十九 村雨の逃亡者

文字数 3,864文字

俺には護符があるだろ。守られる必要なんて……
札のすごさを俺は見てない
……。

 片方の目が黒い血でふさがっていた……。

 逃避していた事実が面前だから背けられない。怨霊や流範の吐きだす液体のように、白猫の血も黒かった。青い鳥の血も。おそらく見えない俺の血も。シャツを染めた思玲の赤い血以外は。

画鋲が十個刺さったぐらい痛い。だが、おもてに人間が少ないうち戻るぞ。


俺はこの傷に感謝する。これで思玲と瑞希ちゃんとイーブンになった言い分だ

 川田が屋内の奥へと歩きだす。

(親父ギャグが冗談になっていない)


人間に戻っても、怪我したままかもしれないだろ

結界の中で思玲が言った。

でかい亀が四肢を食われて、頭と甲羅だけで生きていたらしい。でも五体満足で人に戻ったと

 俺がお寺にいたときに聞いたのだろうか。だからと言って無理を重ねたら、人に戻る前に消えてなくなる。大カラスのように溶けてなくなる。

俺は無敵だから、自分の身だけ案じろよ

(守ってくれてありがとう)

 ゴウオンが消え去ったあたりへ手を合わす。
(……習慣になってきている。金輪際やりたくない)
あんな奴らを拝むのかよ。それなら俺のぶんも頼む。俺は手を合わせられない。

……ありがとな

 川田は勝手口らしきもとへ行き、風にあおられるベニヤ板を押してくぐる。

成仏してください

 人の魂が消えた闇にも手を合わせ、川田のあとを追う。

ざーざー
 外にでるなり雨が叩きつけてくる。空のうなりも聞こえるけど、雷は遠ざかっているようだ。
マジびびった。だってカラスで外に一人だろ。雷だらけだし、夏奈ちゃんの笛が聞こえたときはマジで涙がでた。瑞希ちゃんも無事なんだよね。あれは天使の呼鈴だった……。ちょっと詩的? て言うか、目を怪我してね?
平気だ。退散するぞ。俺に乗れ
俺はもう飛べるんだぜ
さっき褒めただろ。雨だから言っている
(……流範とゴウオンのことを聞いてこない。なにも聞きだせなかったなんて、こっちもあえて言う必要ない)


!!!

 靄がかかった前方から車が近づく。回転灯が見える。パトカーは俺達を通り過ぎたところで停車する。
松本も乗れ
ヒョイ
 川田が走りだす。俺はかろうじて狼の尻尾にしがみつく。景色が流れだす。俺の前で、ドーンが羽根を小刻みにひろげてバランスをとる。
公園じゃないぞ。神社に移動しているからな
(鳥の異形は、なんで音の出どころまで分かるのだ)
それだとカラスを乗せて大通りだな
妖怪も乗ってるよ

 今のところパトカーは追ってこない。カラスと座敷わらしが乗っても、狼の体は余裕があった。

チリチリチ?

 昼過ぎから始まった夕立はピークを過ぎたようだけど、まだまだの降りだ。桜井が鳴らす草鈴がまた聞こえる。俺達を心配する響きが含まれている。

 前方の交差点をパトカーが通過する。

カッ、土砂降りの中、さすがは警察だね
突っ切るぞ
ワオ
 川田が駆ける足を速める。交差点で警察官とぶつかりそうになる。
(パトカーから降りてきたよな。つまりまさに、放し飼いの大型犬を探している)
 やはりパトカーがサイレンを鳴らすことなく背後をついてくる。
車が通れない道に入れ!
俺はお抱えの運転手か
 川田がぼやきつつも従う。
バサバサ
ピチャピチャ
 ドーンが羽根を震わした雨しぶきが俺にかかる。
ハッハッ
 雨がまた勢いを増す。前方で回転灯の光が通り過ぎ、川田が路地の脇に寄る。しばらくしても警察官は現れない。今は土砂降りな雨だけが俺達の味方だ。
(でかい狼がうろうろしているだけで大騒ぎしやがって……。
 俺も人間だったら、人の手を放れた大型犬に駅周辺でうろつかれたら、こころよくはないだろう。しかも夏休みだ。子供が気ままに動きまわる時期ならば、大人も警察も必死になる)
ブルブル
バサバサ
ビッチャビッチャ


……。

 川田とドーンが同時に体を震わせ、水しぶきを盛大に受ける。撥水の体でもうっとうしい。遠く離れた雷が聞こえる。川田が用心深く路地から顔をだす。

ウウウー

停車していやがる
チリチリチリ

チリチリチリ

…シツコイ
 草鈴がまた聞こえる。返事がなくていら立っているようだ。俺は懐を探り、木箱に乗った草鈴を取りだす。口にくわえて何度か息を吹きかける。
プスプス
 ようやく情けない音がした。
チリチリチリ! チリチリチリチリ!
 すぐに桜井から喜びの返事が来る。無事なのは伝わったようだ。
いつまでも能天気に吹くな
(追跡を避けるためには遠回りすべきか、時間をかけてこそこそ行くべきか……。問題は相手の本気度だ)


警察はそんなに多かった?

夕立の前だと、パトカーは三台見かけたな
(それは本気の部類だ)


川田……。人になにかやらかした?

するはずないだろ! 紐をぶら下げて歩いただけだ

わるかった。


(全員がじれている。はやく思玲達と合流したい。それでも夜になるまでどこかに隠れるべきか……。

 流範から人に戻る方法を聞きだすなんて企みは、それぞれが傷を負うだけで失敗に終わった。残された時間は確実に消えている。とにかく五人、いや六人で集まらなければ)

 徒歩で警らすることなくパトカーは去った。
フワフワ


いないよ

 まず俺が前方へふわふわと浮かんでいく。四辻を見まわし、見えない手で大きく丸をえがく。
コソコソ

 川田がこそこそと道の隅を歩いてくる。車が来てはっとするが一般車だった。川田とドーンに水たまりを飛ばし去っていく。

カラスにもリスペクトして走れ。犬にもな
狼だ。雨がじきにやむぞ。……雨水が目にしみる
 川田が歩みを速める。
でも慎重についてきて

フワフワ

 俺は次の曲がり角のコンビニまで進む。駅に近くなり商店などが目立ちはじめる。傘をさした人間も複数見かけるが、東京だから仕方ない。俺は両手で三角を作る。
スタスタ
 狼は躊躇せずにやってくる。
ギョ!
ギョ!
 人間は川田を見ると一様にぎょっとする。壁にはりつき、放し飼いの特大犬を避ける。

(また警察へ通報に決まっている。もしくは保健所。さきほどの公園なら裏口はすぐそこなのだけど……)


たしかに神社だよね?

 目立たぬように川田の上で這いつくばるカラスに尋ねる。
そっちから聞こえたから間違いないね。なんとか権現って、のぼり旗がある神社
(ならばフリマ開催の緑地公園を横ぎるか、駅へと続く線路沿いの小道を進むかだな。どっちも距離的には同じぐらいだが、最終的には計六車線のでかい道(旧街道であり現国道)を、よほど運がよくなければ、たっぷりと信号待ちして渡らざるを得ない。歩道橋は遠いし狼が渡るのは……)


とにかく俺が先行する。フワフワ

 雨は小ぶりになってきた。線路の側道を見て両手でバッテンを描こうとして、思いとどまり三角にする。

マルバツだけにしろ


……これはさすがにアウトだろ

 ドーンが川田の頭へと跳ねる。
いつもよりは圧倒的に少ないし。川田が決めろよ
 線路沿いの一直線の歩道は、土曜の昼下がりをかき乱した夕立の直後だろうと、人間が多い。
公園を行くか
(騒ぎを増したくなければそれしかないか。フリマは雨で打ち切りだろうし、今ならば人間は少ないかも)

そうだな

突っ切れ!
ビク
 一羽のカラスが雨を断ち切るように飛んできた。
今のコーエンはツチカベさえ行けないぞ。川田なんかすぐに捕まる
ミカヅキかよ

インコに頼まれた。

ドーンも飛べ。ゴンゲン様へのでかい道で待っているからな

 ミカヅキが上空を一度だけ旋回する。またたく間に去っていく。……インコってのは、まず間違いなく彼女だろうな。
カッ、命令かよ


ブワサッ

 ドーンがブワサブワサと重たげに羽ばたく。しぶきをたてながら宙に浮かぶ。
……よく分からんが突っ切るぞ
 狼が線路沿いを小走りする。ドーンが先の電柱にとまる。俺もふわふわと追う。
ナンダアノ犬ハ。デカスギダシ、ヤバイダロ
警察ガサッキカラ多イノハ、アノセイジャネ?
 道をゆずるように避けた若者が、川田へとスマホをかざす。
ガーガー!
(警戒の鳴き声?)
 脇道から、合羽を着た警察官が四人現れる。息を整えながら狼を見つめる。やはり川田は指名手配犯だった。
……。
オイデ
 先頭のおまわりさんがしゃがんで笑みを浮かべる。川田へと手招きする(犬を信じた悪意のない顔だ)。その背後の一人は、後ろ手ででかい棒を隠しているつもりだ。

 後方の一人は、

コッチニ来ナイデクダサイ
 駅側の人達に叫んでいる。最後の一人は無線(スマホ?)で喋ったあと、俺達の背後を見つめる。
(応援が来そうだな。逃げても挟み撃ちかも)
突っ切る!
 川田は速度をゆるめるどころか、警察官へと跳ねるように駆けだす。
さすまたがある!


グァグァ!

 ドーンが叫びながら歩道へ急降下する。前方の警察官二人の上で威嚇の声をあげる。


 一人がさすまた(初めて見た)でドーンを追いはらおうとする。その横を川田が駆け抜ける。残りの警官が並んで道を封鎖する。

(リードをかみ砕き、くわえて投げるだけで異形の首を折る狼を相手にだ)
ハッハッ
クソ
 暴走する狼に、警官達はなすすべもなく道を開ける。
(賢明な判断だ。拳銃なんか使うなよ)

フワフワ

 念じながら、俺も脇をすり抜ける。
公園組ヲ、パトカーニ戻セ
アイツ頭ガイイ。網モ必要カナ
アノ鴉ハ、ナンナノダ?
フワフワ、フワフワ
 彼らは共犯者が真横に浮かぶのに気づきやしない。次なる対策に追われている。
飼イ主、ハヤク連絡ヨコセヨ。……迎エニキテヤレヨ
 警官の一人が制帽を取り、顔の雨水や汗をぬぐう。気づくと雨はやんでいた。
フワフ…
 俺は一息つく代わりに見上げる。

 ダークグレイの空に明るみが差している――。





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