なおさら無理強いするぞ。術から逃れてくれ
無駄ダヨ、スーリン

情ニウッタエルノハヤメナサイ

…楊偉天め
やめない!


ギュッ


みんなのもとへ戻ってこい

無駄ダヨ、スーリン――
くっ……
(横根は涙を流しながら、同じ言葉をくり返す。……思玲が横根から手を離す。座りこむ)
言っておくべきだよね。

私の中のこいつが朝空を飛びたがっている。もうじき瑞希ちゃんの手を食いちぎると思う。


私を殺したほうがいいかも

ふざけるな! こんなの、もうじき終わるだろ? お前のもうじきよりもうじきだ
川田……

(吠えて叱咤する子犬を直視できない。人間の子どもですら勝てそうな図体なのに、なんで戦い抜いて、なおも戦いつづけようとするのだ。

こいつこそ抱きしめてあげて、ミルクを飲ませて温かいタオルで寝かしつけてあげたい……)

終わりが近いならば俺も戦うぜ。また哲人に殴られようがな
(いつから目が覚めていたのだろう。布の中からドーンが告げる)
(みんなを守りたい。でも俺になにができるんだ。考えろよ。それしか俺には能がないのだから……)
(なにも浮かばない)
 
 横根の足もとに草鈴が落ちている。もうこたえてくれる相手もいない笛だ。しゃがんで拾うと、川田が足を引きずりながら寄ってきた。
松本、俺にも試させてくれ。瑞希ちゃんの顔まであげてくれ
 閉ざされた目の子犬が訴える。
(抱きあげた犬のぬくもりを感じながら、あたりを見わたす。東の空が白みはじめている。都心のビル群の影が、うっすら縁どられている。朝が近い)
また来たな。ハエよりしつこい。


いつか倒してやりたいな

(俺の手で川田が言う。

 川田がにらむ西へと顔を向ける。こっちの空はまだ闇だ。その闇へと、人と異形のシルエットが浮かんでくる)

……。
う~

フラフラ

しゃんとしろ、狙われるぞ
(結界をまとわない竹林もふらふらと飛んでいる。こいつらを何度乗り切らないとならない)
今はまだ放っておけ。瑞希ちゃんが先だ
川田の言う通りだ
……。
 思玲が月神の剣と七葉扇を両手にかまえ、俺達と楊偉天のあいだに立つ。俺は子犬を横根の前へと差しだす。
親父くん……
 
クンカクンカ
(子犬がひとしきり鼻を動かす。余計痛むだけだとぼやく)
でも瑞希ちゃんがそこにいるのは分かるよ
 
瑞希ちゃんの笑顔をみんな見たいってさ。

はやく、みんなであっちの世界に戻ろうね

 
オラー、オラー!
(川田の言葉はあたたかい。思玲が扇と剣で楊偉天の術を必死にはね返している)
 そのすぐ後ろで、子犬が横根の頬を舐める。
ドサクサじゃないからな


ペロ

……。
川田君……、傷だらけ
私なんか猫のときから迷惑ばかりだ。ごめんなさい
 横根が泣きながら崩れ落ちる。

横根……

(謝られることなんて、なにもしていない)
ストン

 子犬が俺の手から飛びおりる。





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