第88話 安易に『過酷』って単語を使わないで

文字数 2,477文字

捨無(シャム)、シャム」

 言夢(ゲンム)とふたりでこの市で一番大きな本屋さんに入って、小説の新刊本の平台の前で手話で呼び止められた。

 静寂の店内にしばし響くわたしと言夢の袖がずれる音だけの会話。

「これって小説って言うのか?」
「どれ?」
「これ」

 くいくい、とそこだけは手話じゃなくってフィッシュ・ボーンあたりがやっていた大昔のヒップホップアーティストたちの手振りで一冊の本を指し示す。

『介護うつで自殺する人間はうつ病による病死なのか介護される側の年寄りに殺されたのか』

 なんてラノベ的な長いタイトル。
 もしくはマニアックな海外SF小説的なタイトル。
 見ようによっては家庭の医学的な比較的わかりやすい医学解説書のタイトルにも見える。

「パラパラめくってたらこのパートがどうしても目に入ってきちゃってな」

 ゲンムはそう言って開いているページのサブタイトルを黙読する。

「『過酷って言うな!』」

 わたしが音読すると思いがけず大きな声が出てしまったみたいで本を物色している他のお客たちがやっぱり袖とか襟とかのずれる音を一瞬立てて、そのまままた本のページのこすこすいう音だけに戻る。

「これって、ほんとうに小説、なのか…?」

 ゲンムが言うのも無理はないと思った。
 
 それは呪文だった。
 ううん、呪文みたいに途切れが曖昧で意味不明で、けれども怒りの炎か冷笑の氷なのか、どちらにしても極端な感情でもって書かれた…ううん、叩き込まれた文章だって思った。

 テンプレにあり得ない設定だから最初は訳がわからなかったけど、そのパートだけ全文を見開きページの真上から見るとはっきりと分かった。

 他家に嫁いだ娘
 母親が難病
 父親が不摂生により歩行困難
 
 その娘らしき人間が、兄らしき人間に、ジャンルが現代小説(いくら異世界と区別しなきゃいけないからって現代ってジャンルなの?)だから手紙ってことはなくてLINEじゃなけりゃメールなんだろうけど、呪文とは呪いの文章であるというその意味のままの内容だっよ。

 わたしも、ゲンムと一緒に黙読した。

❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎❤︎


 ケアマネさんと会いました。

 今のケアマネさんに実家に来てもらいましたが父親が自分に都合のいい話ばかりするのでケアマネさんが途中で切り上げてわたしだけ事務所に呼ばれました(実は事前にケアマネさんに『介護の見直しはまだしなくていいです』と勝手に伝えていたそうで、そのせいで関係者の方達が動きが取れなくて困っているそうです)。

 わたしだけで事務所に行った時、新しいケアマネさんも交え、デイサービスでの入浴・その際リハビリもそこで、その際父親もそこで入浴・リハビリができないかを打診しました。

 すべて介護保険の範囲内で行うよう頼みました。それを超える場合は兄夫婦の経済面にも大きく影響するのでわたしは責任が持てないと伝えました。

 まずは大まかなプランを新しいケアマネさん、今のケアマネさん、わたしとで父親母親に納得させて、その上でデイサービス業者さんも交えた担当者会議を開く予定です。これは母親の介護スタート時にもやりました。その時は医師も交えてやりました。

 一番のポイントは母親の病気の進行を抑えるためにリハビリを増やすことです。土曜日に医者に行ったら、薬の効き目は段々なくなってきているので今のうちにリハビリをしっかりやらないと寝たきりになると言われました。そうなったらわたしにはもうどうすることもできません。次のポイントは父親には母親の世話など無理だということです。元々あの歳でいまだに『自己実現』を辞めない時点で真剣ではなかったので今更どうでもいいですが、父親本人ももうまともに歩ける状態ではありません。

 父親・母親とも日常生活が自立してできない状態であるので、除雪やゴミ捨て等生活全般をどうするかについては引き続き考えていきましょうということになりました。当然食事だけがどうこうという問題ではありません。「あなたはしばらくこれまで通りできるんですよね?」とケアマネさんに言われました。これもずっと前からそうですが、事実を直視して考えていたひとたちは今までに数人しかいませんでした。それ以外は身内含めた関係者全員がスルーしてきました。

 最後に、追伸です。
 これが一番重要かもしれません。

 先週の夜、台所に大便をした跡がありました。
 匂いが台所に充満していて床に大便の大きさと同じ拭き取った跡がありました。鼻を近づけると、自分がいじめに遭っていた時にいつもこすりつけられていたあの匂いでした。
 母親の難病は認知症と関係が密接な病気で幻覚・幻聴の特徴もあります。週末泊まると母親は明け方に「うあっ!」とか「おぉぉぉぉ!」とか幽霊のような声を出していましたし、ベッドの下にはビニールの風呂敷を敷いていてトイレもいつも汚れているので、まずは母親を疑いました。医師に症状を言わないといけないので母親に聞きましたが自分じゃないと言います。
 父親にも聞きましたが自分じゃないと言います。
 しょうがないのでどっちか分からないと言ったら、医師も困ってしまって、「とりあえず薬を増やしましょう」と言ってほぼ上限近い量まで増やされました。

 知っているでしょうが、父親は自分のメンツのためならばなんでもする人間です。

 母親になすりつけようとしている可能性すらあると思います。

 あるいは父親自身が本当に認知になっているのか。

 どちらにしても親はこういう状態です。

 もはやしんどいとかどうこういうより、自分の実家ではありますが、あなたたち全員が卑怯者の集団だと言うしかないです。

 ただただ実家の神棚と仏壇に謝り果てています。

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「シャム」
「なに」
「ココロの中で引用部分を『❤︎』で区切ったろう」
「うん」

 一言肯定してからわたしはゲンムに言ってあげたんだ。

「だって、こんなに美しい文章は無いって思うの。これがほんとうの小説だと思うの」


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