四十一の二 老祖師

文字数 4,189文字

……。
(刈りこんだ白髪頭の160センチもない削げた体。濃紺シャツに灰色の麻ズボン。気配も感もない、杖を持ったありふれたお年寄りにしか見えないけど……)
……。
(こいつが楊偉天)
夏奈や、怯えるではない。お前の名前は鏡に刻ましてある。異形になろうと忘れぬようにな。ヒヒッ
 楊偉天が俺の目を見上げる。俺の手を握る。
傀儡の術は無理か。おお、土着の神がうごめきだしたぞ。すばらしい力だ
 呆気にとられていた俺は、ようやく老人の手を振りはらう。

 発動!


給受・九天応元雷声普化天尊


……あれ?

ヒイ

(俺の手の中で、護符は狂おしいほどに発動していた……。俺はあとずさる。……逃げるな。川田達を救わないと)

大鴉どもにお前を倒せぬはずだ。

コキコキ

月神の光を浴びたとなると、この老いぼれでも難しい

(楊偉天は首筋をまわしつつ言う。……すべてを見抜かれている底知れぬ恐怖。でも思玲達を助けないと)
松本君だけじゃ無理だよ。師傅さんを呼びなって
(俺の意識は心の外に向かっているから、桜井が声にだす)
昇は忙しいのだから無理を言うではない。儂や式神どもと戦っているのだからな。

ジロ

……今は儂だけか? ヒッヒッヒッ

 楊偉天が見上げた空を俺も見上げる。

(対の炎が小柄な影を追っていた……。

 ドーンも吸いこまれていなかった!)

師傅を呼べ!
 上空に叫ぶ。
朱雀くずれが鴉とはな。さらには飛行する
 楊偉天が杖を天にかかげる。
 杖の先から小豆色の光が雁行となり、上空へ向かう。ついで杖さきで地面を叩く。
ロタマモとサキトガよ。儂は心を開いているではないか。呼ばれたならすぐに現れなさい
ぞわあああ

(さらなる恐怖が寝汗のように湧きでた)

『読まれぬためにバリアしていて、消すなり叱責か』

『キッ、気づくはずないだろ』

ムリダヨ…

(使い魔達の声。あっちの陣営にくだったのか。俺はまたしても後ずさる)

『そいつといまだ契約中だ。姿を現せない』

『それに、あんたはさっきのあんたではないだろ? 厳密に言えばな。キキキ』

……。

(手下になったとは、ちょっと違うようにも思える)

妖魔ごときが逆らうな
 
 楊偉天が杖をかざす。そして地面を叩く。
わああ
 コンクリートの駐車場が揺れる。俺は耐えきれず地に手をつける。老人が俺を見おろす。
お前も逃げるのならば、夏奈を置いていきなさい。

天上ならまだ開けてある。大鴉達が窮屈にならぬようにな。ヒヒヒ

(蔑んだ目。護符を持つ俺を木っ端のように扱っている)

『ホホホ、癇癪をおこさないでおくれ』

『時間がないのは、みんな一緒ってことで』

(使い魔達の声とともに、俺と楊偉天のあいだに黒い煙がわきあがる)
哲人君、実体で会うのは初めてだな。これは不可抗力によるものだから契約には影響しない
……。
……。
イケメンに戻れてよかったな。スペードのエースを持つ、クローバーのジャックさんよ。キキキキ
(二匹まとめて太い有刺鉄線のようなつるで、がんじがらめになっている。羽根をひろげることもできないのに、ふてぶてしい目を俺に向ける)
使い魔? 瑞希ちゃんを人に戻してくれた奴ら?
キキキ、そうだよ。――ロタマモ見ろよ。龍は愛でる男に抱かれてうっとりだぜ
サキトガ。まだ龍ではないだろ。まだまだ、ただの桜井夏奈だ。ホホホ
(俺達の心に割りこみやがって……。桜井をまやかすつもりか)
当たり前のことを言わないでくれる?
(心を読まれても、彼女は平気みたいだ)
契約するよ。みんなをはやく人に戻しなさい。引き換えに、このジジイの魂をあげる
……。
(さすが桜井。でも、そんな都合のいいことが通用するのか?)
ホホッ、まずはお前達で倒してくれ。交渉はそれからだ
(こいつらこそ都合がよい。……いまの敵は楊偉天だけ。なのに老人は俺など見ていない)
くだらない。

西洋の魔物よ、代償を求めるのはやめなさい

 楊偉天が使い魔達へと杖をかざす。
もうすぐ日の出だ。消えたのちの千年を羽虫で過ごすか、東洋人の式神となるか、考える時間は少ない
勘弁してくれよ。俺らは契約がすべて――
 
 使い魔達の抗弁を無視して、楊偉天が杖をおろす。
パラッ
(マジかよ。奴らを縛るいばらをほどきやがった。……いばらは空中で蛇のようにうねりだす)
 
 
 楊偉天が杖をあげる。そしておろす。
うわっ

(ミシッと地面がまた揺れる。震源は……、使い魔達は解放されなかった)

(透明ななにかに押しつけられたように、奴らは地面に打ち伏す)


知りたいか? こいつらには臥龍窟(ウオロンクゥ)を逆さに張ってみた。今の若い奴らは反弾(跳ねかえし)とか呼んでいるがな
簡単に見えて難しい。あの思玲も、指南の甲斐なくものにできなかった。あれだけの結界を作れるのにな
(楊偉天が俺へと杖をかざす)
お前にも通用すると思うが封じこむまでが面倒だ。

まずこれを試してみる

 楊偉天が杖をおろす。
シャー

(宙に浮かぶいばらの蛇が、俺へと向かってくる)

シャー
ちっ

(前屈みにかわすが、とげの胴体がかすめる)

痛っ

 肩のシャツが裂け血が流れだす。傷はすぐに消えていく。
ヒヒッ。やはり邪教徒として扱われたな
(楊偉天がまた杖をかかげる)
東と西、どちらが勝る?
シャー
シャー
 楊偉天が杖をおろす。数メートルもあるいばらが、双頭の蛇となり襲ってくる。
おりゃ!
 俺は護符をかかげる。かまわずに蛇と化したいばらが巻きついてくる。
ドクンドクン
シャー
 護符がさらに強く発動する。それを受けて、いばらも強く発動する。
ぎゃー
 とげが体中に突き刺さる。俺は絶叫する。身動きもできないまま地面に倒れる。
松本君!
ヒヒヒ。さすがは、いにしえの法具だ。梟よ、これはよほどに由緒あるものだな
ヒイイ…
これを用いて終われると思うか? なあ蝙蝠よ
ギギ…
ジジイ、ほどけ!

(桜井が俺から這いでようとしている)


桜井、でるな……


(全身に突き刺さる痛みに耐えながら、それだけを伝える)

『そうだ。桜井……、やめろ』

『お、お前をおびき出すための罠だ……』
(使い魔達の桜井を誘う声が、彼女とつながる俺にも届く)
だったら助けろ!
(桜井がTシャツを切り裂こうとする)
『ホ……、潰された私達にはなにもできぬ』
『打開できるのは、哲人君だけ。キキ……』
(……そうだ、俺だけだ)
シャー

ひー

(俺だけだなどと決意するだけで、いばらがさらに食いこんでくる。
 こ、これが拷問。とげが貫通した両腕で、小鳥の、いる腹、だけを覆う……)
『哲人君、聞こえているのだろ? お、お前よりも、川田達はさらに苦しんでいる』
『封印の箱を解いた、あ、あの力を使え。さもないと、仲間は……、みんな死ぬ』
(全身を、締め、つけられる。……し、死んだほうが楽かも)
『お前を、恨みながら……。お、重い』
『桜井も、お前を呪いながら龍になる。……これは、いばらよりきつい』
ざけんな!
みんなに恨まれて呪われるのは私だ!
(俺の腹からの金切り声)
(……さ、桜井を、誰にも、う、恨ませない)
夏奈、だれと話している?

妖魔とか?

(さ、桜井を)

(誰にも呪わせない!)


どけ

はらり
 俺の命令に、いばらの鎖がほどけて落ちる。受けた傷はふさがっていく……。
……。
 
シゲシゲ
 俺はいばらを拾い立ちあがる。俺の行動をしげしげ見つめる老人へと振りかざす。
見るんじゃね!
ピシン!
ぐえ!
 いばらが鞭となり、楊偉天が吹っ飛ぶ。
夏奈、落ち着けよ。守るって言っただろ
……。
『て、哲人君、私どもも……、だしてくれ』
ピキ

(ふざけんじゃない。その声を無視して、俺は地面にしゃがんだ楊偉天へと歩を進める。奴のシャツの胸元は斜めに大きく裂けていた。老人が俺を見あげる)

昇に傷を負わしたのはお前だったのか

(楊偉天は怯えていない。驚愕しているだけだ)


楊偉天さん。あきらめて、俺達を人に戻してください

 人を鞭で叩いたことに、すでに後悔しはじめている。
『馬鹿野郎。力がおさまっていくぞ』
『そ、その前に、私達を助けろ』
スルー
なんだ? もう仕舞いか

……。

(楊偉天が大儀そうに立ちあがる)
『む、無視するな。劉昇が来たら、羽虫にもなれずに消える。

あとで帳尻をあわせる。は、はやく開放しやがれ』

『ええい、くそ。特記事項を付け足そう。け、契約が不履行でも、ゆ、猶予を与えてやる!』
(焦りだした妖魔達がうるさい。かまうものか。楊偉天の首根っこをつかんででも説得するだけだ)
ニヤニヤ
(楊偉天は俺を待ちかまえている。かまうものか)
使い魔を救ったほうがいいかも
(青龍の感か?

 今さらそんなのに従えるか。楊偉天を拝み倒してでも――)

従ってよ。私を信じないの?
“知っているくせに!”
 一年生の冬。吹き抜けのテラスから一階を見おろしていた桜井。俺へと期待の目も向けなかった桜井……。記憶の断片が蘇る。
クルッ

(信じるに決まっている。俺は使い魔達へと向きを変える)

…キキ
…?
契約なんかあるはずないだろ?
 結界へとむちを振りおとす。
ぺち
 力が落ちてきて、へこみもしない。ふざけるな。
壊せ
ペシン!
 もう一度振りおろすと結界は縦にひび割れ、増殖しようとしながらはらはらと消えていった。俺の命令を受けいれたいばらも朽ちて、手もとから崩れて消える。
妖魔などと手を結ぶのか?
(楊偉天があきれていやがる)
す、すぐに清算してやる
それより契約は残っているぞ。お前もそのために戦っているのだろ?

(桜井を守れと後付けした件か。あれが契約であるものか)
 みすぼらしいコウモリとフクロウの化け物が、よろよろと宙に浮かびあがる。
藤川(ふじかわ)(たくみ)……。心の奥底からたびたび浮かんできたな

(羽根の毛も半分落ちたロタマモから怪訝な声がする)

龍になるものが導かれる存在か……。

こんな身であろうが気にはなる

その名前をだすな!
……。
 桜井の叫び声に上空がどよめく。楊偉天さえ空を見上げる。
夏奈よ。まだ耐えなさい

(老人が苦々しく言う。

 俺が思ってしまうのは……桜井が動揺する名前)

“ぼー……!”
“たくみ君?”
(藤川匠……、たくみ君)
やめてよ。それより、やっぱり来たよ
(俺の心が伝わろうが、そんな言葉しか返してくれない)
……。
(返せるはずがない。あいつの怒りの気配が俺にも伝わる。人であったときに心を寄せる猶予など、俺達に存在するはずなかった)



次回「一緒に飛ぶに決まっている!」












カツカツカツ…

……不思議だな。彼女のいる場所が分かる
カツカツカツ…

朝までには……。


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