第23話 ユズる男 meets 捨てない女

文字数 2,115文字

「くーくー」

 あれ鈴虫が鳴いてるね。

「くーくーくー」

 泣いてる、のかな?
 これは捨て置けないね。

「ちょっとちょっとおにいさん」
「は!」

 おにいさんはうろたえちゃってね、こんなこと言うんだよ。

「み、観てた?き、聴いてた?」
「観て欲しくて聴いて欲しくて泣いてたんでしょ?」

 私服なんだけどね、その理由はすぐに分かったよ。金曜の連休前にそのおにいさんはね、ユニフォームを脱いで仕事を辞めたんだ。

「ファミレスを運営してるグループ会社の中核企業に一応正規雇用されてさ、とりあえず駅前店の店長になって三年だったんだけどさ・・・・・・・・降格されたよ」
「降格?なんで?」
「さあ?多分僕ならぞんざいに扱ってもいいって思うんじゃないかな?」
「おにいさんの名前当ててみようか」
「えっ?名前?」
「ユズル、でしょ」

 眼もだけど口元を少し漫画で描かれるところのうにうにうにとした波線みたいな感じにしてさ。

「なんで分かるの!?」
「名は体を表すを地で行ってるもんねおにいさん」

 この橋はいい橋だよ。だって、ベンチがあるからね。
 休めるからじゃないよ。

 飛び降りなくて済むからさ。

「わたしは捨無(シャム)
「僕は(ユズル)
「ユズルさん。全部ほんとうに譲って来たんだね」
「うーん。そうなのかな。確かに店長になった時も本社の係長にするっていう話があったんだけど、同期の男が結婚しちゃってね。きつい仕事はちょっと、って彼も自分で言うし部長や役員も今はそいつに譲ってやってくれ、って言ったし」
「今、を放棄することは将来を放棄するのも同然だよ」
「うん。それをほんとうに感じてるよ」
「でも分かるな。お兄さんの性格だったら、もし仮に譲らなくて係長になってたら、ものすごい遠慮して仕事に支障をきたすぐらいになっちゃうだろうから」
「確かに、シャムちゃんの言う通りかもしれない・・・・・・ってシャムちゃんって社会人何年目?」

 さあね。
 人には訊いてはいけないことがあるんだよ、ユズルさん。

「で、降格ってどういうこと?」
「降格っていうか、ファミレスの店舗には直轄店とフランチャイジーに経営させる店とがあるんだけどね、僕が店長やってた店が突然フランチャイジーの個人のオーナーさんが経営することになってね」
「コンビニのオーナーと似たような感じ?」
「まあそうだね。それでね、『転籍』しろって言われて」
「転籍?」
「つまりその個人のオーナーさんが個人事業主として経営することになるわけだけどそこに籍を移せと」
「えっ」

 要するに会社を辞めて個人事業主の従業員になれってことだよね。まあ今どき大きな会社組織が破綻しないなんて誰も言い切れないから個人事業主とどっちがリスク高いかなんてわかんないしね。

「それで?従業員になるのは断ったの?」
「うん。なんていうか、もう、いいのかな、って思って。とにかく僕としては僕が入ったその会社と縁を完全に切りたかったんだ」
「勇気あるね」
「逆だよ、シャムちゃん。ほんとうに勇気とか、責任感があるんならもっとずっと前に『僕がやります』って色んな事やってたと思うもん」
「ねえユズルさん」

 わたしはベンチから立ち上がった。彼もつられて立ち上がる。
 そうしてわたしは手を後ろで組んで、今日着ているノースリーブのグレーと黒のチェックのワンピースのリボンベルトの後ろ辺りで手を組んでショボい胸を少し逸らして顎を上げて彼の顔を下のアングルから見上げた。

「キスしてもいいよ」
「え!?」

 彼の動きが指先の動きまで硬直して完全に止まった。

「キスしていいって言ったよ」
「な、なんで?」
「譲る一方なのが嫌になって会社もお店も辞めたってことなんでしょ?わたしにキスしてみて?強引になる練習だよ」
「い、いいの?」
「よくない」
「えっ」
「よくないけどわたしは自分の意思であなたに無理やりキスされても仕方ないかな、って思っただけ。さあどうぞ」

 まあ目をつむってあげた方がしやすいかな。ラッキーなことに今日はローファーもリボン付きのかわいいやつで、わたしの方から少し踵を浮かせて唇の距離を縮めてあげた。

「う・・・・・・」
「ん」

 間が空くなあ・・・・・・・
 まだかな・・・・・・・・・

「や、やらない」
「?ユズルさん、わたしがキモいから?」
「ち、違う!シャムちゃんはかわいいよ。遭ってまだ30分も経ってないけど、本当に魅力的で好きになったよ」
「じゃあどうして」
「無理矢理するのは僕の本意じゃない」

 ほらやっぱり。
 強い男だね。

「ユズルさん。あなたは譲って来たんじゃないよ。『恵んで』来たんだよ」
「恵んで・・・?」
「あなたは気弱で責任感がないからなんとなく譲ってきたんじゃないんだよ。相手じゃなく自分を後回しにすることをユズルさん自身が意思でもって選んできた。相手に施しをしてきたんだよ」
「そんないいもんじゃないよ」
「ううん。あなたは意志強固な男。やっぱりキスして欲しいな」
「いや・・・・・しないよ」

 ユズルさん、いいね。

「分かったよ。じゃあ次遭う時はユズルさんが理性が保てないぐらいのいい女になってるね」
「はは」
「だから、泣かないで」

 あららら。
 また泣くんだね。
 でもユズルさんが泣きたくて泣いてるのなら、それでいいよね。
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