第94話 四国へ行かないか?
文字数 2,698文字
飛行機に乗るのは実は初めてだったりする。わたしの街の小さな空港から格安航空会社の国内便に搭乗して、初めて経験するジェット機の加速と本当に飛んでいるんだっていう事実に思わず両足を機内のカーペットに突っ張ってしまったけれども無事目的地に着いた。
徳島県の『徳島阿波おどり空港』
コンビニでコーヒーでも買おうかと思ったけどその前にボードが目に入った。
『シャムさまご一行さま』
空港を歩く人が全員見上げるほどに高い位置に掲げられている。
恥ずかしさよりもスケッチブックほどのボードの両端を軽く握る指の長さと白さに意識を持っていかれた。
「モヤだよ。四国へようこそ」
ボードを左手でぷらりと下ろして右手をわたしの真正面に差し出してきた。
握ったその手は冷たいなんてもんじゃなかったよね。
「シャムです。よろしくお願いします」
「いいよ敬語は。わたしは19。わたしより年上でしょ?」
「うん。まあ」
背の高さに女も男も彼女を振り返り、それから顔立ちのパーツの精密さと配置の完璧さに気づいて男は全員見つめ、女は全員俯いた。特に若い女が。
「きれいだね」
「え?この空港?そうかな?」
「いや…空港もだけど。モヤが」
「え?ああ、ほんと?ありがと。さ、行くよ」
まったく頓着なく、否定も肯定もせずにモヤはわたしのバッグをひとつ持って歩き出した。空港ロビーを出てタクシー専用の駐車場に停まっている一目でこの地には違和感を持たせるそのフォルムに向かって。
黒の車体がぬるく光って、マシン、という風にしか呼べないよね、これは。
「この車?」
「うん。あ、知ってる?」
「ううん」
「ギャラン。速いよ」
「屋根がないよ」
「ああ。サンルーフにしてるんだ。もちろんちゃんと閉じれるし遮光もできるよ。さ、乗って」
後部座席に荷物を置いて助手席に乗るとモヤはまず電動のサンルーフを閉じてくれた。それから着替えを渡された。
「ほい、これ」
「ほんとに全部白なんだ」
白のノースリーブのワンピース
白のソックス
白のカンバス生地のデッキ・シューズ
紐は通してない
濃いグリーンのリボンを巻いた、白のソフトハット
「ねえ、モヤ。どうして緑が一色だけ混じってるの?」
「シャムの色だろ」
わたしの、色…?
かくいうタクシー・ドライバーのモヤも白で統一してる。
「白のワイシャツ。白のタイトスカート。白のタイツ。白のハイヒール。タイは青」
「青がモヤの色?」
「あ。訊くの、そこ?まあ、青が好きだから、ってのもあるけど海の色かなあ、って思って」
「あと、ハイヒールで運転を?」
「ああそうだよ」
「あと、タイトスカート」
「気持ちが引き締まるんだ」
「そうなの?」
タクシー・ドライバーは燃費の観点からマニュアル車を使うっていうのは聴いたことがあったけど、モヤのこのギャランはそういう意味じゃなさそうだ。
「わたしはね。レディースのヘッドだったんだよ」
「レディース?」
「女だけの暴走族さ」
「え」
「大学中退してから半年だけだけどね」
ワケありなのはわかってたけど。
今19で大学中退してから暴走族に入ってこうしてタクシーを走らせてる。
その人生展開のスピードにも驚くけれども実質的に注目すべきはその短い期間でヘッドになったって人間性なんだろうね。
「わたしはドライバーでありタクシー・ドライバーなんだ」
「どういうこと?」
「わたしの本質は職業としてじゃなく純粋に車を走らせる人間っていう意味でのドライバーなんだ。それでもってタクシー・ドライバーを職業にしてる。シャムは勤め人なんだろう?」
「そうだよ」
「でもシャムの本質は勤め人じゃないんだろう?」
「…うん」
「なに」
「…詩人?」
「おー」
「ごめん、ちょっと恥ずかしい」
「そんなことないぜ。いいじゃない、詩人。勤め人で詩人。じゃないな。詩人で勤め人だ」
「ありがとう」
わたしは自分で運転する時には必ずヒールのない靴を履く。ほんの数センチだろうとダメなんだよね。一番いいのはランニング・シューズなんだけど、仕事の時は地味なローファー。だからモヤの運転にはひとかたならぬ興味が湧いたんだよね。
モヤのテクニックはすごかった。
ううん、速く走るんならなんだってできるよ、マシンさえすごければ。
もちろんこのギャラン、っていう何世代か前のガソリン車はエンジンとその操作機器のクオリティだけでマニュアル教習で運転免許を取得した人間ならば黙っててもすごい走りを再現できるんだろうけど、モヤのすごいのはねえ。
完璧に乗客を最優先したタクシー・ドライバーの運転なんだ。
「モヤ」
「なに」
「全く揺れない」
「はは。そこじゃなくて加速を褒めてよ」
加速のスピードそのものはジェット・コースターのようだった。ちょうど走り出していくつかの坂を下って登ったから体の中の血が後ろに置いてかれる感じを受けたんだけど、スピードとGはジェット・コースター…ううん、さっきわたしが初めて乗ったジェット旅客機の離陸の加速よりも速いのに、頭が地面と平行に微塵もブレずに動いていく。
「四国の道路がいいのさ」
モヤは謙遜するけど、それだけじゃ絶対ないよ。
超一流のタクシー・ドライバーだよ。
「さあて。音楽かけていいかい?一応わたしのテーマ曲なんだけど」
「いいよ」
わざわざ許可を取って、しかもカーステもナビじゃなくってカセット・テープなんだ。
レニー・クラヴィッツの、『ミスター・キャブ・ドライバー』
「どう?」
「いい曲だね」
「ありがとう。もう一曲、いい?」
「いいよ」
プリンスの、『レディ・キャブ・ドライバー』
モヤいわく、お遍路さんは道中身もココロも謹んで行動せねばならないのだという。だからこう言った。
「ふふ。このギャランはね、ひと昔もふた昔も前のマシンだけどさ、防音が完璧なんだよ。なんなら運転席にヴォーカル、助手席にギター、バックシートにベースとドラムを乗せた4ピースバンドがレコーディングすらできる密室性さ」
ほんとにできそうだ。
し、そういう動画を観たことある。確かSuspended 4thのドラマーがKing gnuのFlushの全てのパートをひとりでカバーする動画だったと思う。
「お遍路さんの精神統一を邪魔できないからね」
同行ふたり。
出発の前から観ない・言わない・聴かない、のバンド三人娘から執拗に言われた言葉だ。
もちろん、四国の…ううん、日本の英雄と呼んでも余りあるぐらいの弘法大師空海さまと常にふたりで四国八十八ヶ所を歩む、っていう意味だけれども、わたしはこのモヤにも勝るとも劣らないそういう感覚を持つんだよね。
「さあ。行こうか、シャム」
「うん」
目指すは一番目の札所。
徳島県の『徳島阿波おどり空港』
コンビニでコーヒーでも買おうかと思ったけどその前にボードが目に入った。
『シャムさまご一行さま』
空港を歩く人が全員見上げるほどに高い位置に掲げられている。
恥ずかしさよりもスケッチブックほどのボードの両端を軽く握る指の長さと白さに意識を持っていかれた。
「モヤだよ。四国へようこそ」
ボードを左手でぷらりと下ろして右手をわたしの真正面に差し出してきた。
握ったその手は冷たいなんてもんじゃなかったよね。
「シャムです。よろしくお願いします」
「いいよ敬語は。わたしは19。わたしより年上でしょ?」
「うん。まあ」
背の高さに女も男も彼女を振り返り、それから顔立ちのパーツの精密さと配置の完璧さに気づいて男は全員見つめ、女は全員俯いた。特に若い女が。
「きれいだね」
「え?この空港?そうかな?」
「いや…空港もだけど。モヤが」
「え?ああ、ほんと?ありがと。さ、行くよ」
まったく頓着なく、否定も肯定もせずにモヤはわたしのバッグをひとつ持って歩き出した。空港ロビーを出てタクシー専用の駐車場に停まっている一目でこの地には違和感を持たせるそのフォルムに向かって。
黒の車体がぬるく光って、マシン、という風にしか呼べないよね、これは。
「この車?」
「うん。あ、知ってる?」
「ううん」
「ギャラン。速いよ」
「屋根がないよ」
「ああ。サンルーフにしてるんだ。もちろんちゃんと閉じれるし遮光もできるよ。さ、乗って」
後部座席に荷物を置いて助手席に乗るとモヤはまず電動のサンルーフを閉じてくれた。それから着替えを渡された。
「ほい、これ」
「ほんとに全部白なんだ」
白のノースリーブのワンピース
白のソックス
白のカンバス生地のデッキ・シューズ
紐は通してない
濃いグリーンのリボンを巻いた、白のソフトハット
「ねえ、モヤ。どうして緑が一色だけ混じってるの?」
「シャムの色だろ」
わたしの、色…?
かくいうタクシー・ドライバーのモヤも白で統一してる。
「白のワイシャツ。白のタイトスカート。白のタイツ。白のハイヒール。タイは青」
「青がモヤの色?」
「あ。訊くの、そこ?まあ、青が好きだから、ってのもあるけど海の色かなあ、って思って」
「あと、ハイヒールで運転を?」
「ああそうだよ」
「あと、タイトスカート」
「気持ちが引き締まるんだ」
「そうなの?」
タクシー・ドライバーは燃費の観点からマニュアル車を使うっていうのは聴いたことがあったけど、モヤのこのギャランはそういう意味じゃなさそうだ。
「わたしはね。レディースのヘッドだったんだよ」
「レディース?」
「女だけの暴走族さ」
「え」
「大学中退してから半年だけだけどね」
ワケありなのはわかってたけど。
今19で大学中退してから暴走族に入ってこうしてタクシーを走らせてる。
その人生展開のスピードにも驚くけれども実質的に注目すべきはその短い期間でヘッドになったって人間性なんだろうね。
「わたしはドライバーでありタクシー・ドライバーなんだ」
「どういうこと?」
「わたしの本質は職業としてじゃなく純粋に車を走らせる人間っていう意味でのドライバーなんだ。それでもってタクシー・ドライバーを職業にしてる。シャムは勤め人なんだろう?」
「そうだよ」
「でもシャムの本質は勤め人じゃないんだろう?」
「…うん」
「なに」
「…詩人?」
「おー」
「ごめん、ちょっと恥ずかしい」
「そんなことないぜ。いいじゃない、詩人。勤め人で詩人。じゃないな。詩人で勤め人だ」
「ありがとう」
わたしは自分で運転する時には必ずヒールのない靴を履く。ほんの数センチだろうとダメなんだよね。一番いいのはランニング・シューズなんだけど、仕事の時は地味なローファー。だからモヤの運転にはひとかたならぬ興味が湧いたんだよね。
モヤのテクニックはすごかった。
ううん、速く走るんならなんだってできるよ、マシンさえすごければ。
もちろんこのギャラン、っていう何世代か前のガソリン車はエンジンとその操作機器のクオリティだけでマニュアル教習で運転免許を取得した人間ならば黙っててもすごい走りを再現できるんだろうけど、モヤのすごいのはねえ。
完璧に乗客を最優先したタクシー・ドライバーの運転なんだ。
「モヤ」
「なに」
「全く揺れない」
「はは。そこじゃなくて加速を褒めてよ」
加速のスピードそのものはジェット・コースターのようだった。ちょうど走り出していくつかの坂を下って登ったから体の中の血が後ろに置いてかれる感じを受けたんだけど、スピードとGはジェット・コースター…ううん、さっきわたしが初めて乗ったジェット旅客機の離陸の加速よりも速いのに、頭が地面と平行に微塵もブレずに動いていく。
「四国の道路がいいのさ」
モヤは謙遜するけど、それだけじゃ絶対ないよ。
超一流のタクシー・ドライバーだよ。
「さあて。音楽かけていいかい?一応わたしのテーマ曲なんだけど」
「いいよ」
わざわざ許可を取って、しかもカーステもナビじゃなくってカセット・テープなんだ。
レニー・クラヴィッツの、『ミスター・キャブ・ドライバー』
「どう?」
「いい曲だね」
「ありがとう。もう一曲、いい?」
「いいよ」
プリンスの、『レディ・キャブ・ドライバー』
モヤいわく、お遍路さんは道中身もココロも謹んで行動せねばならないのだという。だからこう言った。
「ふふ。このギャランはね、ひと昔もふた昔も前のマシンだけどさ、防音が完璧なんだよ。なんなら運転席にヴォーカル、助手席にギター、バックシートにベースとドラムを乗せた4ピースバンドがレコーディングすらできる密室性さ」
ほんとにできそうだ。
し、そういう動画を観たことある。確かSuspended 4thのドラマーがKing gnuのFlushの全てのパートをひとりでカバーする動画だったと思う。
「お遍路さんの精神統一を邪魔できないからね」
同行ふたり。
出発の前から観ない・言わない・聴かない、のバンド三人娘から執拗に言われた言葉だ。
もちろん、四国の…ううん、日本の英雄と呼んでも余りあるぐらいの弘法大師空海さまと常にふたりで四国八十八ヶ所を歩む、っていう意味だけれども、わたしはこのモヤにも勝るとも劣らないそういう感覚を持つんだよね。
「さあ。行こうか、シャム」
「うん」
目指すは一番目の札所。