第91話 走り、行かない?
文字数 3,552文字
SF映画の最高傑作ってなんだろうね?
まあそもそもわたしがSFなんていうものを知ったのはせいぜいここ数十年での話だから人生の中におけるエンタメ経験から言えばごく一部なんだけどね。
おっといけないいけない。別の意味で年寄りくさい話になっちゃったね。
「走り?」
「そう。言夢 、一緒に行かない?」
「走りって、父さんのワゴンで峠でも?」
「ああー。それも景色がきれいそうで楽しそうだけどそうじゃないんだよね。自走するんだ」
「捨無 、車だって自走するだろ?牽引されるわけじゃないだろ?」
「違う違う。自分で走るんだよ。この、2本の脚で」
「行かない」
結果的にはゲンムは一緒に来てくれた。
場所は市の由緒ある体育館。10年ほど前まではマイナーだったけど今は日本人選手の中にも世界トップレベルの世界ランカーが何人もいて、その競技をアリーナのフロアでなんと10面もコートを使って国際大会ができるほどの美しくて整備された体育館。
時間は閉館間際の夜20時。
「わたし体育大嫌いなんだけどなー」
「ゲンムは支援学校で何の時間が好きなの?」
「昼寝」
無視してわたしは体育館の女性スタッフさんにランニングコースの使い方を問い合わせる。
「ロッカールームで着替えて頂いて観客席の裏側通路がランニングコースです。一周200mで、左回りに走ってください。基本通路の左側を走って追い越す時だけ右側に出てください」
「はは。車とおんなじだな」
ゲンムも初アリーナのランニング・コースなので多少は気持ちが乗ってきたみたい。
貸切りだし。
「すみませんね、今日はずっとバドミントンの中学秋季大会が開催されてましたのでランニングコースを解放するのがこんな夜遅い時間になってしまいまして」
「いいえ、そのおかげでふたりっきりですから」
さて。
「なあ、シャム。なんで突然走ろうなんて思ったんだ?」
「源田さんがね、もしも散歩だけじゃなくてもう少し体を動かせそうならランニングがいいよ、って。でね、外だと路面や風で意外と負荷が大きいからアリーナのランニングコースがお勧めだよって」
「へえ。源田さんも走ってんの?」
「うん。県のフルマラソンの大会も毎年出てるよ。サブ4だし」
「サブフォー?Suspended 4thの略か?」
「それはサスフォー。違うよ。42.195kmを4時間かからずに走るってことだよ」
「ん?すると時速11km/hぐらいで走るってことか?というかシャムはSuspended 4th知ってるんだな」
「ゲンムが『ストラトキャスターシーサイドって曲のドラムが神技なんだよ!』ってわたしの前で100回ぐらい叩いてたじゃない」
「そうだっけ?」
ダラダラした話はまあ走りおわってからすることにして、ゲンムとわたしは室内で温度調整もされてて寒くないので上下半袖半裾速乾生地のアディダスのランニングウエアにランニングパンツで、シューズはお揃いの赤のニューバランス。ソックスはくるぶしまででソールに滑り止めのラバーチップが設られたアンダー・アーマー。
「いいねいいね。アガるね」
「でしょ?来てよかったでしょ?」
「うんうん。シャム?早く走ろ?」
ストレッチを終えてコースに出た。
貸切だから二人並んで走りたいところだけどコースのルールを遵守する。わたしが先頭。後ろがゲンム。
「じゃあ最初は6分30秒/kmで」
「ええ?もっとゆっくりしないか?」
「ゲンム。これでいわゆるジョグだよ?あんまりゆっくりだと却って関節に負担がかかるよ?」
「でも速いと肺と心臓に負担がかかるだろ?」
まあ付き合ってもらってるわたしの負い目もあるからゲンムに合わせて7分30秒/kmで走る。
「これじゃあ早歩きだよ」
「いいじゃないか、シャム。慣れたら少し速く走るからさあ」
「…わかった」
源田さんの進言通り屋内を走るのは正解だったかもしれない。外は暗くて室内灯は明るいから大きなガラス窓に連続してわたしとゲンムの躯体全体がはっきりと映るのでフォームを目で確認できる。加えて床とシューズのソールが接地する音も、とっ・とっ、と鮮明に聴こえるので。
ただ、大問題が。
「ゲンム、少し黙って?」
「いいじゃないかシャム。せっかくふたりで走るんだから」
「あのね」
みなさんも絵面を想像していただきたい。
「手話で話すからわたしがゲンムを振り返らなきゃいけないでしょ?」
「いいじゃんいいじゃん、それぐらい」
「⚡︎⚡︎⚡︎!手話で手首をヒラヒラ動かしてると脚の動きもつられてバラバラになるの!」
しばしの黙走。
黙ってるのがよかったのか、ゲンムも体が慣れてきてペースを上げられそうな雰囲気が背後から伝わってきた。試みに7分/kmぐらいに上げてみる。
まだ大丈夫そうだ。
アリーナの通路は人間ふたり分ぐらいの横幅。
そして壁面は打ちっぱなしのコンクリート剥き出し。
当然屋根は高く、なんというかとても狭い峡谷の谷底にいるような感覚になってくる。
『まだいける?』
『ああ』
わたしは手話でなく、軽くゲンムを振り返ってアイコンタクトで確認した。
一気に6分30秒/kmまで上げてみる。
「あ…っと」
GPSウォッチではない腕時計なので手動でストップウォッチのラップ機能を使って周回のタイムから走るスピードを調整していいたけど、そろそろそれも面倒くさくなってきた。
時速とか関係なく、自分が気持ちよく走れるスピードまで上げてみる。
「お先っ!」
「あれっ!?」
ゲンムが追い越し車線を抜いて行った!
「ゲンム、調子に乗っちゃって」
嫌がってたゲンムもランニングの中毒的な魅力に気づいたようだ。しかもこの狭い通路だから外の遠い景色を観ながら走るのに比べてものすごいスピード感がある。
まるで自分が実力以上のスピードで走れてるような気持ちよさがあるんだ。
「この…!」
気づいたらわたしの掛け声がなんだかアニメっぽくなっているような気がする。時折SNSで見掛けるメカニカルなアニメのツイートにこんな感じのセリフがあったような、そういうのをわたしは言いながら、ゲンムの背を追った。
「させるかあっ!」
わたしはゲンムの右肩にわたしの左肩のウエアの生地をかすらせて一気に抜き去った。
「気持ち、いい―!」
ランニングハイとでも言うような感覚と同時に、普段ツンデレで言えばツンしかないツンツンのゲンムを、ビシュ!とねじ伏せるように打ち負かした気分になって脳内に麻薬物質が凄まじい分量分泌されてるようだ。
けど、気持ちよくなりたいのはゲンムも同じだった。
「……………!」
無言だけど、気迫が伝わってくる。
もうフォームなんて関係なしに、ゲンムのシューズのソールがビタビタビタ!ってすごい音を立てて迫ってくるのがはっきり分かる。抜かれまいと左レーンでスピードを上げると、肩がコンクリートの壁面にぐりっ、と擦れて慌ててコースどりを訂正する。けれどもそういう余裕すら段々となくなるほどに加速してきて…ほんとはビルドアップ走っていって、段々とラップたいむを尻上がりに速くしていくトレーニング法があるんだけど、もうビルドアップどころかいきなりプロテインと生卵とスッポンと鯉の生き血とスズメバチの子をぐにぐにに混ぜたのを飲んで一気にエネルギーを爆発させたようなダッシュでデッドヒートを続けるわたしとゲンム。
とうとう極限まで腕を振るわたしの腕時計が通路の手摺に、ビ!、ってぶつかって表示版にヒビが入った。
「この!」
これも無言だけど、ゲンムの脳の中が伝わってくるみたい。幅寄せなんかする訳でもないのに、わたしの体が危険を察知して縮こまった。
最終コーナーにかかる。
ゆっくり走ってる時も気にかかってたけど、スピードが増すと否応なく選択を迫られる。
『ぶつかる!』
ものすごい鋭角のコーナーなんだ。
コンクリートの壁面が迫ってくるようにゲンムとわたしが並走するタイミングになってようやく気づいた。
『一番好きなSF映画って、なに?』
アリーナでのランニングを勧められた時の源田さんの問いかけの意味がようやく分かった。
「スター・ウォーズ第1作!」
巨大なマザー・シップのメカニカルな機体の隙間を超高速で飛び交う小型宇宙船のチェイス。
まさしくあの映像のように、今、わたしとゲンムが激突せんとするマザーシップの壁面を
操縦桿を過大なGに逆らって引き抜けんばかりに逸らして、回避した
「ゴォール!」
はっ、はっ、はっ、とコースにぺたっ、とへたりこんでゲンムとわたしは、ゴッ、と拳を合わせる。
『やったな』
『うん、敵は全滅したよ』
とても幸福な気分でクール・ダウンしてドリンクで枯渇したミネラルと水分を補給し、受付を出ようとした時、声を掛けられた。
「お客さんたち。危険走行したので、出入り禁止ね」
まあそもそもわたしがSFなんていうものを知ったのはせいぜいここ数十年での話だから人生の中におけるエンタメ経験から言えばごく一部なんだけどね。
おっといけないいけない。別の意味で年寄りくさい話になっちゃったね。
「走り?」
「そう。
「走りって、父さんのワゴンで峠でも?」
「ああー。それも景色がきれいそうで楽しそうだけどそうじゃないんだよね。自走するんだ」
「
「違う違う。自分で走るんだよ。この、2本の脚で」
「行かない」
結果的にはゲンムは一緒に来てくれた。
場所は市の由緒ある体育館。10年ほど前まではマイナーだったけど今は日本人選手の中にも世界トップレベルの世界ランカーが何人もいて、その競技をアリーナのフロアでなんと10面もコートを使って国際大会ができるほどの美しくて整備された体育館。
時間は閉館間際の夜20時。
「わたし体育大嫌いなんだけどなー」
「ゲンムは支援学校で何の時間が好きなの?」
「昼寝」
無視してわたしは体育館の女性スタッフさんにランニングコースの使い方を問い合わせる。
「ロッカールームで着替えて頂いて観客席の裏側通路がランニングコースです。一周200mで、左回りに走ってください。基本通路の左側を走って追い越す時だけ右側に出てください」
「はは。車とおんなじだな」
ゲンムも初アリーナのランニング・コースなので多少は気持ちが乗ってきたみたい。
貸切りだし。
「すみませんね、今日はずっとバドミントンの中学秋季大会が開催されてましたのでランニングコースを解放するのがこんな夜遅い時間になってしまいまして」
「いいえ、そのおかげでふたりっきりですから」
さて。
「なあ、シャム。なんで突然走ろうなんて思ったんだ?」
「源田さんがね、もしも散歩だけじゃなくてもう少し体を動かせそうならランニングがいいよ、って。でね、外だと路面や風で意外と負荷が大きいからアリーナのランニングコースがお勧めだよって」
「へえ。源田さんも走ってんの?」
「うん。県のフルマラソンの大会も毎年出てるよ。サブ4だし」
「サブフォー?Suspended 4thの略か?」
「それはサスフォー。違うよ。42.195kmを4時間かからずに走るってことだよ」
「ん?すると時速11km/hぐらいで走るってことか?というかシャムはSuspended 4th知ってるんだな」
「ゲンムが『ストラトキャスターシーサイドって曲のドラムが神技なんだよ!』ってわたしの前で100回ぐらい叩いてたじゃない」
「そうだっけ?」
ダラダラした話はまあ走りおわってからすることにして、ゲンムとわたしは室内で温度調整もされてて寒くないので上下半袖半裾速乾生地のアディダスのランニングウエアにランニングパンツで、シューズはお揃いの赤のニューバランス。ソックスはくるぶしまででソールに滑り止めのラバーチップが設られたアンダー・アーマー。
「いいねいいね。アガるね」
「でしょ?来てよかったでしょ?」
「うんうん。シャム?早く走ろ?」
ストレッチを終えてコースに出た。
貸切だから二人並んで走りたいところだけどコースのルールを遵守する。わたしが先頭。後ろがゲンム。
「じゃあ最初は6分30秒/kmで」
「ええ?もっとゆっくりしないか?」
「ゲンム。これでいわゆるジョグだよ?あんまりゆっくりだと却って関節に負担がかかるよ?」
「でも速いと肺と心臓に負担がかかるだろ?」
まあ付き合ってもらってるわたしの負い目もあるからゲンムに合わせて7分30秒/kmで走る。
「これじゃあ早歩きだよ」
「いいじゃないか、シャム。慣れたら少し速く走るからさあ」
「…わかった」
源田さんの進言通り屋内を走るのは正解だったかもしれない。外は暗くて室内灯は明るいから大きなガラス窓に連続してわたしとゲンムの躯体全体がはっきりと映るのでフォームを目で確認できる。加えて床とシューズのソールが接地する音も、とっ・とっ、と鮮明に聴こえるので。
ただ、大問題が。
「ゲンム、少し黙って?」
「いいじゃないかシャム。せっかくふたりで走るんだから」
「あのね」
みなさんも絵面を想像していただきたい。
「手話で話すからわたしがゲンムを振り返らなきゃいけないでしょ?」
「いいじゃんいいじゃん、それぐらい」
「⚡︎⚡︎⚡︎!手話で手首をヒラヒラ動かしてると脚の動きもつられてバラバラになるの!」
しばしの黙走。
黙ってるのがよかったのか、ゲンムも体が慣れてきてペースを上げられそうな雰囲気が背後から伝わってきた。試みに7分/kmぐらいに上げてみる。
まだ大丈夫そうだ。
アリーナの通路は人間ふたり分ぐらいの横幅。
そして壁面は打ちっぱなしのコンクリート剥き出し。
当然屋根は高く、なんというかとても狭い峡谷の谷底にいるような感覚になってくる。
『まだいける?』
『ああ』
わたしは手話でなく、軽くゲンムを振り返ってアイコンタクトで確認した。
一気に6分30秒/kmまで上げてみる。
「あ…っと」
GPSウォッチではない腕時計なので手動でストップウォッチのラップ機能を使って周回のタイムから走るスピードを調整していいたけど、そろそろそれも面倒くさくなってきた。
時速とか関係なく、自分が気持ちよく走れるスピードまで上げてみる。
「お先っ!」
「あれっ!?」
ゲンムが追い越し車線を抜いて行った!
「ゲンム、調子に乗っちゃって」
嫌がってたゲンムもランニングの中毒的な魅力に気づいたようだ。しかもこの狭い通路だから外の遠い景色を観ながら走るのに比べてものすごいスピード感がある。
まるで自分が実力以上のスピードで走れてるような気持ちよさがあるんだ。
「この…!」
気づいたらわたしの掛け声がなんだかアニメっぽくなっているような気がする。時折SNSで見掛けるメカニカルなアニメのツイートにこんな感じのセリフがあったような、そういうのをわたしは言いながら、ゲンムの背を追った。
「させるかあっ!」
わたしはゲンムの右肩にわたしの左肩のウエアの生地をかすらせて一気に抜き去った。
「気持ち、いい―!」
ランニングハイとでも言うような感覚と同時に、普段ツンデレで言えばツンしかないツンツンのゲンムを、ビシュ!とねじ伏せるように打ち負かした気分になって脳内に麻薬物質が凄まじい分量分泌されてるようだ。
けど、気持ちよくなりたいのはゲンムも同じだった。
「……………!」
無言だけど、気迫が伝わってくる。
もうフォームなんて関係なしに、ゲンムのシューズのソールがビタビタビタ!ってすごい音を立てて迫ってくるのがはっきり分かる。抜かれまいと左レーンでスピードを上げると、肩がコンクリートの壁面にぐりっ、と擦れて慌ててコースどりを訂正する。けれどもそういう余裕すら段々となくなるほどに加速してきて…ほんとはビルドアップ走っていって、段々とラップたいむを尻上がりに速くしていくトレーニング法があるんだけど、もうビルドアップどころかいきなりプロテインと生卵とスッポンと鯉の生き血とスズメバチの子をぐにぐにに混ぜたのを飲んで一気にエネルギーを爆発させたようなダッシュでデッドヒートを続けるわたしとゲンム。
とうとう極限まで腕を振るわたしの腕時計が通路の手摺に、ビ!、ってぶつかって表示版にヒビが入った。
「この!」
これも無言だけど、ゲンムの脳の中が伝わってくるみたい。幅寄せなんかする訳でもないのに、わたしの体が危険を察知して縮こまった。
最終コーナーにかかる。
ゆっくり走ってる時も気にかかってたけど、スピードが増すと否応なく選択を迫られる。
『ぶつかる!』
ものすごい鋭角のコーナーなんだ。
コンクリートの壁面が迫ってくるようにゲンムとわたしが並走するタイミングになってようやく気づいた。
『一番好きなSF映画って、なに?』
アリーナでのランニングを勧められた時の源田さんの問いかけの意味がようやく分かった。
「スター・ウォーズ第1作!」
巨大なマザー・シップのメカニカルな機体の隙間を超高速で飛び交う小型宇宙船のチェイス。
まさしくあの映像のように、今、わたしとゲンムが激突せんとするマザーシップの壁面を
操縦桿を過大なGに逆らって引き抜けんばかりに逸らして、回避した
「ゴォール!」
はっ、はっ、はっ、とコースにぺたっ、とへたりこんでゲンムとわたしは、ゴッ、と拳を合わせる。
『やったな』
『うん、敵は全滅したよ』
とても幸福な気分でクール・ダウンしてドリンクで枯渇したミネラルと水分を補給し、受付を出ようとした時、声を掛けられた。
「お客さんたち。危険走行したので、出入り禁止ね」