第235話 絵のプロ

文字数 1,480文字

 我出すでないぞ

 5歳だって自分というものがあるよ

 いじめられてたって自分というものがある

 どんなに阿呆と言われるひとにだって自分というものがある

 我出すことは慢心

 さあこのことに当たってとても重要なことはね なぜ我を出したくなるかということだよね

 きわめて良好なサンプルとなるひとを観つけたよ


「絵プロ鵜さね」
「『エプロウ?』そうだよ 絵プロ鵜だよ 漫画家なんだ」
「やあゲンムどの ミコどのから噂は聞いているさね」

 わたしたちはね この絵プロ鵜ちゃんがネームを考えたりする時によく来るっていうファミレスに集まってこの難問についての意見交換をしたんだよね

「『要は生まれついての性格なんじゃないか?』ゲンムは自分が我が強い方だと思う?『まちがいなく あのシャムに対してだっていつもきつく出てシャムの方が折れてくれてたからな』そうなんだ」
「ミコどのは我が強い方さね」
「そうだね 絵プロ鵜ちゃんはよく観てくれてるよね『その前にミコと絵プロ鵜はどういう関係なんだ?』」
「同志さね」

 同士でなくて同志なんだよね 志を同じくするふたり

「『漠然すぎてわからない』ああごめんごめん 電撃を放つ女の子が主人公の漫画の共通のファンなんだ」
「電撃を放つ女の子が主人公の漫画は素晴らしいさね」
「『なんだその電撃を放つ女の子が主人公の漫画っていうのは』え! ゲンム! 知らないの!?」
「それはいけないさね 人生の3/4を無為に過ごしてしまっているさね」

 絵プロ鵜ちゃんの表現はけれどもわたしは大袈裟とは思わない

 それほどまでに電撃を放つ女の子が主人公の漫画は面白い

 ああそうだ 我が強いことと 我を出すことの話だったね

「たとえば絵を描くとするさね」

 絵プロ鵜ちゃんがサラサラと持参していた小ぶりのスケッチブックにその電撃を放つ女の子のイラストを描き始めた

 上手だしかわいい

「さて・・・これが原作の大先生の絵柄そのまま描いたものさね どうかね?」
「さすが絵プロ鵜ちゃんはプロだけあってうまいね 線もきれい『確かにそうだな』」

 そして今度はスケッチブックを見開きにして今描いた絵の隣にものすごいスピードでもう一枚描き始めた

「…うむ これが某(それがし)の絵柄で描いた絵さね」

 ゲンムもわたしも絵プロ鵜ちゃんの絵柄で描いた絵が不思議な躍動感を持っていることに気づいた

「言ってみれば某は自分の絵柄で描くときは我を出しているのさね」

 考えてみればそうだよね

 本来の芸術とは自然から流れ込んでくるものをそのままに表現するものと思う

 この大先生が描いたキャラをたとえば自然の草木とすると我を出さないのは左側の画用紙に描かれた大先生の絵柄そのままの絵を草木のココロとなって描いたものだろう

 けれども絵プロ鵜ちゃんは自分の絵柄で描いた右側のキャラを自ら愛でて言ったよ

「自由さね」

 我があってはならず 我が無くてもならず

 どちらの絵も絵プロ鵜ちゃんがプロとして生きてくる中で切実に何百枚何千枚と仕事のために身銭を切りながら修練してきた結果の絵なんだろうと思う

 自由に描けているのは自分の絵柄で描いた方だ

 自然なんだろうと思う

 けれどもやっぱり疑問はその先に戻ってのこととなる

 我出してはならぬ

 我が無くてもならず

「『そもそも自分で我を抑えようとするのも我を出していることになるんじゃないのか?』ほんとだ」

 結論は出なかったけど

 努力の方向性は出た

 しかも努力でないんだよね

 苦労には苦労かもしれないけれども

 その苦労を楽しむ

 そういうやり方が

 任せ切ることによってあれよあれよと成りゆくんじゃないかな ってね

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